第2話

 連休明けの職場は慌ただしく、憂鬱を抱えている一方で、誰もが少しずつパワーが余っているようにも見える。あちらこちらから配られるお土産の積み重なって、まるでクリスマスツリーの足元に並ぶ贈り物のようだ。そう思いながら漫然と眺めていると、視界の中でもう一つお土産が追加された。

「はいこれ、フルーツゼリー」

「どこ行ってきたの」

「高原にあるキャンプ場でーす。涼しくて寒いくらいだったけど、帰りの渋滞が酷くって」

 言葉とは裏腹ににこやかな表情で語り出したのは経理担当の佐々木という女子社員で、お互い中途入社で入社時期も近かったせいか、割と気安い会話ができる仲だ。

「そっか、あの中に居たのか」

「あの中?」

「昨日のニュース番組。Uターンラッシュの高速道路」

 佐々木は、ははぁんとでも言いたげな顔をした。

「東城くんは出かけなかったんだ」

「うん、渋滞情報見ながらビール飲んでた」

「彼女に言われないの? 偶には旅行に連れてけとか」

 旅行に行かない訳ではないが、わざわざ混んでるシーズンを選んで出かけたくないあたり、自分と美里さんは似ている。似ていてもよく分からない部分は多いのだと昨晩気付いてしまった訳だけど。

 美里さんがなぜ結婚をしたまま夫以外の男と暮らしているのか、または、自分と暮らしているのに結婚をしたままなのかは聞きそびれてしまった。衝撃が強すぎて何かを考えられる状態ではなかったのだ。

 あのあと、美里さんはいつもの通りに風呂を沸かして入り、湯上がりにスマホゲームをしてうとうとし始めたと思ったらベッドにころりと横になっていて、僕が風呂から上がる頃には眠ってしまっていた。まるで気ままな猫だ。沈黙を訝しんでか、佐々木が詰め寄る。

「おいおい、ケンカでもしたの?」

「ケンカではないよ」

 そうだったらどれ程シンプルな話だろうか。

「……佐々木はさぁ、もし彼氏が既婚者だったらどうする?」

 はぁ? と目を吊り上げて見せてから、考え込む仕草になった。それから一拍置いて「別れる」とあっさり回答する。まず結婚できないし、出来たとしても一悶着あるだろうし、将来に不安も残るじゃん。

「……って、え、待って。東城くん不倫してんの? 駄目だよ不倫は。誰も幸せにならな……って、あれ? いや、そもそも一緒に住んでなかったっけ」

「住んでる」

 腕組みしたまま下を向いた佐々木は、うーんと唸ってからまるでクイズに答えるように宣言した。

「わかった……心変わりした。その相手が人妻なんだ」

「なるほど?」

 こちらの反応を見て正答ではないと理解したらしく、再び腕を組み直す。

「……正解、言ってもいい?」

「……あ、言うんだ?」

「正解は、三年同棲している彼女が実は僕じゃない相手と結婚していた、でした」

 う、と呟いたきり固まってしまった佐々木が口を開くのを遮るように事務所の電話が鳴って、話はそこで一旦お開きになる。

 しばらくして、コピー機が用紙の不足を告げるアラート鳴る中、補充をしていた僕の元へ佐々木がつかつかと歩み寄ってきた。

「あのさぁ、悪いことは言わないから、早く別かれたほうが良いかも。だって、慰謝料請求とかされたらたまらないでしょ」

 それだけ囁くと、来た時と同じように足早に去っていく。おかげで言いそびれてしまったけれど、その可能性は僕の頭にも浮かんだものだ。ただ、そういう趣旨ならば三年も一緒に住まないだろうと思うし、部屋の契約更新だとかいくらでも都合の良さそうなタイミングがあったにもかかわらず、既婚だという話は出たことがない。


 帰り道、最寄り駅から続く商店街を覗く。色とりどりの果実が並んだ古めかしい青果店、すっかり店じまいムードの漂う魚屋、メンチカツの特売が始まった精肉店、静まり返った和菓子屋、売れ残りをたんと詰めた袋入りを並べるパン屋、金物屋の軒先には店の店主が腰掛けて立ち寄る客と話し込んでいる。

 定食屋の店先には「夏おでん」と描かれたのぼりが翻り、暖簾越しの窓の中には食器を下げる美里さんの姿がある。常連客に愛想良く受け答えするその表情には一点の曇りもない。適度に力が抜けていて、皿を扱う手つきは丁寧で、動きに迷いがなくて。

 精肉店で買った焼豚を入れたビニール袋をぶら下げながら、冷やごはんあったかなと冷凍庫のラインナップを思い浮かべる。それから、冷えたビールを買うためにスーパーマーケットに立ち寄る。夕飯の買い出しで混み合う店内には、何処かで聴いたようなポップスミュージックのアレンジがリズム良く流れている。


 外の匂いを纏わり付かせながら美里さんが帰宅した時、僕は洗濯物を畳み終えたところだった。洗面所で手を洗う美里さんの気配を感じながらダイニングテーブルに箸と皿を並べ、作り置きの煮物を温め、買ってきた焼豚を皿に出し、少し考えてブロッコリーを添える。

「あら、美味しそう」

 アクセサリーを外して部屋着に着替えた美里さんがやって来てテーブルにつく。缶ビールを二つのグラスに分けてから、テーブル越しに軽く乾杯をした。強い炭酸。苦味のある黄金色の液体が喉を滑り落ちていく。

「それでまぁ」

 人心地ついたところで切り出してみる。テレビは経済ニュースを映し、グラフの細かな上がり下がりに、したり顔のキャスターが投資家たちの一喜一憂を当てはめていく。

「聞かせて貰ってもいいかな。美里さんの結婚について」

 名前を呼ぶ時、一緒だけ口籠ってしまった。今まで呼んできた美里さんというのは、恐らくその結婚している相手の苗字なのだと気付いたのだ。

「うん、」

 と応じてからグラスのビールを飲み干すと、美里さんは立ち上がってコンロにやかんを乗せる。

「なんか、まだ少し冷えるね」

 チチチチ、と点火の音がしたのを合図に美里さんは話を始めた。

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