第44話 静寂の月

第四十四話    静寂の月



赤岩が布団で横になっている。 そこに梅乃が看病をする。 岡田は中絶の依頼を受け、妓楼に向かっていた。



「先生、しっかり……」 梅乃が赤岩に声を掛けている。 大部屋の妓女たちも赤岩の部屋を見てはザワザワしていた。


「お前たち、さっさと支度するんだよ! 仕事しな、仕事……」

これには采も見かねたようだ。



夕方、妓女たちは引手茶屋に向かう。 その中には小夜や古峰もいるが、梅乃は赤岩の看病で部屋に籠もっていた。



「先生……私はいます。 まずは安心して休んでください」 梅乃は濡れた手ぬぐいで赤岩の身体を拭いている。



「梅乃……」 小さな声が聞こえる。 これは赤岩がうわごとの様に発している。

 

「先生……私はここにいます」 


この言葉を何度言ったろうか。 やり手の席には采が座っているが、落ち着かない表情をしていた。



そこに引手茶屋から妓女が客を連れて戻ってくる。 これから夜見世の時間が始まる合図である。


梅乃は部屋から出て、客に頭を下げる。 時折、笑顔を見せては客を歓迎していく。 この笑顔に采は悲痛な思いを寄せていた。



客入りの時間は岡田も三原屋に戻ってこられない。 もし、終わっていても何処かで時間を潰さないとならない。 客に安心を与える場所であり、夢の時間をさまたげてはならないからだ。



梅乃は客が通過すると、部屋に戻り赤岩の看病を続ける。 そして別の客が入ってくると笑顔で出迎える。 これを何人もの客におこなっていた。



看病をして二時間が過ぎた頃には酒宴の声が聞こえる。 歌や三味線、笑い声まで飛び交う。



「今日も繁盛でありんす…… これも赤岩先生が病気から救ってくださったからなんですよ……」 梅乃が赤岩に話しかける。 


赤岩からの返事はなく、寝息だけが聞こえた。



そこに岡田が戻ってくる。 静かに戸を開けると、梅乃が疲れた表情で座っていた。


「梅乃……替わろう」 岡田と交代した梅乃は、一息つきに采の所までやってきた。


「どうだい?」 采は言葉少なく梅乃に聞くと、

「寝ていますが……」 梅乃は視線を下げる。


采は梅乃の表情で何を言いたいのかが分かってしまった。


 

「一応は、明日までだ。 これ以上は置いておけないよ。 今、旦那が赤岩の家に向かってる」 采は、文衛門が引き取りを頼みに行っていることを伝えて仕事を始めた。


以前に鳳仙の手術で実家を使っていたことや、玉芳の住まいの近くであることを聞いていた文衛門は、赤岩の実家に行っていたのである。


(普段なら、嫌とか駄々をこねるけど……医学を学ぶうちに覚悟というものを知ったようだね……) 采がチラッと梅乃を見る。 



妓楼の音に耐えきれなくなった梅乃は見世の外に出て行く。

かすかに聞こえる酒宴の音も、外に出ては静かな雰囲気である。



そこに会所の男性が見回りで歩いてきた。 会所とは四郎兵衛会所である。 主に妓女の足抜の見回りなどが仕事である。


大門の前に立ち、女性が吉原から出て行かないかを見張っている。 また女性が吉原大門を通過するのには許可証が必要となる。



そこに会所の男性が梅乃に声をかけた。


「梅乃かい? どうした、こんな時間に……」 そう言って男性は近づいてくる。


「こんばんは……少し休憩です」 梅乃がニカッと笑うと、


「そんな無理して笑わなくても大丈夫だ……話は文衛門さんから聞いてるからよ……」 男性は梅乃の頭を撫でる。 この男性は、以前に梅乃から足抜の情報を貰った男性であり、引手茶屋で食事までした間柄であった。



「明日、見送るんだろ? 俺、大門にいるから……」 そう言って、会所の男性は行ってしまった。


「……」 梅乃は地べたに座り、膝を抱えていた。



夜も遅くなり、小夜と古峰も宴席から外れる。


「梅乃~」 小夜と古峰が見世の外に出てくる。

「寒くない? 大丈夫?」 小夜が梅乃に抱きつくと

「こんなに冷たくなって……風邪ひいちゃうよ。 中に入ろう」


小夜と古峰は梅乃を立たせ、三原屋の中に入っていった。



「先生、梅乃です。 失礼しんす……」

梅乃は声を掛け、赤岩の部屋に入っていく。 そして、小夜と古峰は部屋の前で座っている。



采は気になるものの、『今回ばかりは……』との思いもあり黙認していた。 普通なら、『営業の邪魔だ!』というところだが赤岩の功績は三原屋にも大きく、黙って見守るしかなかった。



深夜零時、床入りの時間となる。 妓女たちは客と布団に入る。

宴席は十時までと規則ではあるが、大方は目をつむっているが遅くても零時には終わらせないといけない。



江戸から明治になっても庶民の生活スタイルが変わる訳でもなく、朝が早い為に就寝まではスピード作業となる。 それに合わせて、深夜に声を出さないようにするのだ。



ただ、梅乃は赤岩に声を掛け続けていた。


「先生……覚えてますか? 最初に三原屋に来た時のこと……」

梅乃が赤岩に言う。


それから時系列のように思い出を話し続けていると、


「梅乃……」 小さく赤岩が反応する。


「はい。 ここにいますよ……梅乃はここにいます……」 梅乃は小さく赤岩の布団の上からポンポンと叩く。



「いい花魁に……」 そこで赤岩の声が途切れる。



「先生……?」 梅乃は赤岩の心音を確認する。 そして手首を持ち、脈拍の確認をする。



すると、梅乃の目から涙が溢れ出てくる。


「先生……ありがとうございました……」 声が震え、他の妓女や客に知られぬ様に梅乃は静かに泣いた。



そして、「岡田先生……顔を洗ってきます……」 そう言って、梅乃は静かに赤岩の部屋を出る。


梅乃の顔を見た小夜と古峰は涙を流す。



深夜、梅乃は見世の少ない水道尻まで行き



「うわぁぁぁん……」 大声で泣いた。 


大声で泣いた梅乃は、泣き腫らした目で月を眺めていた。

静寂の中、梅乃は月を眺めては思い出を繰り返して確かめていく。



小夜と古峰が静かに泣いていると、二階から勝来がやってくる。

どうやら客が寝た後、落ち着かずに部屋から出てきたのだ。



夜も遅い為、采は自室で寝ていた。


勝来が静かに赤岩の部屋の前に来ると、泣いている小夜と古峰を見つける。

「そっか……」


勝来は赤岩の部屋に向かい、そっと手を合わせた。



「小夜……梅乃はどこに行った?」 勝来が聞くと、

「顔を洗いにって、外に……」 小夜が答える。



そして勝来は、小夜と古峰を抱きしめる。


「少しでも身体を休めなさい……」


そう言葉を残し、勝来は部屋に戻っていった。



深夜、時刻でいえば朝方と呼べる時間に文衛門が三原屋に戻ってきた。

一月という時期もあり、深夜は特に冷える時間帯である。



そっと戻った時に文衛門は驚く。

小夜と古峰が赤岩の部屋の前で座ったままであった。


それも二人ともが布団も掛けずに座って眠っていたのだ。



「おい、小夜。 古峰……起きなさい」 文衛門は慌てて小夜たちを起こす。


そこに泣き腫らした顔の二人が寝ぼけたように起きる。



「ほら、布団に入りなさい」 文衛門は二人を立たせ、布団に行かせようとすると、


「梅乃はどうした?」 文衛門が聞いても、寝ぼけている小夜と古峰は返事をしない。



慌てて赤岩の部屋を開けると、横になった赤岩と正座をして呆然としている岡田だけである。



「岡田先生……梅乃は知りませんか?」 


「先ほど、顔を洗ってくると外にいきましたが……」



これを聞いた文衛門は、外に梅乃を探しに出て行く。


深夜の為、大声で呼べない文衛門は、走って梅乃を探していく。

静寂の吉原に、文衛門の荒い息づかいだけが響いている。


 提灯を片手に持って、江戸町から奥へ向かって

 (梅乃……) 必死に探した。



文衛門が水道尻まで来る。 ふと目に入るのが九朗助稲荷だった。

 文衛門が、九朗助稲荷まで近寄ると


 (―梅乃っ) 走っていく。


そこには九朗助稲荷に寄りかかり、グッタリしている梅乃の姿があった。


「梅乃―」 文衛門は梅乃の肩を抱き、声を掛ける。

「お前、こんなに冷たくなって……」


しかし、見てみると梅乃の身体には毛布が巻き付けてあった。

誰かが凍死しないように掛けたようでもある。


(誰が掛けてくれたんだ?) 文衛門は不思議に思い、周囲を見渡すが誰も居ない。


慌てて梅乃を抱きかかえ、三原屋まで帰っていく。



慌ただしく帰ってきた文衛門が、

「お湯だ― 誰か」 声を出すと


「どうされました?」 二階から出てきた菖蒲が階段の途中から顔を覗かせる。


「お湯と布団……梅乃が」 文衛門の言葉が強くなると、

「梅乃?」 菖蒲は慌てて布団を持ち、お湯を用意する。



お湯を掛けた手ぬぐいを数枚、梅乃の身体に巻き付ける。 その上から毛布でくるんで温めていく。


冷たくなった梅乃の身体は、なかなか体温が上がってこない。

そこに岡田が出てくる。


「梅乃……」 岡田は毛布をこする。 摩擦で温度を上げていく。

「ご主人、あの……赤岩先生が……」 岡田が報告すると、


「わかった。 今は梅乃を頼む」 そう言って、文衛門は部屋に入っていった。



「梅乃……ここは、お前が頑張る番だ……」

そう言いながら岡田は梅乃の身体を擦っていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る