第40話 姉妹

第四十話    姉妹



「おはようございます」 赤岩が見世の外に出てくる。

「おはようございます」 梅乃と古峰が挨拶をすると、

「あれ、小夜は?」 赤岩がキョロキョロする。



「小夜はお風呂の準備です。 姐さんの後に先生もどうぞ」

梅乃が笑顔で勧めると、


「僕は梅乃ちゃんたちの後で、貰い湯をするよ」 赤岩が微笑む。



(そうだ、先生には熱い湯はダメだった。 一気に血が昇ってしまう。 その後に血が下がってしまうと倒れてしまうんだった……)


梅乃は現代で言う『ヒートショック』を覚えていた。



完全な医学として知った訳ではなく、よくあった話を覚えては紙に書いていたのだ。



「では、先生……私たちが終わったら声を掛けますね♪」

梅乃は、何も無かったようにしていた。



しかし、赤岩は解っていた。

(梅乃なりに気を使ってくれてるんだな……)




午後、赤岩は岡田と一緒に往診をしていた。

梅乃は妓女との接待の為に、別行動となっている。



(先生、大丈夫かな……) 



梅乃は千堂屋に来ていた。 菖蒲のお付きである。

菖蒲は中級妓女になり、そこそこ売り上げを伸ばしていた。


しかし、花魁を狙えるほどの器量はなく、勝来や禿の姉という役割である。

それを本人も自覚しており、優等生の姉をこなしている。



「……では、夕方に」 菖蒲が腰をあげる。

梅乃も客に礼をして三原屋に戻ろうとしていた。



「菖蒲じゃない?」 ある女性が声を掛ける。

「あっ! 朝陽あさひさん……」 菖蒲が小さく手を振ると、

「私は夕陽ゆうひよ♪ 元気だった?」


そして後から朝陽がやってくる。


この二人は姉妹、双子である。 その姉妹が吉原で働いていたのだ。


梅乃は頭を下げる。 そしてチラッと姉妹をみると、

(帯の結びが後ろ……芸者か)


吉原で働く者として見分け方がある。



それは帯の結びである。 帯を前で大きく結び、派手にしているのが妓女である。 花魁クラスであれば、帯を前に結び、高下駄で簪を多く付けて高貴をアピールする。



一方、芸者は帯を後ろで結び妓女よりは控えめな格好をする。

しかし、売れっ子の芸者も派手になってきていた。



この朝陽と夕陽、双子の芸者は売れっ子である。


「菖蒲……妓女じゃなく、芸子にすれば稼げたんじゃない?」

夕陽が言うと


「……」 菖蒲は無言で下を向く。



「……?」 梅乃は首を傾げ、

(菖蒲姐さんと どんな関係なんだろう……?) そして三人を よく見ていた。



三原屋に戻り、菖蒲の部屋で夜見世の準備を始める。

「姐さん、さっきの姉妹は知り合いなんですか?」 梅乃が聞くと、


「えぇ……ちょっとね」 菖蒲の顔が沈んでいくのを梅乃は見逃さなかった。


その後、梅乃は采に話す。

「ねぇ、お婆……菖蒲姐さんのことなんだけどさ……」



「あぁ、あの姉妹か……元々、菖蒲は芸子として売られてきたんだよ。 真面目な性格だし、器用に何でも出来るからね……」 采が話し出すと、



「なんで妓女になったの?」


「そりゃ、玉芳さ…… 菖蒲アイツが子供ながらに玉芳に惚れ込んだのさ。 それから芸子じゃなく、妓女になりたいって三原屋ウチに飛び込んできたのさ……」 


梅乃は、初めて菖蒲の幼少期の話を聞いた。 ここでも玉芳の存在が大きかった事を知り、自分のことのように嬉しくなっていた。



同じ吉原で働く者、繋がりはある。 器用で楽器や舞が得意な子は芸子として売られる場合がある。 ただ、その中でも活躍できるのは一握りだ。



その中で、練習しても上手にならない……または、酒席を盛り上げられない芸子もいる。 そういう芸子は稼ぎも少ない為、妓女に転向する者も多かった。


この世界でも格差はあり、実力主義である。



菖蒲は玉芳に惚れ込み、芸子としても出来る逸材であったが三原屋の門を叩いたのだ。



(しかし、真面目な菖蒲姐さんが一番 不得意そうな妓楼なんかに……)

梅乃は不思議でならなかった。



ある日、菖蒲の酒宴に芸者がやってきた。

朝陽と夕陽である。


「ご指名、ありがとうございます……私、朝陽と」「夕陽にございます……」

姉妹は名乗り、演奏を始める。



客は上機嫌に踊り、妓女は手拍子で盛り上げる。 梅乃も笑顔で手を叩いて盛り上げた。



すると、客は酔った勢いからか朝陽を口説きだした。

「三味線が上手だね……今度は私と遊ばないか?」 客が朝陽の手を握ると、



「私たちは芸を売りますが、身体を売ることはしていないんです。 それに、ここは菖蒲様がいますよ……」 夕陽が客を落ち着かせていた。



芸子は二人一組になって働く。

これは、芸子が身体を売らないようにお互いが監視する為である。


特に吉原では、身体を売る仕事が盛んな場所のため、厳しく言われているのだ。



吉原を出れば、芸子が身体を売る者も多くいる。 これを『転ぶ』と言われている。

『転ぶ』とは、三味線などで場を盛り上げ、金を積まれれば客と寝るということである。 要は、本業から転ぶという意味である。



しかし、妓女がメインである吉原では出来ない。 片方が口説かれれば、片方が制止するようになっている。


こうして妓女と芸子のバランスが保たれていた。


(ホッ……) 菖蒲は息を漏らすと、夕陽が話しかけくる。



「しっかりしなさいな……これじゃ、客は簡単に逃げちゃうわよ」

菖蒲は下を向く。



翌日、梅乃は菖蒲の部屋で掃除をしていた。

「姐さん……失礼しんす」 


菖蒲の布団をパタパタと叩き、ホコリを外に出す。


すると、菖蒲が口を開く。

「梅乃……昨日は かっこ悪い所を見せちまったね……」


梅乃は菖蒲を見つめ、「いいえ……」 と言う。


「私さ、真面目に取り組むことしか出来ないんだ…… 特にひいでたもの無く、ただ真面目にやるだけ…… だから玉芳花魁のような派手さも、駆け引きもできない……」 菖蒲が肩を落とす。



「でも、その真面目さで しっかり稼いでいるじゃないですか……」

梅乃が慰めると、



「昨日の芸者、私が子供の頃に習った人なのよ……」


「朝陽さんと、夕陽さんですね」 梅乃が言うと、菖蒲が頷く。


「特に芸子が嫌じゃなかったの…… 真面目に働けるし問題は無かったのだけれど……」


「玉芳花魁ですね?」

菖蒲が頷く。


「本当に綺麗だったし、輝いていた。 私も、そんな風に……いや、側に居たいと思ったのが最初だったの……」 菖蒲が話すことに梅乃は聞き入っていた。



菖蒲の話から、菖蒲と芸子の二人の関係性が見えてくる。


菖蒲が芸子から妓女に転向したいと思っても、親に売られた身である。

勝手に別の場所には行けない。



菖蒲は芸子の主人と話をして、三原屋に買い取りをお願いしたのだ。

この件には菖蒲の親に話を通さず、芸子が買い取った倍の値段で三原屋が買い取ったのである。



それ以降、菖蒲は三原屋の禿を精一杯こなしていく。


真面目な性格もあり、玉芳や采から寵愛を受けて育っていった。


しかし、これを素直に見送れなかった二人がいた。 朝陽と夕陽である。


菖蒲が芸子の門を叩いた時、世話や三味線の技術などを教えていたのが二人だった。


菖蒲は吸収も早く、子供ながらも宴席に出しても おかしくないほど上達していて将来を期待されていたのだ。



つまり、菖蒲は二人の期待とは別の方向に進んでしまったのである。


これには菖蒲の心にもシコリとして残っていた。



数日後の昼過ぎ、梅乃と小夜で買い物に千堂屋まで来ていた。


そこに朝陽と夕陽がいた。 夜の宴席の打ち合わせである。


芸者は見世の主はいるが、基本的に自分で客を取らなくてはならない。

その客とは妓女である。 妓女が客に勧め、客がOKすれば依頼をする。 その勧めてもらう為に芸子は妓女に営業をするのである。



今回、二人が千堂屋で打ち合わせをしているのが営業をした妓女の依頼で、客と妓女と四人で支払いなどの決まりを話している。


そんな場面を梅乃と小夜は見ていた。


(確か、朝陽さんと夕陽さんだ……) 梅乃は覚えていた。



二人は三十代、梅乃から見たら大人である。


そこで打ち合わせが終り、立ち上がると朝陽が梅乃に気づく。


「あんれ? この前、菖蒲と一緒にいた……」


「こんにちは。 私、梅乃と言います。 コッチが小夜です」

梅乃と小夜は頭を下げると、朝陽が思い出したように



「梅乃……あぁ、この前に殺されそうになった子ね……」

朝陽は梅乃の名前だけ知っていたようだ。



「梅乃、有名人だね♪」 小夜が梅乃の背中を叩く。

(もっとマシな事で有名になりたかった……) 梅乃は苦笑いをする。



「ふふっ……」 朝陽は微笑む。


「あの……菖蒲姐さんを知っていたのですね」 梅乃が言うと、朝陽の眉間に力が入る。


(なんか余計な事を言ったかな……?)



「菖蒲、玉芳花魁を目指しているみたいだけど……まだまだね……」 朝陽が言うと、


「姉さん、それを言ったら……」 夕陽が笑い出す。


(ムッ……嫌な笑い方) 梅乃は感じてしまった。



「姉さん、行きましょう」 夕陽が言うと、二人は帰っていった。



黙ったまま、数秒が経ち


「なんか感じの悪い芸者だったね……」 小夜も感じ取っていたようだ。


梅乃や小夜のことは、玉芳の引退後から菖蒲と勝来が面倒をみてきた。

実質、姉のような存在を笑われて面白いはずがなかった。



その後、三原屋に戻ってきた梅乃と小夜は機嫌が悪かった。


「なんだい? 随分と機嫌が悪いんじゃないかい?」 采が小夜に訊くと、

「そうですか? 確かに面白くないかも……です」


これを聞いた采が小夜を睨む。



「お前、随分な口を叩くようになったね~ 三原屋ココが気に食わないのかい?」 小夜を上から睨むと



「あわわ…… ココじゃなくって……」 小夜が、恐怖で先が言えなくなっていると


『ゴツン―』 当然ながら、采に頭を叩かれていた。



「さ 小夜ちゃんが珍しい…… 何をしたの?」 古峰が不思議そうな顔をすると、


「感情とは、時と場所を区別しないと痛い目にあうのよ……」

小夜は身をもって古峰に教えたようだ。



夜、各妓楼では華やかな時間となっていく。


多くの妓女は引手茶屋に向かっていく。 菖蒲もその一人である。


この日、菖蒲はご機嫌だった。

なんと、菖蒲を指名したのは喜十郎だった。 喜十郎は菖蒲が初めて取った客であり、水揚げ屋意外では初めての相手だった。



回数は少ないが、菖蒲を指名しては朝まで共にしている。

菖蒲は十七歳にして、喜十郎に感謝と恋心を寄せていた。

 


 

 この日、古峰が菖蒲の宴席に入る。 喜十郎と菖蒲は久しぶりの逢瀬を楽しんでいた。


古峰は静かに正座をして雰囲気を勉強している。


「そうだ、菖蒲さん……今日は久しぶりだから芸者を呼びました。 楽しみましょう」 喜十郎が言うと、


「えっ? 二人でゆっくり……じゃなく?」 菖蒲が驚きと残念な心を出すと、


「失礼します……」 ここに二人の芸者が入ってくる。 朝陽と夕陽だ。



「今宵、ご指名ありがとうございます…… さっそくですが、三味線などいかがでしょう」 朝陽が言うと、二人の演奏が始まる。



ここで場を盛り上げる為、菖蒲が舞を見せると、喜十郎は喜び 手を叩いて盛り上げていく。



 演奏が続き、疲れてきた菖蒲に代わり古峰が舞を披露する。

古峰の十一歳とは思えぬ美貌と舞に、喜十郎は目を奪われる。


ちょっとムッとした菖蒲であったが、


「痛い―」 夕陽が声を出す。 演奏が止まり、夕陽は右の手首を押さえる。

「夕陽、どうしたの?」 朝陽が覗き込む。



菖蒲は立ち上がり、 「夕陽さん、どうしました?」 声を掛ける。


「手首が……」 夕陽の表情が苦悶に変わる。



「古峰、赤岩先生を」 菖蒲が指示をすると、古峰は走って部屋を出て行く。



しばらくして、赤岩が菖蒲の部屋にやってくると

「どうされました?」


「先生、彼女が……」 


赤岩は夕陽の手を確認すると、「筋を違えたかな…… よし、固定しましょう」


赤岩は布を切り、包帯のように夕陽の手首を固定する。

苦悶の表情をする夕陽に代わり、朝陽が演奏を中止してしまった事を詫びると



「仕方ないですわね…… ここは、私が……」

菖蒲は立ち上がり、物置から三味線を持ってきた。



「菖蒲さん、まさか……?」 喜十郎が驚く。


「では!」 菖蒲が三味線を鳴らし、歌を唄う。 そこに合わせて古峰が舞を披露する。


そして喜十郎に微笑み、優しい歌声を披露していると


「菖蒲……」 朝陽と夕陽は、菖蒲の成長を目の当たりにして呆然と見ているのだった。


時間が経ち、二人が帰る間際

「菖蒲……たいしたものだよ。 アンタが芸子で残っていたら、私たちの稼ぎは無かったかもしれないわ……」


そう言い残して芸者は帰っていった。



「姐さん、ありがとうございました」 菖蒲は芸者の二人に頭を下げた。



すると、

「菖蒲さん、僕は貴女の姿勢も何もかもが好きです……」 喜十郎の言葉に菖蒲が後ろに倒れてしまった。



「赤岩先生―っ」 古峰は再度、赤岩を呼びに行った。

菖蒲、十七歳の恋は、失神をして最後まで聞けなかった。


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