第30話 意地にありんすっ

第三十話    意地にありんすっ



一八七二年 (明治五年) 冬になると、吉原にも厳しい時期になってくる。



「梅乃……」


小夜は梅乃の傍で看病をしていた。



病気ではなく、玲に監禁されていたことにより命を落とすギリギリのところで救ってもらった時のことである。



~回想~

「梅乃ちゃん、よく頑張った」


赤岩が急いで三原屋に梅乃を連れて帰る。


「すみません。 湯と手ぬぐいを何枚か……」

赤岩は、自室で梅乃の治療を行っている。



「持ってきましたー」

小夜が湯と手ぬぐいを持って来た。


「そこに置いてください」



「梅乃はどう?」 勝来と菖蒲は、赤岩の部屋でオロオロしている。


「まだ、脈が弱いです。 息もギリギリです」 赤岩が胸の圧迫と人工呼吸を繰り返す。



妓女たちは落ち着かず、何度も赤岩の部屋を見ては ため息をつく。



そこに、もっとも落ち着かない表情をしている者がいる。


采である。



「おい、キセル吸い過ぎだよ」 文衛門が、采に注意する。

「そうかい? まだ二回目だよ」 采が言うと、


「馬鹿言うな。 もう、十回は吸っているよ……」

吸った回数も覚えていないくらい、采は動揺していたのである。



(ここで梅乃を殺しちまったら、玉芳に顔向けできないよ……)

采の激しい動揺は、痛いくらいの後悔を付きまとわせた。




「梅乃ちゃん、聞こえるかい? ゆっくりと息を吸うんだ」

赤岩が梅乃の耳元で囁くが、梅乃の反応が無い。



その度に赤岩が声を掛け、身体を揺する。

これは、梅乃の意識が遠くに行かないようにである。 このまま意識が遠のくと、死んでしまうことがあるからだ。



「梅乃ちゃん、梅乃ちゃん……」 赤岩が何度も声を掛けると、 



「―っ」 采が赤岩の部屋の戸を豪快に開ける。



「お婆さん……」 赤岩が驚く。


そこには、目に涙を溜めた采が立っていたからだ。



誰もが初めて見る姿である。


そして、采が大きく息を吸い



「梅乃―――っ」 


その声は、どんな怒った時よりも大きかった。

そして、叫びや悲鳴にも聞こえる声が奇跡を起こす。




「は、はいーーっ」 采の声に、梅乃が反応した。



「えっ??」 全員が目を丸くした。



采の叫び声に、意識が遠のいていた梅乃が戻ってきたのだ。


「お、お婆…… すみません……」 梅乃は目を閉じたままだ。 

これは寝言のようにも聞こえるが、意識が戻ってきたのは確かなようである。



赤岩は、何度も梅乃と采を交互に見ている。


「ふんっ」 采は鼻で息を吐き、クルっと振り返る。



「赤岩先生、頼むよ」 采は後ろを向きながら話す。

振り返った采の顔は、泣きそうな顔だったそうだ。



(お婆の声は、医学をも凌駕りょうがするんだな……) 赤岩は、医学を越える何かを持っている人を初めて見た。



梅乃が采によって、意識が戻り三日。

ようやく梅乃が活力を取り戻してきていた。



「ごめんね、小夜……」 梅乃が小さい声で、小夜に謝る。

「いいんだよ~。 お互い様だって~♪」 小夜の笑顔は、梅乃に生きる元気を与えていく。



そして、小夜の横には古峰が立っていた。

「古峰ね~ 毎日、泣きながら九朗助稲荷にお参りに行ってたんだよ~」


小夜が説明すると、


「……違うもん……梅乃ちゃんが死んだら、私を花魁にしてくれって頼んでたんだもん……」 恥ずかしがりやな古峰である。



「みんな、ありがとう……」 梅乃の頬に涙が伝う。


それから三日が過ぎると、梅乃は食事が摂れるくらいまで回復していた。



「もう大丈夫なの?」 小夜が聞くと

「もう大丈夫。 あんまり甘えていると、お婆に怒られちゃうから……」

そう言って、梅乃は徐々に仕事をこなしていく。



「そういえば、お婆の声で反応したんだよね……」 小夜が言うと、

「そうなの? 知らないな……」 梅乃は首を傾げた。



無意識で采の声に反応したのは、梅乃が絆を大事にしていた瞬間だからこそだ。



「しかし、玲ってひとも酷いよね……梅乃を、あんな目に合わせてさ~」

小夜が言うと



「まったくだ……あの玲って女は、痛みつけるだけじゃ済まさんからな……」

菖蒲と勝来が、小夜の横で鬼の形相をしている。



(うぅぅ……私が勝手に行ったせいなんだよな……) 梅乃は苦笑いをしていた。



「あの、この件に関してはいいんです……」 梅乃が言い出すと


「いい訳ないだろうが! アンタ、死にかけてるのよ!」 勝来が叫ぶ。

勝来がこんなに息巻く姿は初めてだった。



(こんな勝来姐さん、見た事ない……) 梅乃はもちろん、小夜も古峰も初めてだった。



後日、かえで屋は取り潰し。 玲には逮捕状が出た。



そして噂は光のような速さで吉原に駆け巡り、三原屋には多くの来客が来たのである。


それは、 “梅乃のお見舞い ” である。



「大変だったな……」 そう言って、梅乃の布団の横には喜久乃が座っていた。



「すみません……来ていただいて」 梅乃が申し訳なさそうにしていると、


「いいんだよ……ただ、なんか落ち着かないね……」 喜久乃が部屋を見渡すと、妓女たちが喜久乃を見ている。



「有名人ですから……」 梅乃が苦笑いをする。


現在の三原屋には花魁がいない。 花魁である喜久乃見たさで、集まってしまったのである。



「あはは……」 これには喜久乃も困っていた。



それから夜の営業。


勝来や菖蒲を指名して、梅乃や小夜も接待するように頼んでくる客も出てきた。



 しかし、梅乃は動けるようになるまで時間が掛かっていて、接待は断るものの小夜や古峰が頑張っていく。



 三原屋の禿の株が上がり、客が増えることによって吉原の姿も変わっていくこととなる。



 「負けてられないわ……」 ここで気を吐いていたのは、鳳仙楼の禿の絢である。


(もう、鳳仙花魁は居ない…… 私がやらなくちゃ……) 絢の闘志に火が付いていた。



 数日後、梅乃は仲の町を散歩が出来るくらいまで回復していた。


 妓楼での仕事は、妓女の風呂上りの手拭いを出す程度なら出来るようになっている。



 仲の町を歩いていると、「梅乃―」 と、声がして振り向くと絢が走ってくる。



 「もう大丈夫なの?」 絢が梅乃に聞くと、

 「ありがとう、絢…… ようやく散歩が出来るようになったんだ~」 梅乃が明るく話す。



 「よかった……ライバルが減ったら寂しいもんね~」 絢は笑顔で言うが、


 「ライバルかぁ……私、そんな風には思って無かったかも……」 梅乃は、下を向いて話した。



「違うの?」


「うん……一緒に勉強したり、なんか姉妹みたく接していたから……」


梅乃の言葉に、絢は拳を握る。



「私は、ライバルとして梅乃を見ていたわ。 だって、梅乃は吉原の人気者じゃない…… 私だって……」 絢の目には涙が溜まっていた。



「そんな……」 梅乃は、寂しい気持ちになっていた。 仲良く勉強した友達に敵意てきいを向けられたことに寂しさを感じてしまったのだ。



「絢……」 梅乃が言いかけると


「私だって、鳳仙花魁から習ってきたわ。 まだ子供でも、禿でも……意地がありんすっ! だから、これからが勝負よ! 梅乃!」


絢の啖呵たんかは見事であった。 ゆくゆくは妓女になる二人は、仲良くもあり、ライバルにもなったのである。



少しの寂しさと、闘志が入り混じった梅乃が三原屋に戻ると



「アンタたち、もう少し協力したらどう?」 妓女の怒鳴り声が聞こえる。


梅乃は、ゆっくりと玄関から入る。

「すみません。 戻りました……って、どうされました?」

梅乃が聞くと、


「こいつら、私の酒宴には参加しないと言いやがったんだ―」

妓女が怒鳴っていた。



「こいつら?」 梅乃が妓女の指の先を見ると、小夜と古峰が立っていた。


また、梅乃がよく見ると、小夜と古峰の頬が赤くなっているのに気づく。



「叩いたんですか?」 梅乃が妓女に聞くと


「言うことを聞かないからね……教育さ」 妓女はドヤ顔をしている。



「わかりました。 私から話しておきます」 そう言って、小夜と古峰の肩を抱いた。



「梅乃……」 小夜が何かを言おうとする。

「後で……小夜。 古峰もね」 梅乃が二人を二階へ連れて行こうとすると、



「梅乃は、私の酒宴に入るわよね?」 妓女が言う。


「すみません。 私が仕事に戻るには赤岩さんと、お婆の許可が必要なので……」 そう言って、梅乃は二人を連れて二階へ向かった。



梅乃が事件に巻き込まれてから妓女と禿の間でのギクシャクが生じ、三原屋に新たな問題も生まれていた。



采は、もちろん知っている。 ただしずめるのに困っていたのだ。


それは、花魁というポジションが空席だからだ。


長いこと玉芳という絶対的な存在がいて、その花魁の席に到達できる器の持ち主が存在しないのである。



暫定的なポジションに信濃や勝来を置いているが、売上的にも満足できるほどではない。



そして、客が被ってしまうほどの圧倒的な魅力にも欠けている。


采の目には玉芳の残像が残っていて、どうしても比べてしまうのである。



それが、花魁というポジションを任せられない采や文衛門の責任でもあるのだ。 こうして内部から揺らいできていたのである。



采が悩んでいた時、 “ガラガラ……ドンッ ” と、騒がしい音が妓楼に響く。


「この忙しいのに、なんだい? 誰?―」 采が怒って玄関に向かうと



「た、玉芳―?」 采が目を丸くする。



「お婆、梅乃は?」 血相を変えた玉芳が三原屋に飛び込んできた。


唖然として言葉が出なくなっていた采に

「お婆っ―」 玉芳が采の肩を揺すってきた。



「あっ、あぁ…… 勝来の部屋にいるよ……」 采が二階を指さすと、


「持ってて!」 玉芳は采に赤ん坊を渡す。



「お前……」 采が言うと、 「後で!」 玉芳は二階へ向かった。



“ビシャン ” 

「ヒャッ―」 豪快に勝来の部屋の襖を開けると、勝来たちは肩をすくめる。



「玉芳花魁―?」 勝来の部屋に入ってきた玉芳に、全員が驚く。


「梅乃―っ!」 豪快に呼ぶ玉芳に


「はいっ―」 背筋を伸ばして反応する梅乃。



「お前、大丈夫かい? 噂で聞いて、飛んできたよ」 玉芳は梅乃の全身を見ながら言うと


「はい。 おかげさまで良くなりました」 笑顔を見せると、玉芳はホッとしていた。



その後、落ち着いた玉芳は大部屋で赤ん坊のお披露目をしていた。


その時に、赤ん坊を抱いていたのは采である。



赤ん坊を抱いている采の顔は柔らかく、まさに孫を抱いているようであった。



(お婆でも、あんな顔するんだな……) 梅乃は、采の本当の優しさに触れて満足そうだった。



しかし、顔が険しいのは玉芳であった。


「今回の梅乃の件、私も頭に来ているのさ……玲とやらを探すからよ……」

玉芳の言葉で、また一波乱が起きそうな予感しかしない梅乃であった。





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