第37話「再会と断罪の向こうで、君を想う」

ベルスティファール公爵邸――

静まり返った廊下に、甲高い金属音が響き渡る。


ギィンッ! ガンッ!


剣と剣がぶつかるたびに、冷たい火花が飛び散った。

ヴィンセントとシオンの激しい戦いは、もはや人間同士のそれとは思えない速さと迫力で、目で追うのさえ難しかった。


(どうして、こうなるの……)


ロリエンヌは、ただ目の前の光景を見つめていた。

体のどこかが凍ったように動けなかった。


(私が、弱いせいだ……)


心の奥底で、自分を責める声が鳴り止まない。

前世でもそうだった。

油断していたせいで、敵の奇襲に気づけず、友人を守れず、自分も命を落とした。


(同じことを……また繰り返すの?)


恐怖が喉を締め付け、叫びさえ出てこない。


(シオンまで……)


気づけば、剣戟の音がひときわ鋭く鳴った――その瞬間だった。


「……シオンっ!!」


彼の手から、剣が弾かれていた。

視線の先で、ヴィンセントの刃が、まっすぐにシオンの喉元を狙って突き出されようとしていた。


止められない――!


思考が真っ白になった、その瞬間――


カラン……と鈍い音が響いた。


ヴィンセントの手から、剣がこぼれ落ちていた。

そして彼は、静かに両手を上げる。


まるで何かに気づいたような、解放されたような――

そんな顔をしていた。


「……先生?」


ロリエンヌが小さく呼びかけると、ヴィンセントは目を細めて、穏やかに言った。


「契約が……解かれた」


その言葉が落ちた瞬間、

空気そのものが波打ったように感じた。


重く張りつめていた“何か”が、音もなくほどけていく。

それでも、ロリエンヌの中には理解が追いつかず、

ただ震えるように――


「……え?」


と、呟くのがやっとだった。


剣を捨てたヴィンセントは、静かにこちらへ歩み寄ってきた。

その動きに敵意はなく、ただ、長い年月を経てようやく手にした“自由”を確かめるような、そんな足取りだった。


「ロリエンヌ……」


声は、かすれていた。

けれど、今まで聞いたどんな言葉よりも、深く胸に届いた。


「俺は……自由だ……」


そう言って――

ヴィンセントは、ゆっくりと、彼女を抱きしめた。


戸惑いなどなかった。

彼の腕は、どこまでも優しくて、

その体温は、かつて自分が信じていた“先生”そのままだった。


(あぁ……ようやく……)


込み上げる想いが、堰を切ったように溢れ出す。


ロリエンヌは、黙ってその胸に顔を埋めると、

そっと、強く――抱きしめ返した。


「……先生……っ」

その声は震え、涙に滲んでいた。


ここにあるのは、ただ、再会の抱擁だった。


戦いも、運命も、何もかも忘れてしまいそうになるほど、

あたたかくて、切なくて、どこまでも――静かな時間だった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


一方その頃――

広がる荒野の一角、血に濡れた風が静かに吹き抜けていた。


アルディノン率いるロリエンヌ隊は、馬を進めながら、ひとつの“荷物”を慎重に運んでいた。

背の高い兵士たちが黙々とその後ろをついていく。

馬の背に積まれた、いくつもの麻袋――

そこからは、かすかに鉄のような匂いが滲んでいた。


「この辺りでいいだろう」

アルディノンが手綱を引き、馬を止める。


幾人かの隊員が無言でうなずき、手際よく麻袋を降ろしていく。

地面に投げ出されたその袋は、重たく、沈むような音を立てた。

滲み出た赤黒い液体が、土をじわりと染めていく。


「……旗を汚せ」


短く、しかし濁りのない命令だった。

ロリエンヌ隊の数名が即座に動き出し、取り出したスモーキッド家の旗を地面に広げる。


一人がそれを靴で踏み、もう一人は短剣で無造作に裂く。

誰も言葉を発しなかった。

ただ、“見なかったことにする”ような無音の作業が続く。


アルディノンは、少し離れた場所からそれをじっと見つめていた。

感情を表に出すことなく、瞳だけがわずかに揺れていた。


(これで、奴らは“戦死”だ)

(自らの誤判断で敵軍に突っ込み、返り討ちに遭った――そう“記録”される)


手段は選ばなかった。

選べなかった。


ローダン・スモーキッド。

そして、その忠実な側近たち。

あの男が残した悪意を、法では裁けなかった。

だから――この手で、闇に葬るしかなかった。


「よし……本隊と合流する。行くぞ」

そう言うと、アルディノンは手綱を強く握り、馬を回した。


兵たちが静かに従い、列が再び整えられていく。


遠ざかっていくその背中を、血に染まった麻袋が見送っていた。

風がひと吹き、乱れた旗を揺らす。

赤く滲んだその家紋は、もはや誰の誇りでもなかった。


(帰るまで、少し時間がかかりそうだな……ロリエンヌ)


そう胸の内で呟いたアルディノンの瞳は、

前を見据えながらも――確かに、遥か遠くを見つめていた。



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