第3話 "Deep wounds and hidden tears"

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 最後は皆で笑っていよう。大団円って素晴らしい。

 でも、そんな物語……私は知らない。



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 人類はかつて、強大な敵に挑む時、人種の垣根を越え、共に協力し、

何度敗北しようと立ち向かってきた。

 その時代、人類は各人種から代表を選出し、小隊を組んで敵に挑んだ。

 後に、彼ら小隊は【勇者】と呼ばれ、それ以降時代を代表する者をそう呼んで、その輝かしい称号を受け継いでいる。



「勇者とは、力の証明であり、正義の旗印でもある。事実……そうでしたし、そうあるべきもの……ですが。その勇者の力は、時代を経て見る影もない程に弱まってきています」



 名も場所も、その存在意義さえも忘れ去られてしまった城の、綺麗に手入れされた中庭で。

 彼女は、メイド服のまま芝生の上に腰を下ろして、空を仰いだ。


 数百年もの間、一度も晴れることのないままの空が彼女を静かに見下ろしている。


「レヴィとタニアがと出会うのは、もう少し先。しかし、今のままでは飲み込まれてしまうだけですね……私にできることは限られています……しかし、ほんの少し背中を押すくらいのことはできるでしょう」



 風が僅かに流れ、古い城壁を撫でる。

 彼女は、自身の手の甲に触れた風の冷たさを確かめるように目を閉じる。



「場所は……そうですね。小さな喫茶店でも構えて、彼女たちとの縁が繋がるのを待つのもいいかもしれませんね」


 

 漠然とした不安が彼女の胸を締め付ける。

 その痛みは、過去に負った傷からくるものかもしれない。

 

 彼女は、その痛みを共有することも打ち明けることもないのだろう。

 そうするべき相手は、もうそばにいないのだから。


「全く……難儀な道を選びましたね……私も貴方も」


 かつて、彼女の隣には、自らを運命の歯車とすることを拒み、この世界に逆らうため、舞台に上がった人物がいた。

 その人物が、今どこで何をしているのか、彼女自身も全く知らない。

 それでも、二千年以上前に交わした約束は今もまだ生きている。

 

「貴方の血を引いたレヴィがこの時代に生まれ、その隣にタニアがいる……私は、きっとまだ歯車に過ぎない。それが正しかったのかどうか……解答を得られないまま、ただ役割を全うするためだけに生きて来ました。あの子たちが本当にこの世界を壊してくれるのであれば、その瞬間にこそ私たちの求めた答えがあるのかもしれませんね」


 音もなく彼女は立ち上がり、城の中へと戻っていく。

 彼女以外誰もいない、それでもこの世界の全てを知っている城の中へ。



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「コルト……少しは落ち着いた?」

「はい、ありがとう、ございます」



 一気に話し過ぎたせいか、コルトは胸を押さえて座り込んでしまっていた。

 タニアはコルトに寄り添い、背中をさすり続け、レヴィは少し離れたところで、黙ったまま何かを考えていた。


 コルトの呼吸が落ち着きを取り戻したのを確認して、タニアはレヴィの元へ静かに向かう。



「何考え込んでんの?」

「ん? ああ、なんていうかさ……やっぱり世界には私らの知らないことがたくさんあったんだなぁって」

「そりゃそうでしょ。私たち、ついこの間、初めて村の外に触れたばっかりなんだよ?」

「師匠もさ、獣人だったよな。そういう目に遭ったことあったのかな……師匠って自分の昔話とか全然してくんなかったけど」

「もしそうだとしても、私たちができることは少ないでしょ……今はまだね」



 レヴィは、そっかと小さく頷き、どこか納得したような顔で、コルトの元へ戻っていく。

 それを後ろから見つめるタニアの表情は、ほんの少しだけ切なさを帯びていた。


「コールトっ」



 いつもの調子で、レヴィはコルトの隣に並んだ。




「食べて寝て、しっかり生きないとなっ! せっかくコルトは今ここで生きてんだから」



 レヴィの笑顔には、不思議な力がある。

 理屈ではなく、心の奥の柔らかい部分に優しく触れてくるのだ。



「ありがとう、ございます。もう、大丈夫……です。街はもうすぐそこですから、行きましょう。コルトの話で足を止めてしまって、ごめんなさい」

「いいっていいって、こっちこそありがとな、話してくれて」



 レヴィがコルトの頭を優しく撫でる。

 コルトはまだフードを深く被ったままだったけれど、レヴィはそんなことは気にしていないかのように、優しく、丁寧にコルトと向き合っている。



「普段ガサツな癖に……ま、レヴィらしいっちゃ、らしいけど……」



 少し離れたところから、微笑みながらタニアが合流する。


 三人は再び、歩き始める。


 傷を共有することはできなくとも、共に過ごす時間はそこにあるのだ。

 そして彼女たちには、感情があり、それを伝える術もある。

 心の距離を近づけるには十分だった。


 世界をまだ知らない二人と、世界の残酷さを少しだけ知っている彼女の歪な絆は、確かにそこに存在していた。


 しばらく歩き続けた後。

 豊かな森を抜けると、潮の香りが微かに鼻を刺激する。

 【クラムローブ街】は、季節によってその表情を変える観光地として、多くの冒険者や旅人、吟遊詩人に好まれ、数百年以上前からそこにあった。

 その街を治める領主も、人種に対し寛容で、誰であろうと受け入れており、商業も盛んな街として賑わっていた。


 ……はずだった。



「どうなってんだよ、これ」

「ここがクラムローブ?」

「ど、どうなっているんでしょうか……」



 三人が森を抜け、目にしたものは、だった。


 外壁は巨大な何かに抉られたように砕け、石畳には焼け焦げた線が至る所に走っていた。

 

 かつて観光名物とされていた風車は、その羽根を一本だけ残し、他は捩じ切られてしまっていた。

 異様な静けさが、この街に起きた惨劇を物語っているようだった。


 

「とりあえず、中に入ってみるか。昨日今日襲われたって感じじゃないし、誰かいるかも知れないしさ」

「……そうね」



 レヴィは街を見渡し、違和感を抱く。


 

「なあ、タニア……私らが本気で暴れたとして、ここまでなると思う?」

「無理……絶対無理。魔力の残滓ざんしも残ってないみたいだから、詳しくはわからないけれど、仮に私たちが百人いても、ここまでのことにはならないと思う」



 二人は顔を見合わせ、昔聞いた話を思い出しながら、一つの可能性に辿り着いた。



「竜か?」

「かもね」

「これは……駄目だろ。どうやったらここまで街が壊されんだよ」

「レヴィ、どうする? この様子じゃここにいても何も得られそうにないけど……」



 そして、二人は同時に言葉を失った。


 コルトは街を見つめたまま震えていた。

 コルトにとって、この街こそが仲間との合流地点となっているはずだったからである。


 しかし、その場所が街としての機能を有しておらず、生存者さえ絶望的な状況で、この場所に留まることがどんな結末に繋がるのか、事態が不透明すぎて準備のしようがない。



「コルト、これからどうする? このままここで待つ? それとも、私らと一緒にさらに先の街に行くか……待つつもりなら、私らも付き合うよ。食糧はその辺の森で調達すりゃいいし、風呂は……まあ浜辺で水浴びくらいはできるだろうし」

「うっ……私のお風呂……でも、まあ仕方ない。コルトの安全が第一だしね」



 二人の冒険は、まだ明確な目的を持っていないため、多少の遠回りや寄り道は問題ない。

 しかし、この場にいて、いつ誰が来るのかもわからない状態というのは、精神的によろしくない。

 それは皆、共通の認識としてあるのだろう。

 コルトも、どこか申し訳なさそうにしている。



「あ、あの……コルトはもうしばらくここで待ちたい、です……けど、二人は先に行ってもらっても大丈夫ですよ。あのヒトたちのお仲間さんは、ここで待ってるって言ってましたから、きっと来ると思うんです」



 コルトの答えに、二人はしばらく考え込む。

 レヴィとタニアが抱えている疑念は、おそらく似たようなものであろう。

 ここまでの間、コルトの話を聞いていて、拭いきれなかった違和感。

 

「なあ、コルト。一個だけ聞いてもいい? その……助けてくれたヒトってのはさ、どんなヒトだった? いや、そこを疑ってる訳じゃなくて……なんでコルトがその人たちのことをそこまで信じてるのかが気になってな」

「えっと……二人には言いずらいんですけど、その……」

「ニンゲンじゃなかったから、かな?」



 コルトの視線は落ち着かず、口元が震えている。

 それは、答えを教えているのと同義だった。



「そ、その、えっと、コルトは……二人のことを信じてない訳じゃなくて、ニンゲンのことを全部否定するとか、そ、そんなつもりは……」



 精一杯言葉を紡ぐコルトの姿は、痛々しかった。

 

 その時だった。



−−−−−−ザッザッザ



 次に誰が口を開くのか、三人が見合っていると、レヴィの背後から足音が一つ。

 耳が常人より良いはずのレヴィも、種族的に音には敏感なコルトでさも、その瞬間まで、その存在に気がつくことができなかった。

 


「二人とも下がれっ、誰か来るっ」



 すぐに動いたのはレヴィ、タニアはその声に即座に反応し、コルトを抱えて距離をとる。



「いやぁ、良いわねぇ。若い子の反応は、何回見ても元気をもらっちゃうわ」



 瓦礫の影から出てきたのは、筋骨隆々で白衣を着た、妙に艶っぽい人間種の男だった。

 


「な、なあタニア……あれって人、だよな?」

「見た目が強烈なだけで、人間だと思うけど」



 男に聞こえないよう、小さな声で話す二人。



「あら、どうしたのかしら? 私の顔に何かついてる?」

「いや……そうじゃなくて」



 レヴィはわかりやすく狼狽している。

 それは、非常に珍しいことであり、タニアでさえ滅多に見ることはなかった表情である。


 レヴィやタニアがいた【イルシオ村】では、お目にかかることのなかったがそこにはいた。



「いやねぇ、私が美しすぎるが故に、若い子たちの視線を独り占めしちゃってるのかしら……ねぇ、そんなわけわかんないもん見るような目で見てないで、何から言ったらどうなのよ」

「あ、いやっ、えっと、ちょっとびっくりしちゃっただけで」



 絶えず、あたふたするレヴィ。

 タニアはちゃっかりレヴィを見捨てて、コルトと共に遠巻きに様子を伺っている。


 ある意味で、息の合う二人である。


「まあ、いいわっ。良いレディはね、小さなことで怒ったりしないもんよ。それで、話に割り込んじゃう形になってしまったけどね、お嬢ちゃんたち、この街からできるだけ早く離れなさい。特に……そっちの獣人のお嬢ちゃん」


 男は口調も振る舞いも変えなかったけれど、最後の一言だけは鋭い視線でコルトを刺した。



「ま、待ってくれ!」

「何かしら? 言いたいことがあるのなら、聞いてあげるわよ」



 男の視線に怯え、身構えるコルトを庇うように、両者の間にレヴィは割り込んだ。



「いきなり現れて、あんた何なんだよ! 言っちゃぁなんだけど、怪しすぎるって。こっちは街に着いたと思ったら、こんなことになってて……まだ色々追いつけてないんだって……」

「お嬢ちゃん、それ……本気で言ってるの?」

「え?」

「この街が、もう二年も前のことよ? それを知らないなんて、お嬢ちゃんたちの方が、よっぽど怪しいと思うけどねぇ」



 三人は息を呑んだ。

 男は肩をすくめ、説明を始める。


 

「ちょうどこのくらいの時期だったかしら……たった一匹の竜によって、街は跡形もなく壊されたのよ。それからこの街は、誰も治めることのないまま、今日まで放置されているってわけ。つまり、無法地帯なのよ。ヒト攫いや殺しなんて日常茶飯事なんだから」



男は、体を無駄にくねらせながら、話を続ける。



「特に、この街は人間の領土に近いこともあって、他の人種の子は漏れなく狙われてるみたいよ……獣人、しかも戦いが不得手な兎人種なんて。半日だって保たないわよ? 私で良ければ護衛くらいはしてあげるけど、軍を挙げての行軍なんか来たら、流石にお手上げね……いい? お嬢ちゃんたちがどんな目的でこの街を訪れたのかは聞かないけど、一つだけ美しいお姉さんからの忠告をしてあげるわっ。ニンゲンを信じすぎちゃダメよ、特にフマニス帝国の人間は特に……ね」



 男の言葉には、どこか重たい感情が乗っかっている気がした。


 それは、三人とも感じている。

 竜によって滅ぼされたということ。

 人間種がこの街で悪事を働いているということ。


 そして、《フマニス帝国》という国の名前。


 それが、コルトの言っていた帝国軍というものと関わりがあるかは定かではないけれど、可能性は捨てきれない。


 コルトの肩が小さく震え出す。


 すかさず、タニアはコルトの肩を抱き、落ち着かせようとするけれど、その様子は一向に見られない。



「おい待てって、おっさ……いや、お姉さんだっけ? 私らは、ただここでヒトを待ちたいだけなんだけど……あ、そうだ! この辺で人間じゃない……えっと、なんて言えばいいんだろう、見慣れないヒトとか見なかった?」

「そうねぇ、私も常にここにいる訳じゃないから……断言はできないけど、私の知る限りでは見てないわね。そ・れ・とっ、私のことはヨルお姉さんとでも呼んでちょうだい……こっちに来なさい。せめて、もう少し安全な場所で話しましょ」



 レヴィの問いかけも、なかなかに不自然ではあったのだけれど、ヨルと名乗った男の提案は、さらに輪をかけて不自然なものだった。

 

 それもそのはず。

 今彼女たちが立っているのは、かつて街が栄えていた頃、観光名所の一つとされていた、大噴水があった場所である。


 これ以上ない程に開けた空間となっており、仮に彼女たちを狙う者がいても、気付かれずに近づくことはほぼ不可能と言ってもいいだろう。

 目立つが故に安全といえる場所なのだ。


 それでもヨルという男は、移動すべきだと三人を先導するように、瓦礫が散らかっている方へと歩いていく。


 三人は顔を見合わせるけれど、なかなか足が動かない。

 ここで最初に動いたのは、意外にもコルトだった。



「行ってみましょう……私たちには、多分、じょ……情報が必要だと思います」



 コルトが震える声で言った。

 少し驚いた顔をしたレヴィとタニアだったけれど、三人の中で一番臆病なコルトが前に進もうというのなら、それを否定する理由はない。


 三人は、意を決して、男の後に続いた。



「遅いわよ、もう一度迎えにいこうかと思ったじゃない! その辺に適当に座ってちょうだい」



 ヨルは腰に手を当てながら、三人にその場に座るように促す。



「さてと……」



 白衣の裾を払いつつ、ヨルは三人に鋭い視線を向ける。



「ここなら問題ないでしょ……それで? もう一度詳しく聞かせてくれる? お嬢ちゃんたちは、誰かもわからない相手を待っていて、それがいつになるかもわからないって認識で合ってるかしら?」



 レヴィは一歩前に出て、男の質問に応える。



「詳しくは言えないけど、そんな感じかな。それより、ここの方が危なくないか? 死角は多いし、逃げ道が限られてるように見えるんだけど、どういうつもり?」



 男は、嬉しそうに妖しく笑う。



「あら……ひと目見た時からなかなかいい素質を持っているとは思っていたけど……なるほどなるほど……いいわねぇ。その通り、ここは死角が多くて、逃げ道は少ないわ。でもね、覚えておきなさい。こういう管理されていない場所ではね、人目につかない場所の方が安全なのよ……例えばここは死角が多い代わりに、相手が仕掛けてくる方向は絞れるわ。それに、ここを襲うとして、何人で仕掛ける? この狭い空間に十人も二十人も押し寄せる訳にはいかないでしょ?」



 レヴィは、男の解答に目を丸くして驚いた。

 それは、戦いの中に身をおいている者の考え方だ。

 少なくとも、白衣を身に纏い、わざとらしい口調でふざけている者から出る考えではない。



「なるほどね、ヨル…お姉、さんの考えはわかったんだけどさ、あんた何者? 見た目は医者っぽいけど、私らより強いだろ、あんた」

「うふ、うふふ。心配しないでちょうだい。私はただの医者よ、元軍人だけどね。今は軍を辞めて、国を追われる身だから闇医者っていうのが、正しい自己紹介になるけど」

「元軍人……どこの?」

「フマニス帝国」



 その名は、先ほどヨルの口からでたものと同じだった。


 三人の警戒が強まる。

 しかし、だからこそレヴィはもう一歩踏み込む。



「その国を追われるって、何やらかしたの?」

「大して面白くもない話よ? 私はね、さっきも言ったけど、元軍人……フマニス帝国のね。あの国は人間至上主義で、他人種を等しく見下してるのよ。私は医者として、怪我している子や病気で苦しむ子を見捨てたくなかった……軍には内緒で、治療してたんだけど、それがバレて殺されそうになったから、国を出たって訳よ。ただそれだけ……どこにでもあるような退屈な話よ」



 そう話す彼の声には、皮肉と自嘲と、深い後悔が混じっている。

 


「ヨルデンハイツ軍医中将、それが私の階級だった。それなりに軍にも国にも貢献していたつもりだったんだけどね……あの国では人間種以外への医療行為は、許可が降りない限り犯罪扱いになるのよ。腐ってるわよね。あの国で生まれた私が言うから間違いないわよ。お嬢ちゃんたち、フマニス帝国に行くことはお勧めしないわ。表面上は、世界一の技術国を謳ってはいるけどね。蓋を開けてみれば、なんて事はない選民思想の戦争大好き人間の寄せ集めでしかないわ……」


 

 ヨルデンハイツは淡く笑う。

 情けなく、そしてどこか誇らしげに。



 ヨルデンハイツ、彼は一枚の手紙を取り出して、それをコルトに向けて差し出した。



「違っていたら、笑ってくれていいんだけど……獣人のお嬢ちゃん、あなたの故郷にノルジアという子はいなかったかしら?」

「……え」


 ヨルデンハイツの口から出た名前に、コルトは堪らず反応してしまった。

 その反応を見て、レヴィとタニアはヨルデンハイツを睨みつけるけれど、対する彼は自身の予想が当たったことに、やるせない表情を見せた。



「……そう、じゃあこれはお嬢ちゃんにあげるわ。そのノルジアという兎人族の子が、最も大切な相手に残した言葉よ」

「……ノルジアは、コ、コルトのお姉ちゃんです。どうしてあなたがお姉ちゃんを知っているんですか! お姉ちゃんは今、どこに……」



 ヨルデンハイツは深く息を吸い、重たい口をゆっくりと開いた。



「さっきは言わなかったけどね。私は軍の指示で、亜人種の子たちのを任されていたのよ。定期的に……軍が外で捕らえ、技術部が使子たちの、ね」



 その言葉に、コルトは息を呑む。



「その中に、一際強い魔力を持った子がいた……その子の名はノルジア」

「……お姉ちゃん」

「今は、まずその手紙を読んであげて。私が言えたことではないけど、あの子があなたに向けて懸命に残した言葉なんだから」



 コルトは、震える手で手紙を開く。

 


「……ひとりで泣かないで……たく、さん走って、生きて……って。……うぅ、どうして……お姉ちゃんっ! どうしてっ」



 コルトの震える肩を、タニアが優しく抱きしめる。


 流れる涙は、落ちる先を選べない。

 言葉にならない想いを含んだそれらは、静かにコルトの頬を流れていく。


 ヨルデンハイツはレヴィに目配せをして、少し離れたところへ行くよう促した。


 コルトたちから少し離れた場所で、二人は重い空気のまま向き合っている。



「あれは、どういうこと? 本当にコルトの姉さんなのか?」

「あの子のお姉さんかどうかは、私にはわからなかったわよ。ただ、フマニスの軍が二、三年前に数人の兎人族を捕虜として連れてきたことがあったのよ。それから定期的に、兎人族の子があの国に連れてこられていたわ」

「待てよ……じゃああんたがいた国は、コルトのいた村をぐちゃぐちゃにして、コルトの家族を連れ去ったってことだよな?」



 レヴィは拳を強く握る。

 怒り、悔しさ、無力感。

 様々な感情が、レヴィの胸の中で暴れている。



「そう言ったわよ、その認識で合ってるわ。そして……私が国を追われた件も、その兎人族の子たちが関わっているから、他人事じゃないのよ。私が最後に診た子が、ノルジアだったんだけどね、酷い実験を受けていたんでしょうね。毎日血まみれで、病室に運ばれて来てたわ。自力で動けるのなら、逃してあげる道もあったけど、あの子にはもうその気力は残ってなかったから……せめてあの子の言葉だけは、私が届けてあげようと思ったのよ」


 

 レヴィは握った拳をどうしていいのかわからない。

 

 コルトにとって、ヨルデンハイツは警戒すべき帝国軍の内部にいた人間なのだ。

 簡単に心を開けるわけがないし、彼らがしてきたことを考えれば、この場で報復したところで誰にも文句は言われないだろう。


  しかし、目の前の男は、コルトの家族を看取った医者であり、悪い者ではない可能性が高いのだ。



「あのお嬢ちゃんの格好からして、捕虜になったところをなんとか逃げ出したってところかしらね……運が良かったわよ。フマニス帝国に入れられたら、死ぬまで実験の被検体にされてただろうから。ノルジアの手紙が、あの子の元へ届いてよかったわ……これで一つ、私の役目は終わったわね」

「一つ、聞いてもいいですか?」


 

 いつの間にか、タニアはレヴィたちのすぐ後ろに立っていた。

 タニアの瞳は怒りではなく、悲しみと拒絶で揺れていた。



「コルトは帰る場所もなくなって、家族も殺されたんですよね……。どうして、ですか? なんでそのフマニス帝国はわざわざ兎人族を捕まえて、実験なんかして……何がしたいんですか?」



 ヨルデンハイツの顔に僅かに影が落ちる。



「……知らない方がいい、とも言えないわね。あなたたちはもう関わってるわけだしね。あいつらはを作っていた……そのために人間では耐えられない実験を、他人種に押し付けて進めているのよ……綺麗事の裏側でね」



 タニアの目が鋭く、ヨルデンハイツを睨みつける。

 レヴィの拳からは、ポタポタと血が滴っていた。



「人を助けるためのこの手が、一体誰を救っているのか。怪我を治して、送り出した子たちが向かう先は、明るい未来なんかじゃなかった。ただ薄暗くて、狂気で満ちた実験室に向かっていく子たちを見た時、全てが崩れた気がしたのよ」

「……そんなこと」



 絞り出したかのようなレヴィの声。


 ヨルデンハイツは、目の前に立つ二人の目を見て、ほんの少しだけ救われたように微笑む。

 


「私が謝って済むことじゃないんだけど、それでも償いたくてね。私が今まで看取ってきた子たちの故郷を回る旅に出たってのが、今の私。せめてって伝えたくてね」



 レヴィもタニアも、頭ではわかっている。

 目の前の男もまた傷を負っていることを。


 しかし、それでも男のしてきたことは、決して容認できるものではない。

 例え、レヴィとタニアに直接的な被害がなかったとしても。



「いいわよその目、簡単に信じちゃ駄目……長生きしたいのなら、簡単に他人を信じないで。あなたたちより少しだけ長く生きて、少しだけ人間の残酷さを知っているお姉さんからのありがたい言葉よ……受け取っておきなさい」



 ヨルデンハイツは、何かを諦めているかのような遠い目をして、二人に優しく微笑んだ。


 過去に起きたことは、何をどうしたところで消えはしない。

 それでも、彼は動かずにはいられなかったのだろう。

 それが償いだろうと偽善だろうと。


 ふと見上げた空は、能天気に晴れ渡っていた。

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