*

 三ツ瀬家の墓に参り、骨壺をあけて那由多の小指を返したあと、由利はつづけて西川美帆の家に行くと言った。


 瀬尾が西川美帆と実際に顔を合わせるのははじめてである。玄関先まで出てきた美帆は、写真よりも伸びた髪を耳の下で結わえていた。暗い表情ながらどこかふっきれたようにも見える。


「変なこと言うんですけど、那由多が来てくれた気がしたんです」


 由利は「変じゃないよ」と頷いた。


「待たせてごめんねって、那由多が。……私、都合のいい夢を見ていたみたい」

 だけど、夢でも逢えたからよかったんです。そう言って美帆はため息のように笑った。紙のようだった顔色に、すこしだけ色がついてきた。


「そっか。それならよかった。那由多君はやさしい人ね」


 微笑もうとした美帆の顔が、ふいを突かれたように固まる。張り詰めていた糸が切れ、彼女の表情は悲しみに崩れた。


「那由多……」


 嗚咽する美帆の肩に、由利はそっと腕を回した。

 自分の肩で声を殺して泣く美帆が自然と立ち直るまで、由利はしずかにスーツの肩を濡らしていた。



 本当なら、那由多の霊と引き合わせるつもりだったのだと、帰りの車で由利は言った。


「だけど、私がなにかしなくても、那由多君が自分から西川さんに逢いに行っていたから」

 そうほっとした顔でつぶやく由利の首に、まだ陽葵の痣が痛々しい。


「にしても、かわいい顔してえげつない子でしたね」


 最後には那由多からも離れ、本来の彼女に戻っていたようだが、片想いの弟に執着して指まで切り落とすなんてどうかしているとしか思えない。しかも噂をばらまいて後輩をいじめ、不登校に追い込むなんて、エキセントリックというか究極の自己中心主義だろう。


 移り行く窓の外を眺める由利は、瀬尾の言葉にうなずかなかった。むつかしい表情のまま、言葉を選んでいる。


「人道で人を諭せるほど、私はまっとうな人間じゃない。瀬尾君がいてくれたおかげ。ひとりだったらここまでできなかった」


 まだ終わってないけどね、と付け加える。弓田に頼んだ講演と、陽葵と美帆の両方が復活できるまで、この案件は終わらない。


「……そんなことないでしょう。由利さんはすごいです」


 まっとうなふりだけがうまい卑怯者は自分だ。自分は分不相応に出しゃばって問題を広げただけ。由利がどうして自嘲めいたことを言うのか、瀬尾にはわからなかった。


 美帆の家を経由したことで、事務所への距離はぐんと長くなっていた。斎藤は陽葵の親が帰ってくるまで一緒にいると言っていたから、陽葵の家に置いてきている。


「今回は生者と死者だったけどね、たとえ生きている者同士でも、片想いでする縁結びは呪いなの」


 由利は不思議な言い方をした。


「え? でも、縁結びってそもそも片想いでするものじゃないですか」

「そう。だから、縁結びは呪いなんだよ。意に染まない相手を自分のほうに向けるんだから」


 那由多が生きているあいだから、陽葵は那由多との恋の成就を願っただろう。仲の良い姉弟としてだれよりも近い場所にいて、なおかつ血は繋がっていない。そんな神様のような十全の立ち位置に、欠けているものは那由多の愛だけだった。


「それがうまくいくとしたら、こわいですね」

「そう、こわいんだよ」


 ゆるいカーブを着実に曲がる。見晴らしの良い単純な道ほど難が待ち構えている。


 斎藤は陽葵の狂乱を見ても、なにも態度を変えなかった。泣こうが喚こうが、由利の首を絞めようが。そして弟への邪の結晶のような小指の呪いを見ても、ただひたすらに陽葵を見つめるだけ。そのまなざしは純度の振り切った愛に裏打ちされたものだった。


 瀬尾には陽葵が、小瓶を由利に返したときの斎藤の横顔が忘れられない。


 愛おしさと、同じくらいの勝利の確信と。うっとりしたような、甘い陶酔。

 恋情を手放した陽葵と反対に、彼は待ち焦がれた横恋慕の終わりをようやく得たのだ。


 ハンドルを持つ手がすこし震える。運転に支障はない程度だが、拭った汗は冷や汗だった。


 追う陽葵と待つ斎藤。

 身体を切り刻むほどの執着をやっと捨てた陽葵は、もうじき待ち続けた斎藤に堕ちるのだろう。


 彼と彼女。どちらの愛がより重たいかなど、瀬尾にはわからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る