翌日の金曜日、瀬尾は由利と連れ立って徒歩で陽葵の通う高校に向かった。彼女の通う高校、通称一高は、運動公園と都立の巨大な図書館のある文化的なエリアに鎮座する伝統校らしい。

 由利が情報収集のときにはなんと名乗っているのか気になっていたが、案外ふつうに名刺を出して「藤倉弁護士事務所の由利翠子と申します」と挨拶するので逆に拍子抜けした。 

 それだけしか名乗らないのか。嘘ではないがフェアでもない。名刺には『特別相談窓口 主任』の肩書があるし、いきなり挨拶されて名刺だけを見ればなにも知らない人なら心霊調査とは思わないだろう。


 ていうか由利さん主任だったんだ、と思いながら、瀬尾も今朝渡されたばかりの名刺を渡して挨拶した。こちらは『特別相談窓口 瀬尾俊哉』となっている。渡し方は出てくる前に由利に教わって練習した。一応、練習の成果は出せたと思う。


「お電話いただいていた方ですね、担任を呼んできますので」


 電話でアポはとっていたらしく、お昼休みというこの時間帯も学校側が指定したものだったらしい。

 談話室、と札の下がった狭い部屋に通されて、緊張しながら瀬尾は由利ともども担任と対面した。クーラーのない部屋は節電中らしく電灯が消されていたが、西向きの窓がいやに爛々と陽光を送ってくる。


 担任は二十代半ばくらいの大人しそうな男性教諭だった。またおなじ名刺のやりとりをしたが、担任は名刺を携帯していないそうで、ただ単に「三年五組の細川です」と名乗るだけだった。ややくぐもった声で、あまり経験のない状況になのか目線が低空飛行している。


 紺のポロシャツにベージュのチノパンの、典型的な若手教師。おそらく理数担当だろうな、と瀬尾はあたりをつけた。


「弁護士事務所の方ということですが、三ツ瀬那由多の件で僕にどういった……?」


「ご親族の方から、姉の陽葵さんが那由多さんの事故死で深くショックを受けて体調を崩しておられると伺いまして、そちらの方面からも事件について調査してほしいという依頼を受けております」


 由利はすらすらと言い切り、落ち着いた笑みを見せた。実年齢はそう変わらないのだろうが、由利のほうが断然頼りがいのある大人の風格がある。案外演技がうまいのだ。


 なるほど、と細川はうなずいて汗をぬぐった。

 三ツ瀬那由多の事故死、および三ツ瀬陽葵の変化については、当然把握していると細川は言った。事故はショッキングなできごとで、全校集会もしたという。いまもまだ、生徒間で悲しみは癒えていない。


「陽葵さんの様子がおかしいことは、担任ですから知っていますし毎日見ています。ただ、情けない話ですがどうしていいかわからないのが僕の実状なんです」


 親御さんもまだショックでしょうから、よけい心配をかけるわけにもいきません、と細川は顔を曇らせた。


 由利からは三ツ瀬姉弟の両親とも話ができたと聞いている。単独行動の初日に自宅を訪れたということだった。さらりと報告される由利の行動力には毎度驚かされる。


 由利からの共有事項では、両親ともにまだまだ事件の渦中にいる。母は娘の変化を気にはしているがなにをしていいのかわからない。パートにも復帰して一見平常そうにしているが心労の大きさが痛ましかった。一方同じく苦しい状況にあるようだった父は、娘の奇行にまったく気がついていないということだった。


 もっとも陽葵は家では自室にこもりがちということだから、その変化も見過ごされやすいのかもしれない。だが学校からの積極的な関わりがあればもっと両親の動きにも変化がありそうに思うが、そうしづらい理由でもあるのだろうか。


「心中お察し致します。陽葵さんは、学校には通っておられるということですが」

「そうですね、ただずっと譫言をつぶやき続けていて……ひとりごとを注意しても全然聞きませんが、見るからにふらふらでも授業には出るんです。部活は退部しましたが、体育の授業には出ているみたいで。あ、だけど……」


 細川はなにか思い出したらしく、口元に手をやって瞬きをした。


「那由多くんの追悼集会のときだけは、最初から最後までいなかったんです。点呼のときに気がついたんですが、彼女の心情を考えるとしかたないかと思って、あえて探しませんでした」


 そういうときほど探したほうがよくないか。気持ちが不安定なら後追いの可能性も考慮すべきじゃないか。

 いまいち対応が解せない瀬尾の隣で、由利が小さく身じろぎをする気配がした。心配そうな顔を崩さない由利だが、いまの細川の言葉のどこかに反応している。


 由利はほかにもいくつか質問をして、「できればクラスメイトの方も、数名ご紹介いただけないでしょうか」と頼んだ。細川はしばらく渋い顔をして悩んでいたが、ちょっと上に確認してくると言って談話室を出た。


「メモ、大丈夫?」


 瀬尾は由利の横で、メモをとる係ということになっていた。もちろん小型のボイスレコーダーも机の上に出してある。



 顔を赤くして談話室に駆け込んできた細川は、「二人準備できました」と言った。


「ただ、そんなことにはならないと思うのですが、生徒たちもショックを受けていますのでくれぐれも発言には気をつけていただきたいんです。それだけはおねがいします」


 由利は必ずそのようにしますと約束した。


 ひとりめはおなじクラスで、細川の評価では陽葵と仲がよかったという女子生徒だった。自然と過去形にしていることに、きっと細川は気がついていない。


 女子生徒はいきなり事情聴取のような場に連れてこられたことで、ずいぶん困惑しているようだった。三ツ瀬陽葵さんのことで、というと、露骨に顔をしかめてうつむく。だが由利が守秘義務の徹底を話しこれが陽葵を助けるのに必要なのだと説得して、なんとか「先生が外に出てるならいい」という譲歩を引き出すことができた。


「可哀想だと思う。陽葵は那由多君のこと大好きだったから……おかしくなっちゃうのもしかたないのかなって。早くもとの陽葵に戻ってほしいけど、ちょっとね……みんな避けちゃってるし。でも、抜け毛とかはほんと可哀想だよね」

「抜け毛? 陽葵さんの髪の毛が、ですか?」

「自分で抜いたりとかはしてないんですけど。なんか、陽葵のいた場所にすごい量の長い髪の毛が落ちてるの。陽葵ってもともと髪長かったけど、事件のあとで切ったから、抜け毛が陽葵のだと長さ的にありえないんだけど」


 初耳だ。三ツ瀬陽葵のものではない髪の毛が、なぜ彼女の近くに集まるのだろう。そしてそれはなにを意味しているのか。


 陽葵の机のまわりとか、ひどいことになってるよ。えげつない。言いながら女子生徒の声は段々と小さくなり、白いセーラー服の小さい肩は強張ったようだった。


「そのこと、こわいと思う?」


 女子生徒は丸っこい瞳をふせた。答えを渋るように身体を揺らすので、長めのボブにそろえた毛先が揺れた。


「言っちゃだめだけど、こわい。髪の毛だけじゃなくて、ちょっといっちゃってるとことか、全部。だって異常じゃん。可哀想だけど一緒にいたくない」


 由利は深い瞳をして頷いた。「そう、あなたもしんどいわね」。由利がそう言うと女子生徒は恥じるように唇を曲げて首をすくめた。



 二人目は、クラスは違うが陸上部で一緒だったという男子生徒だった。こちらは協力的な雰囲気で、細川も追い出されることはなかった。

 よく日焼けした小柄な生徒で、由利が水を向けると専門は陽葵と同じく短距離だという。さらに去年はクラスも一緒だったらしい。


「とにかく陽葵と那由多って仲がよくて……あのふたり、ほんとは血が繋がってないじゃないですか。あやしいなあとか思ったりもしたんですけどそれはなくて。那由多はふつうに彼女もいたし。でもあのふたりがやっぱり陸上部の中心っていうか、あのふたりにキャプテンの斎藤っていうの入れてそれで部が成り立ってたみたいなものなんで、つらいです。すごく」


 陽葵と那由多は血が繋がっていない? 瀬尾は思わずメモをとりながら訊き返しそうになった。だとしたら、仲がいい姉弟の意味は自然変わってくる。周りの眼も、本人たちの意識も。


 由利は知っていたらしくうなずいているだけだが、興味深い眼で男子生徒を見ている。どうやら斎藤・陽葵・那由多の関係性の客観見がほしいらしい。


「キャプテンは斎藤さんで、陽葵さんは副キャプテンだったって聞いたけど、那由多君は一学年下よね? そのなかで那由多君はどういう立ち位置だと思った?」

「うーん。那由多って明るい、いいやつなんですよ。ムードメーカーで、専門は長距離だったんですけど実力もあったし、学年とか専門関係なく好かれてました」

 あの写真の印象ではたしかにそうかもしれない。訊けば陸上部の断トツのエースは斎藤伊織で、一万メートルでインターハイにも出場しているという。来所したときの印象も見るからに好青年だった。そんなエースでキャプテンの先輩にもたれかかって写真を撮れる距離感は、よっぽど気のいい愛されキャラだったのだろう。少なくとも、すごい先輩に臆している様子はまったくなかった。もし斎藤と那由多が兄弟と言われても納得ができたと思う。


「その、三ツ瀬さんの家庭の内情っていうのはみんな知っていたことですか」

「どうだろ……みんなではないけど、仲のいいやつはみんな知ってたんじゃないですか。陽葵も那由多も隠してなかったし」


 じゃあ当然斎藤も知っていたことになる。それならどうして、この前はそのことを言わなかったのだろう。


 言いたくなかったのかもしれない。彼は死者に嫉妬している。それは那由多が生きているときから変わらなかったのだろう。血の禁という対的有利がひっくり返った瞬間の絶望を、彼はきっと忘れられないに違いない。


「那由多君の彼女の女の子も、つらいでしょうね」


 ふと漏らしたふうのひとことは、由利の確信犯だった。

 それまでは割合饒舌にしゃべっていた男子生徒が、包丁を突き付けられたように硬直した。部屋の入口近くで腕を組んで待機していた細川も同じような顔で固まっている。四人しかいない狭い部屋はしずかに、だがあきらかに波打った。

 細川がなにか言おうとするのを察した男子生徒は、それに軽蔑したような一瞥を投げた。


「その子、学校休んでるんです」


 ここまで来たらぜんぶ言ってやるという決意が眸にこもっていた。


「西川美帆っていうんですけど、那由多が死んだ日に、最後西川と逢う約束してたって噂が広まって、西川のせいで那由多が殺されたんだって」


 つきあっていた恋人が死んで、そのきっかけの遠い一因に自分がいる。恋人が死んだだけでも苦しいのに、自分は悲しむだけの立場にいられない。自分で自分を責め、そしてそのことが広まれば、彼を好きだった人からもどうでもよかった人からも責められる。


「その約束っていうのが本当だとしても、そのせいで那由多が死んだのとは違うのに。西川は、那由多とおんなじクラスだったのにお通夜にも葬式にも出させてもらえなかったんです。クラスのやつらに締め出されて」


 お通夜の会場の入口で、おまえのせいで那由多が死んだのだから被害者ヅラをするなと言われていた。陸上部のメンバーと揉み合いになっているのも見た。雨の降っていた通夜会場の入り口で、突き飛ばされた西川美帆は派手に水たまりに転んだ。登校してみれば上履きは汚物にまみれ、クラスに行けば机が捨てられている。教卓に自身の写真が遺影として飾られていた。しばらくは我慢して学校に通っていたが、エスカレートする行為に彼女は徐々に学校に来なくなったという。


 人気者の生徒を失ったショックが、集団をヒステリックに変えたのだ。みんな、心の穴を埋めるように復讐対象を祭り上げた。


「西川は事故の犯人にされたんです。悪いのは飲酒運転をしたやつであって、西川のせいじゃないのに……もともと人気者の那由多とつきあってることで、結構女子から妬まれてるところはありました」


 瀬尾はちらりと細川に目を向けた。男子生徒の後方、ポロシャツの腕を組んだ細川は、ハラハラした顔で自分が連れてきた証言者を見つめている。だが異論を差しはさまないのは、いまのところその語る内容は事実と認めざるを得ないからなのか。


「西川さんも陸上部なの?」

「はい、マネージャーでした」

 写真はある? と由利が尋ねると男子生徒は少し考えてからスマホをとりだして画面を操作した。手早くスクロールして、部の集合写真らしいものを見せた。以前斎藤が見せてくれたものとは雰囲気がちがい、かっちりした雰囲気でコーチらしい教師も写っている。前列のセンターに斎藤と陽葵がいた。那由多も二列目の真ん中寄りにいる。男子生徒の指は最後列の端を拡大した。


 三人いるマネージャーのひとりを示す。肩につかない長さの黒髪で、くりっとした瞳が可愛らしい雰囲気を醸し出している。二年生で、陽葵とも仲がよかったという。


「細川先生、二年生の西川さんの件は事実に相違ありませんか」

「……はい。ただ、もうすぐ夏休みですから、そのあいだに関係を修復していく方針でした」


 男子生徒が鼻で嗤った。瀬尾には、彼が嗤ったのは彼自身のような気がした。


 最愛の弟を失った姉はなにかに取り憑かれて引きずられるように日常生活を送り、恋人を失った少女は周囲に責め立てられて学校に来られないでいる。


 解決すべきは、依頼者の頼みだけでいいのか。途中で出会ったこの問題は、心霊ではないからと放っておいていいのか。


「その、西川さんの問題も、私たちが手助けできればと思います」 


 瀬尾ははっきりと言い切っていた。


 眼を丸くした男子生徒が、それでもすこしだけ口もとを期待にほころばせた。細川は心配そうな表情のまま、顔の縦線が増した感じだ。

 そして由利は黒い瞳をこぼれんばかりにして、信じられないというように瀬尾を見つめた。だがそのまま薄い唇が弧を描く。最初から計画済みだったように、由利は後始末を引き受けた。


「はい、こちらの案件も、当事務所がお力になれればと存じます」


 自信があるような顔でうなずきながら、瀬尾の心臓は高速ドリブルでも喰らっているかのようにじたばたしている。さあどうする。任務を増やしたのは自分。由利にすがることはできない。それも、解決の難しいいじめ問題だ。


 だけどだからこそ、見過ごすことが出来なかった。


 宣言通り、由利は西川美帆のことについて詳しいことを重ねて訊いていく。もともとの友人関係、彼女の性格、学校での様子、那由多との交際について、那由多の死後、彼女になにが行われたのか。男子生徒と細川からすべて引き出し終えると、西川のクラス担任や陸上部の顧問にも話を聞きに行った。


 学内調査の予定時間はとっくにオーバーしている。だが瀬尾は時間なんて気にしていられなかった。


 西川美帆を調査対象としたことで由利の来訪は当初の計画からはずれ、幾分越権した内容になっていった。なんの権利があって弁護士でもない人間がそれを探るのかと厳しく尋ねられもした。三ツ瀬那由多の交通死亡事故と一クラスの人間関係のトラブルは関係ないだろう、と。


「いえ、この事件がおきなければ、それは発生しなかった。飲酒運転事件がなければその女子生徒が傷つくこともなかったでしょう。ですから、我々はこれを事件の被害と考えますし、一緒に解決していくべき問題だと捉えております」


 自信ありげにそう言い切って相手をなんとなく納得させる。そして質問を重ねていく由利はいよいよ魔女めいて見えた。


 お通夜の会場で揉めているのは、引率の教師も目撃していた。死去の知らせと前後して、LINEで噂が広まったという。冬の枯れ山に火をつけるように、噂は一瞬で燃え広がった。とくにいじめの中核となる生徒がいるようには思えない。クラスで話はしている。電話で保護者とは話したが、本人には出てもらえなかった。家庭訪問の予定はない。


 魔女の隣に下僕のように控えてメモをとる。ぽつりぽつりと浮かび上がるもうひとつの問題が耳に苦い。

 こんなあきらかな事件を放置してはいけない。だけどいま自分はこの問題には他人でしかないのだ。距離のある第三者。だからこそとれる解決へのアプローチとはなにか。


 瀬尾は必死に自分が広げた風呂敷の解決案を探っていた。

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