5.銀のカナリア亭の一日③
サンドイッチを食べ終えて、デザートにラチカの実を食べて、水で喉を潤して。
ディアナは次にナタの手入れにかかった。
まずは川の水で、メタルポインターの血をあらかた流す。次に上から降り注ぐ木漏れ日に照らして、汚れや刃こぼれがないかを確認する。あれほどの猛攻を受けたにもかかわらず、ナタはかすかな窪みが無数にある程度だった。それも、表面を撫でてやっとわかる程度。打ち直しに出すほどでもなかった。
ひとしきり確かめたら、リュックから砥石を取り出して、水で濡らしながら刃の根元から軽く研ぐ。
森で狩りをする者にとって、武器は仲間以上に己の身を預ける大事な相棒だ。少しでもメンテナンスを怠れば、
ディアナは一心不乱に、二メートルの刃を研ぎ続ける。三時間かけてそれを終わらせると、刃が錆びないように水気を取ってカバーを付けた。
それからあたりのシメリツユをあるだけ摘み取って、リュックの中のかごに詰める。ダンジョンの不思議なところは、どれだけ摘んだところでそこに生息している動植物は、翌日にすべて元通りになる。おかげでシメリツユの在庫がなくなった心配は一度もない。
水筒に詰めた水を飲み切って、リュックを背負い、ナタを手に来た道を戻る。
スコップがあるところまで戻ったら、メタルポインターたちの血抜きが終わっているか確認する。軽く揺らしても血が垂れてこなかったら血抜きの完了だ。
メタルポインターたちを回収し、一度ロープを外してひとまとめに結び直す。それをナタと一緒にトレントの幹に括りつけ、残ったロープの端を両手でしっかり持つ。
「リュック背負った、頭も埋めた、持って帰る荷物もオッケー」
一つ一つ見て確認し、ディアナは頷く。
「よし、帰ろう!」
両手でロープを引いて、行きと同じ速度で歩き出す。後ろでトレントの体がずるずると音を立てて草を潰し、土を均した。
道中で襲ってくる魔物はいなかった。よく見れば遠巻きにしている個体はいたが、ディアナにとって大事なのは後ろで引きずっているトレントとメタルポインターだ。
魔物のテリトリーを抜け、森の緩衝地帯を抜ければ、スレンドの町はすぐそこだ。
「ただいまー!」
「おかえり」
「おかえりー!」
「おかえりなさい」
声を上げれば、三者三様の声が返ってくる。
「あ、トレントだ!」
「そろそろ薪がなくなりそうだったからね、ついでに狩ってきたの。アルベルト、メタルポインターの処理をお願いできる?」
「わかった。フラヴィ、スタニ、手伝ってくれ」
「はーい」
「はい」
アルベルトたちがメタルポインターを受け取り、店の中に戻っていく。ディアナはリュックを手近なところに置くと、ナタでトレントの体をいい感じに等分した。
トン、トン、トン
ナタそのものの重さを利用して、小気味よい音を立ててトレントがただの薪になっていく。
「ねーねー、これで新しい羽毛布団できるかな?」
「生臭くなるからやめろ」
「脂っ気がなくなるまで湯がいて乾燥してを繰り返せば、あるいは上手く行きますかね?」
「うわー……やーめたっ。手間暇がかかりすぎる」
「それでいい」
厨房の方から三人の会話が聞こえる。ディアナは苦笑しながら、その手を止めずにどんどん薪を量産していく。
トン、トン、トン
あっという間に薪の山が出来上がった。それを薪用の保管棚に放り込む。
「女将さん、トレントを狩ってきたのかい?」
「あら、おじいさん。ええ、そうなのよ」
杖を突いた老人の言葉に、ディアナは頷いた。
「はー、相変わらず見事な手際だの。……なあ女将さん、そろそろうちの薪がなくなりそうなんじゃ。いつも通り、これで頼めないだろうか」
老人が革袋を取り出す。ディアナがそれを受け取り、中を検める。銀貨と銅貨がそれぞれ何枚か入っているのを確認して、彼女は頷いた。
「わかりました。切った薪は裏手の倉庫に運べばいいかしら?」
「ああ、それで頼む。いつもいつも悪いのお」
「なにを言っているのよ、おじいさん。困った時はお互いさまでしょう?」
拝みだした老人の肩をディアナがぽんぽんと叩く。
老人のように、狩りのついでにトレントの薪をくれないかと頼む家は少なくない。普通の薪はそのままだと水分が多すぎて燃えにくいのだが、トレントから作った薪はすぐに燃えてくれるのだ。
しかも、トレント一体で一冬分以上の薪が手に入る。だが、冒険者ギルドに依頼を出すのでは割に合わない。倒すのはもちろん、森から運ぶ手間がかかりすぎるからだ。
その点、ディアナに頼めば多少の手間賃だけで大量の薪が手に入る。薪を割る力もないお年寄りや、小さな子供がいて手が離せない家庭からは絶大な支持を得ていた。
「ほっほっほ。最近じゃあ、わしらがずっとよっかかっとる気がするんじゃ。女将さんの困った時なんて、それこそ店を開いた直後くらいだったろう?」
「まあね……。でも、あの時皆さんがいてくれたから、今の私があるのよ」
銀のカナリア亭は、小さな酒場から始まった。他にも酒場はあったから、なかなか常連客がつかなかった。魔物肉の料理を最初から前面に出して宣伝していたのも、客が定着しない一因だった。
魔物肉は固い。まずい。美味しくない。なにより魔物を食べる発想が恐ろしい。
表立った嫌がらせはなかったが、あからさまに立ち寄る店の候補から外されるのは精神的に来た。
魔物肉のおばちゃん。いつしかそう呼ばれるようになっていた。
閑古鳥が鳴き続け、どうしようと悩んだ。
ふさぎこみそうになったディアナを外に連れ出したのは、町の住人たちだった。
魔物肉は得体が知れないから怖い。でも、それを扱うディアナは本当に怖い人だろうか。
酔っぱらった冒険者に絡まれた彼女が、誰の助けも借りずに返り討ちにしたことがあった。
「そんなに酔っぱらってちゃ、明日に響くじゃない。ほら、これでも食べてしっかり寝なさい。冒険者は体が資本なんでしょ?」
そう言ってシメリツユを口にねじ込ませ、臭さに悶絶させていた。やっていることはえげつなかったが、その時の表情は見間違いでもなんでもなく、優しそうなものだった。
だから町の住人たちは、入れ代わり立ち代わりでディアナを構った。子どもたちをけしかけて町の案内をさせたり、井戸端会議にねじ込んだり。時には独居老人のところに彼女と一緒に押し掛けたこともあった。
ディアナは困惑しながらも、それを拒否しなかった。最初はおっかなびっくり。次第に距離感を探りながら、スレンドの町に溶け込んでいった。
「じゃあ、近いうちにトレントの薪を運んでおくわね」
「いつもすまんのお。よろしく頼む」
老人に手を振って見送る。
「女将さーん」
スタニスラフが店から顔を出した。
「メタルポインターの下処理、終わりました」
「ありがとう、助かるわ。漬け込みは?」
「料理長がやってます」
「わかった。あなたとフラヴィは開店準備をお願い。下処理の方は私が代わるわ」
「わかりました」
汚れた手を丁寧に洗い、店に入る。リュックやナタを厨房の一番奥に置いて、ディアナは地下の食糧庫に入った。
「料理長、ありがとう。代わるわ」
「はい」
アルベルトと交代して、大きな桶に並べられた肉を見る。
血抜きし、しっかり茹でて羽をむしり取り、内臓を取ったメタルポインターの肉だ。内臓も立派な食材なので、隣の一回り小さな桶にぎっしり入っている。産毛はスタニスラフが焼いて取り除いてくれたらしく、触っても嫌な感じはなかった。
アルベルトがモンディールの肉を厨房へ運んでいるのを横目に、ディアナはメタルポインターが入った桶に水を慎重に注ぎ込む。桶の八分目まで注いだら、壺の中に保管していたシメリツユをばら撒いていく。すべての肉に均等にかかるようにふりかけて、肉と草が馴染むように優しく揉む。内臓は臭みが強いので、それに負けないくらいシメリツユをぶっかけて水に浸しておく。
「よし」
これで第一工程は完了だ。次の作業は数時間後なので、ディアナも地上に戻って開店作業を手伝う。
「スタニ、すべてのかまどに火をくれ」
「はい」
スタニスラフの魔法でかまどが一気に点火する。数ヵ月前に狩ったトレントの薪が元気に燃える。
ディアナが森に行っている間に、調味料などの下拵えは終わっていた。漬け込み液から取り出したモンディールの肉を、手分けして丁寧に布巾で水気を取る。
「女将さん、これは焼いてソースをかける奴だから、できたら塩を振って焼いてくれ」
「わかったわ」
水気を切ったものから順に両面まんべんなく塩を振り、熱したフライパンに乗せていく。じゅわあ、と肉が焼かれる音が響いた。
厚切りに切ったのでじっくりと火を通さなければいけない。ふたをして遠火にしている間に、他の魔物肉の水気を切っていく。
あらかた終わったところでフライパンの様子を見てみれば、透明な肉汁を溢れさせていた。完全に火が通った証である。
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ」
ホールから二人の声が聞こえてくる。冒険者たちが帰ってきた。
「あら、いらっしゃい!」
厨房から顔を出して、ディアナは笑顔で出迎える。
「いいタイミングね。もうステーキが出せるわよ」
「よし、じゃあそれで!」
「俺も!」
「はーい、モンディールのステーキ、二名分ね!」
銀のカナリア亭で、一番忙しい時間が始まった。
◆ ◆ ◆
冒険者たちが酒場でひとしきり騒ぎ、満腹になって宿で寝る頃。
軽く掃除をして片付けたら、魔物肉の仕込みの第二工程だ。
地下の食糧庫に下り、奥に放置してあった大小二つの桶に向かう。ゆっくりしていたら寝る時間がなくなるので、全員でやっていく仕事だ。
桶から取り出したメタルポインターの肉を大きな布で包み込み、空の棚に置く。昼間までモンディールの肉が置いてあった棚はまだ湿っているので、ちゃんと拭いて乾燥させるまで次の肉は置けない。
一つ一つを手早く包んで安置させることで、シメリツユと肉がより一層馴染むのだ。
「よし、お肉は終わりね」
ディアナは一つ頷くと、内臓が入った壺を開ける。シメリツユが内臓から出た血の色に染まっていた。
ディアナはそこへ躊躇なく手を突っ込む。壺の底から天地を返すようにじっくりとかき混ぜて、壺全体が深い赤色に染まったところでやめる。このまままた蓋をして保管すれば、翌日にはホルモン焼きとして立派な商品になるのだ。
「よし、できた」
「こっちも終わりましたよ」
スタニスラフが声をかける。ディアナが内臓の処理をしている間に、他の三人が棚の掃除をしていたのだ。
「ありがとう、助かったわ」
「これくらいお安い御用ですよ」
スタニスラフの言葉に、アルベルトもフラヴィも頷く。それを見たディアナも笑みをほころばせる。
「嬉しいわ。じゃ、みんな明日もよろしくね」
「「「はい」」」
全員で汚れを落とし(特にディアナは悲惨だったのでフラヴィが手伝った)、金庫に鍵をかけ、厨房に人が入らないよう人払いの魔法をかけて、従業員にあてがわれている部屋に戻る。
宿の奥にある小さな一人部屋が四つ。ほかにも空き部屋はあるが、現在は倉庫の扱いだ。一番手前がディアナ、向かいにアルベルト、奥の二つがフラヴィとスタニスラフだ。
「じゃあ、お休み」
「おやすみ」
「おやすみー」
「おやすみなさい」
挨拶をして部屋に入る。
ディアナは髪を解き、ワンピースとエプロンから寝巻用のものに着替える。暗い部屋から見える外の景色を目に焼き付けて、カーテンを閉める。
「明日も平和でありますように」
寝る前に小さく祈りを捧げて、ベッドにもぐりこむ。
すぐに静かな寝息だけが聞こえる。
こうして、銀のカナリア亭の夜は更けていく。
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