ウレシイシラセ
いつの間にか時は過ぎて、
高校3年の夏になった。
たった1年じゃ15年分の喪失は埋められないけれど、それなりに菖蒲のいない日常に慣れてきているのは事実だった。
周りが進路を決める中、何者にもなれそうにない自分に焦りを覚え、またモヤモヤした闇に攫われそうになる毎日を過ごしていた。
部活も引退して、そろそろ勉強に本腰を入れないとまずいことになると教師たちは生徒を煽る。
進路なんてどうでもよかった。
何かになりたいとか、何の仕事をしたいとか、
将来設計なんてなんにもなかった。
今すら楽しめていないのに、将来に希望なんてあるわけないじゃないかと、本気で怒鳴りたくなることもあった。
フラストレーションは溜まりに溜まって、やがて爆発する。
急に自分の感情のコントロールができなくなり、自分の部屋にある物を手当たり次第に投げることも多々あった。
その度に、母親は私を叱責し、父親はそれを観て逃げるように立ち去るのだ。
蒸し暑くてなかなか寝付けない夜のことだった。
蚊の飛ぶ音が鬱陶しくて明かりをつけた。
夜は何故かネガティヴになってしまうから苦手だった。
目標なんて無いけれど、母親が近所の本屋で手当たり次第に買ってきた資格や職業の本を適当に捲って、寝れるまで起きてようとした時だった。
ふと、本棚の一番下にあるアルバムが目についた。
見たことがない、紫色のアルバムで、
恐る恐るそれを手に取り、最初の1ページを捲った。
子供が書いたであろうぐちゃぐちゃな字で、
必死に何かを伝えようとしている言葉があった。
それと共に、私と、親友の幼い頃の写真があった。
私は紫色のワンピースを着ていて、親友は黄色のワンピースを着ていた。
双子のような2人は花菖蒲の咲く公園で、泥まみれで擦り傷だらけになっても、楽しそうに笑っていた。
「ムラサキ」たった4文字しか読めなかったが、
私の親友は黄色いクレヨンで何かを伝えようとしていた。
黄色で紫かよ、ちょっとツッコミいれてみたけど、
鈴の音のような笑い声は聴こえなくて、寂しくなった。
このアルバムは私達2人の成長の証だった。
いつからか、無邪気な親友の隣に無愛想な私が現れるようになった。
「バカでごめんね」
ちょっと上手になった字で、そう綴られた小さな小さな手紙が写真と一緒にフィルムに挟まれていた。
写真には、あやめを私にくれようとしている親友が写っていた。
「‥‥はぁ」
嗚咽が止まらない。
流れそうになる涙を必死で堪えながら、次のページを捲る。
「あ‥」
そこには、ベッドの下で見つけたあの絵を寝転がりながら描く菖蒲と、その横でふてぶてしく眠る私がいた。
やっと思い出したのは、この直前に大きな喧嘩をしたことだった。
「菖蒲はなんにもできないくせに、勝手なことしないで!今度なにかしたら嫌いになるから!」
本心なんかじゃなかった。
菖蒲と私の関係が変わってしまったのはこの頃からだった。
菖蒲は絵を描くことが大好きな子だった。
絵を描いていると、私に構ってくれなくなるから、構って欲しくて意地悪を言うようになった。
そのうち、菖蒲は私の目の前で絵を描かなくなった。
勉強だってできないふりをしていたんだろう。
態とらしくバカなふりをして、
「咲ちゃんいないとなにもできない」と
私を満たし続けてくれていたんだと今更気づく。
菖蒲に苛つくことは沢山あった。
今考えるとその全てが、見下している相手が自分よりも秀でていたという事実への葛藤と嫉妬心の塊だったと思う。
それでも菖蒲は、私にずっと一番に
“良いこと”を知らせ続けた。
私が怒っていたら、的になることを選び
嫌われないように必死にバカを装って、
私を繋いでいた。私の居場所を作り続け、
私と変わらない日常を信じ続けていて、
私はそれに救われていた。
ページを捲れば捲るほど、自分の指にできたささくれを思い切り引っ張った時の痛みに近いものが、胸元でズキズキした。
中学の入学式の写真もやっぱり酷かった。
脳裏に焼き付いて離れない、菖蒲のご両親の泣き顔も何もかもが傷に塩を塗り込まれたかのようにヒリヒリさせる。
最後の写真は、いつ撮ったのか分からないけれど、
コンクールの作品だった。
黄色い花は、よく見るとあやめじゃないことに気が付いた。
ショウブの花のようだが少し違う。
(あぁ、こんなことなら一緒に図鑑読んでおけばよかった)
なんて思ってももう一緒に読むことも無いのだろう。
名前のわりに、植物にあまり興味がない私は
取り憑かれたように玄関を飛び出し、風を切り走っていく。
久しぶりの全力疾走は、思ったより肺が痛くなって、呼吸のしづらさからか、口の中に血のような匂いすら感じてしまうが、そんなことすらどうでもよかった。
とにかく急いで答えを見つけたかった。
転ぶように坂を下り、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに
近所の本屋へ向けて走った。
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