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翌日、淵では少女が待っていた。
「しばらく来なかった。お前様、その足はどうしたな」
「なに大したことではない」とだけ、わたくしはまず言った。
負傷した身で片足を引きずりながらこの淵までたどり着くのには尋常でない努力を要した。大雨のあとで滑りやすくなっていたからなおさらである。わたくしは激しい息切れを起こしてしまい、呼吸を整えるためにしばらく時間をおかなければならなかった。
その間、彼女は黙ってわたくしをじっと見ていた。
「噛まれたのだナ」
やがて彼女は言った。
「犬だナ? お前様、それァ犬畜生めにやられたナ……?」
ぞろりと刃物を鞘から抜き放つような口調である。
「小生のことで憤慨してくれるのはうれしいが」
わたくしはようやく喋られるようになった。
「畜生だなんて、君、そんな言葉を使ってはいけない。ワンちゃんと言いたまえ」
「あいわかった。おれは畜生なんて言わないよ。ワンちゃんと言うよ」
彼女は素直にうなずいたが、目は無気味に光ったままだった。
しかしわたくしが「帰ることになった」と伝えると、彼女は息を呑み、急におろおろと表情を崩すのだった。
「次の仕事が決まったのだ。小生はもう行かねばならない。名残惜しいことだが」
わたくしは雑嚢から携帯ゲーム機とその充電器と、そして今まで一度も彼女に遊ばせていない唯一のゲームソフトを取り出した。彼女に選ばせる時も別によけていたものである。それはわたくしが開発に携わった最後のゲームだ。すなわち現時点での最新作であり、メインシナリオとサブシナリオ、全てのテキストの作成を担当したロールプレイングゲームなのである。わたくしはそのことを彼女に伝えようと思った……。
だが結局言うのはやめにした。彼女に対しては蛇足のように感じたからである。
両手に重ねて持ち、彼女の方へ差し出した。
彼女はおずおずとそれらを受け取った。
これ以上長居をしては別れがつらくなる。名残は惜しくなるばかりだ。
わたくしはこの素晴らしき群青世界から立ち去ろうとした。入り口付近でぬかるみに足を取られて転びそうになったがなんとか耐えた。
そうして振り向くと、彼女はまだ同じ場所に立っていた。私は手を振った。彼女はうつむいたまま動かなかった。小さな体が一層小さく見えた。
(続く)
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