第17話 たったひとつの冴えた戦(や)りかた 02
01
薄雲1つ無い闇に浮かぶ満月が、真冬の冷夜に透明なスポットライトを浴びせている。
一連の戦いの第二幕――今宵の舞台はアルバイン帝国皇都アジャーハ。
主演は人外の怪物たち。演目は『怪獣映画』。
そう、昼間は人が賑わう都会の街並みを、深夜の現在、1匹の“怪獣”が闊歩していた。
怪獣が豪脚で歩けば、衝撃で大地は子犬のように震え上がる。怪獣が豪腕を振れば、風圧で家々は木の葉の如く吹き飛ばされる。
恐ろしい怪獣の身長は150m、体重は150メガトン。
咆哮は天地を震わせて、怒りの炎は万物を焼き尽くす――
――いや、今の表現には2箇所だけ間違いがある。実物の怪獣は身長150cm未満、体重150kg強しかない。
そして、それ以外は全て誇張抜きの正確な描写だ。
怪獣の名は、ラングレード武帝国皇帝“武帝ガイ”。それは正真正銘、人間大の怪獣そのものだった。
この男の震脚は大地を揺るがし、無造作に振り回す腕はあらゆる建造物を粉砕する。
ガイは特別なことは何もしていない。肉体のスペックがあまりにも高すぎて、ただ街を歩くだけで怪獣の破壊行進になってしまうのだ。
だが、しかし――怪獣映画と呼ぶには、やはり2箇所ほど不自然な要素がある。
ぴたり、とガイの進撃が停止した。
「……どういう事だ?」
逃げまどい踏み潰される市民の姿がない。崩れる建物はあっても、燃え盛る火の海がない。
「住民の避難は完了している。火の用心も徹底した」
ふらり、と倒壊した民家の陰から、人影が姿を見せた。
この国の最高権力者の姿が。ガイの獲物の姿が。
年齢55歳。
金の冠に宝石を散りばめたマント。痩躯で長身。半分白くなった髪と顎髭。
冷血面と反する慈悲深さ――アルバイン帝国皇帝タケル。
年齢45歳。
野性的な黒い毛皮のマント。筋肉質で短躯。体毛が1本もない頭。
男気溢れる風貌と反する残虐性――ラングレード武帝国武帝ガイ。
どこまでも対照的で、同時にどこか似通った2人の皇帝が、今、対峙した。
「よぉ兄弟、久しぶりだな」
ガイは
「10年ぶりくらいか? 互いに歳を食ったもんだな」
「……こんな形では会いたくはなかったよ」
タケルに笑顔はない。
「一応、聞いておくけど、今さら侵攻を止めて和平条約を結ぶ事はできないのか?」
「和平……和平ねぇ……」
ガイは無造作に右腕を振り払った。その軌道上に存在する全ての物体が粉砕される。
飛び散った瓦礫の破片がタケルの顔を打った。
「この俺様が、そんな寝言を聞く奴に見えるか? あぁ!?」
今、そこにいるのは、かつての正義感にあふれた熱血少年ではない。
殺戮と暴虐を心から愉しみ、世界を戦乱と混沌の地獄に引きずり込む、邪悪な暴君の姿があった。
「……本当に変わっちまったんだな、ガイ……」
溜息を吐くタケルの顔は暗い。
「変わる? 少し違うな。俺は気付いただけだ」
ガイは全壊した家屋の瓦礫に腰を下ろした。
なぜか、どこか疲れた仕草だった。
「久しぶりに
……その後、ガイが話した『自分が変わった理由』とは、あまりにも単純で、ありがちで、そして理不尽なものだった。少なくとも、彼に殺された人々の中で納得できる者は皆無だろう。
しかし同時に、その理由に同意できる部分があるのも事実だ――そう思う者も無視できない数が存在するだろうと思われた。
「――早い話が、弱肉強食の理ってやつさ。どんな高い
「…………」
大陸北方の蛮族が支配するラングレードの地は、過酷な力の掟が支配する弱肉強食の世界だ。己の意思や理想を押し通すには、他を無理矢理にでも従える力を持つ必要がある。
いや、大なり小なり何らかの力が無ければ、己を通す事ができないのは、どんな世界でも同じだろう。
その点に関しては、この武帝の言葉は正しい。ありがちな悟りだが、真理だ。
問題はガイが“力を持ち過ぎた”事だった。
「そして気付いちまったのさ。俺の“最強”チートがあれば、どんな無茶な我儘でも、誰にでも従わせる事ができるってな。だったら、そうしない道理はないだろ? あぁん?」
ガイはあまりにも強すぎた。本来なら最高権力者でも許されない無茶な要求でも、力ずくで押し切ることができた。
絶対的な力による万能感。それは心清い青少年を悪徳の暴君に変貌させるのに十分な劇薬だった。
そして、どの世界でも暗君や暴君は本人か国家が悲惨な末路をたどるケースがほとんどだが、この男は決して自分が破滅することなく、その『悲惨な末路』を恒久的に世界にまき散らす存在になれるのだ。
今、武帝ガイは、その“世界の敵”と呼ぶべき存在になりつつある。
「……ガイ、お前さんは怪物になっちまったんだよ……」
タケルは夜空を仰いだ。
不吉な満月が2人の皇帝を冷たく見降ろしていた。
「俺が怪物だぁ? 話を聞いてなかったのかよ。俺は『弱肉強食』って世界の真理に忠実なだけだ。あんたにそれを否定できるってのか?」
「否定できるぞ」
ばきん
ガイの足元で、瓦礫が踏み潰された。
「余の奥さん……アルバイン皇后はな、旧王族の生まれだが、思春期までの大半を奴隷として生きていた」
「……それがどうした」
「悲惨な奴隷生活のせいで体はボロボロ。虚弱体質過ぎてヒヨコと喧嘩しても負けるだろう。勉学とも無縁で四則演算もできないし、自分の名前すら書けない」
ぽかん、と口を開けるガイ。
「それに対して、余は勉強もスポーツも万能……とは行かなくても人並み以上にはできる。女神様から与えられたチートのおかげで異世界でも大活躍だ。地位は泣く子も黙る皇帝陛下。ルックスもイケメンだ」
タケルは立てた親指を自分に向けた。
「つまり、余は圧倒的な強者側で、皇后はどうしようもない弱者側というわけだ。ガイ、お前さんの弱肉強食の論理に従うなら、余は妻に対して圧倒的に優位な立場となる。でもな……」
指を立てた手を開いて、そのまま顔を
「でもな……うちの奥さん超怖い!!」
「はぁ?」
「40年間、夫婦喧嘩は全戦全敗!! 他の女の話なんてしたら1ヵ月は口を聞いてくれない!! 完全に尻に敷かれて毎日ご機嫌をうかがいながらビクビクしてるよ!!」
「……さっきから何が言いてぇんだ?」
「つまり、だ――」
顔を覆う手が離れた。タケルの顔は真剣だった。
「世の中や人間関係ってのはな、弱肉強食だなんて言葉で片付けられるほど単純じゃないんだよ。四十半ばにもなって、そんな事にも気付かないのか?」
「…………」
タケルはガイに詰め寄った。
自分を殺しに来た相手に恐れることなく。
その表情は
「なぁ、本当にどうしたんだよガイ。お前はそんな道理の分からない男じゃなかっただろ。頼むから、余と…俺と腹を割って話し合おう――」
ガイの返答は鉄拳だった。
「オラぁ!」
容赦のない左ストレートがタケルの顔面に直撃した。
大通りを軽く50mは吹き飛んだタケル皇帝は、向かいの店舗に頭から突っ込み、建物を倒壊させた。
常人なら間違いなく即死しただろう一撃――が、
「演技過剰だ、ボケが」
「あっちゃ~バレちゃった感じ?」
瓦礫の中から這い出て来たのは――身長とバストサイズは共に210cm。神々しく輝く金髪に艶めかしい褐色の肌。小悪魔な眼差しと瑞々しいティーンエイジの裸身。そして、一対の角と漆黒の翼。
サキュバス・エンプレス形態のマザーウィルである。
「替え玉とはセコい真似しやがって。てめぇが噂のアバズレか」
「初対面でそんなに褒めるなし。あーしを口説いてどうする気なん?」
「……サキュバスに“アバズレ”は誉め言葉なんだな。覚えとくぜ」
武帝は鬱陶しそうに頭を振った。
「本物のタケルは
「素直に教えると思うわけ? 知りたかったら――」
「ゲンコツで聞けって事か。いいぜ、かかってきな」
「かかるもなにも――」
サキュバスの女帝は
「――もう始まってるし」
「!」
その時、ガイは自分の手足に漆黒の鎖が絡みついている事に気付いた。夜闇に紛れて今まで見えなかったのだ。
『影鎖』――魔族に伝わる上級暗黒魔法。鋼鉄ならぬ暗闇で編み出された鎖は、物理的存在ではないので絶対に破壊することはできない。同時にいかなる手段でもこの拘束から逃れることはできない。
「まだまだ」
突然、拘束された武帝の足元に紫色の魔法陣が展開すると、そこから青白い巨大な火柱が噴出して、瞬く間にガイの全身を飲み込んだ。
『獄炎』――これも上級魔族のみが行使できる暗黒魔法。魔界の深淵に存在するという地獄の炎は、魂を直接燃焼させる効果がある。対象がどれほど頑強な肉体でも“命”がある限りこの炎で精神を焼き尽くされる。
どちらも人間の魔力では絶対に行使できない超高位魔法である。
しかし、マザーウィルの魔法はまだ止まらない。
「まだまだまだまだ!」
火柱のすぐ傍に巨大な影が2体出現した。共に体長は20m以上。青白く輝く巨大な骸骨と、赤熱を放つ黒い人型だ。
前者は『アークゴースト』――死者の怨念を極限まで凝縮させて誕生した最凶の悪霊。その絶対零度の幽体は触れるもの全てを即死させる。
後者は『アークゴーレム』――サキュバス・エンプレスの超高濃度の魔力結晶で構成された最強のゴーレム。物質ではなく魔力で作られた体はあらゆる物理攻撃を無効化し「ゴチャゴチャうるせぇ!!!」
パンチ一閃。
影鎖を引き千切り、獄炎から無傷な姿を見せたガイは、鉄拳の一振りでアーク
「説明が長いんだよ、ズベ公」
「あはは……ここまで通用しないのは、さすがにショックって感じ?」
マザーウィルの笑顔は引きつっていた。
「もうネタ切れか?」
タケルの獰猛な狂貌は、突然、上空から猛烈な勢いで降り注いだ黄金の雨に遮られた。
「――!」
一発一発が山1つ消滅させる威力の毛針が、一秒間に数億発の密度で叩き込まれる!!
それだけだ。
「てめぇは俺に勝てないって知ってんだろ、型落ちの裏切り犬が」
「……フン、相変わらずつまんない男さね」
パラパラと無傷の体から毛針を払い落とすガイを忌々しそうに睨みつつ、黄金の人狼――シグナスがサキュバスの傍に降り立つ。
サキュバス・エンプレスに金狼――ファンタズマ世界最強と称せる魔王級魔族が二体揃った。
だから、何だというのだ。
「大物二匹をまとめて食えるとは、満月の夜を選んだ甲斐があったぜ」
見よ、かの恐るべき武帝は、散歩するかのように軽い調子で、すたすたと二柱の魔王に近づいていく。
それも当然だろう。この世界最強の“チート”を所持する女神に愛された男にとっては、世界最強の魔王を相手するのも、毛虫を踏み潰すのと何も変わらないのだ。
しかし――
「あいにくだけど、陛下のお相手はあーし達じゃないし」
芝居めいた仕草で両手を広げるマザーウィルを、背後からシグナスが抱きしめる。
もし、この場に優秀な魔術師がいたら、シグナスの無尽蔵な生命エネルギーがマザーウィルを通して膨大な魔力に変換されていることに気付いたかもしれない。
そして次の瞬間、ガイの周囲を淡い紫色の霧が漂い始めた。
2人の魔王級魔族と周囲の瓦礫が紫雲の彼方に消えていく。
数拍後、ガイは紫色の霧の只中に独り佇んでいた。
“ナイトメア・ワールド”――サキュバス・エンプレスが行使する夢幻結界。
この紫色の霧中空間では、全てが夢の出来事という一種の仮想現実として処理される。
無論、これはガイを夢の世界に封印するための処置ではない。そんな事しても恐るべき武帝は容易く現世に復帰できるだろう。
これは内側でどれだけ凄まじい戦いが起こっても、現実世界へ被害を及ぼさないための防御結界だ。
『メイン戦闘システム起動。状況開始』
そして、紫色の夢幻の彼方から、淡光と共に出現したのは――体高3m。バストサイズも3m。全身を白銀の強化外骨格で覆った鋼の戦乙女――レミュータ。
「ほぅ」
ガイの周囲の空間が、ぐにゃり、と歪んだ。
戦うために造られた機械と、戦いそのものの武帝が出会った。
“最強”のチートを秘めた鋼の肉体が無言で問うた。
お前は強いのか?俺を満足させる事ができるのか?
最強のアンドロイドと呼ばれた鋼の機体が無言で答えた。
その身で確かめるがいい――
それ以上の言葉はいらない。
――白銀と武帝は激突した。
02
「皆さん、大丈夫かなぁ……」
もう何度目か分からない同じ台詞を、ショータは再び
避難所にあてがわれた自室の窓からは、角度の関係で市街地とは正反対の夜景しか見えない。しかしそれでも少年は窓の外を見張らずにはいられなかった。
満月は子供たちの不安を煽り立てるように。恐ろしいほど冷たい銀光を放っている。
「あたし達が焦っても意味ないでしょ。ホントに心配性なんだから」
呆れた調子のアニスも、独りでいるのは不安なので、こうしてショータの部屋に乱入していたりする。
避難所の臨時家屋は、現代の地球でいうプレハブ小屋に似た構造の素朴で殺風景な造りだが、この部屋は小奇麗に掃除と整理整頓が行き届き、どこか部屋の主の人柄を連想させた。
「大人たちがみんなでアレを倒す作戦考えたんだから、きっと大丈夫よ」
アニスの台詞は半ば自分に言い聞かせているようだった。
ぴぃ
レミュータから預かった亜竜の赤子まで慰めるような鳴き声を漏らすのを見て、さすがにショータも湧き上がる弱音を飲み込んだ。
「……うん、そうだね」
ショータは床に膝をついて居住まいを正した。胸元で手を組み、静かに瞳を閉じる。
アニスも無言でそれに倣った。
ラミュルト神の残された経典には『汗を流し尽くしてから祈りなさい』という言葉がある。地球では「人事を尽くして天命を待つ」に該当するだろうか。
頼りになる大人たちは今、武帝ガイを撃退するために頑張っている。それなら自分のような子供たちは、その無事を神に祈るしかない。
“神”に該当する上位存在の実在性を否定も肯定もできない現代地球とは違い、ラミュルト神が実在するファンタズマでは神への祈りは当事者の精神安定以上の意味を持つ。
ショータとアニスは祈った。
真摯に。
心から。
揺ぎ無い信仰心を込めて――
03
一方その頃、レミュータは――
「その程度か……話にならねぇな」
『…………』
――武帝ガイに完膚なきまで叩きのめされていた。
つづく
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