6 学舎 -3

 男の出した難題について、空利くうりは口をはさまなかった。食い下がったのは葉月はづきだ。


「先生、空利は……」

「心配しなくていいよ、葉月ちゃん」


 男は葉月の言葉をさえぎって、自分の頭をつついた。


「術にかかることは了承してるし、ずるはしないから」

「でも」


 葉月が、不安そうな眼差しを空利に向ける。空利は、葉月にほほ笑んでみせた。


「心配するな」

「……わかった」


 空利は、男に視線をもどした。


「それより、さっきの言葉、本当だろうな」

「葉月ちゃんと今夜、二人ですごすって話?」

「そっちじゃない!」

「アハハ、空利って面白いね」


 笑いたいだけ笑った男は、かすかに目を細くした。


「本当だ。名前を聞き出せたらたら、帰っちゃっていいよ」

「絶対だぞ」


 空利は、男の目を正面から見据えて、ゆっくり目を閉じた。

 男の耳――その奥にある脳に向けて、神通力じんつうりきの糸を二本、放出する。


 意識がすべり落ちていく。この感じ、味わうのはいつぶりだろう。自分が自分の外へと出ていくような、不思議な感覚だった。

 男の脳に神通力でふれた瞬間、何色とも判明しない光を感じた。


 つながった。


 かかった時間は、ゆっくりまばたき一回分。下級幻術、声幻せいげんの成功だ。


《あらら、つながっちゃった。しかも早っ!》


 空利は、男の言葉が頭に届くと同時に、まぶたを上げた。男の顔が、おどろきにゆがんでいる。


 声幻は、神通力を介して言葉を交わす術だ。ただし、相手が術にかかることを了承していなければ、神通力をつなげることはできない。


《俺を甘く見るなよ》

《べつに、甘く見たつもりはないんだけど》


 男は口を閉じたまま、困ったようにほおをかいた。悪くない気分だ。


《さあ、名前を教えてもらおうか、先生》

《……》

《どうした?》


 男は、なにも返してこない。


《おい》


 返事なし。


《おーい》


 無反応。男は顔色一つかえない。


「この、返事しろ!」


 空利が叫んだ瞬間、神通力が乱れて声幻が解けた。


「はい、声を出した。空利の負け」

「何が負けだ! 俺はちゃんと術をかけたぞ。聞いたらこたえるって、そっちが言ったんだろ」

「ごめーん。けど、もう三十数えちゃったよ」

「こんなのなしだ!」

「いやー、まさか一瞬で術をかけてくるとは思わなかったな」

「おい、人の話を聞け!」


 男は空利の言葉を聞き流して、葉月に目を向けた。


「もしかして、葉月ちゃん知ってたの? 空利が声幻を使えること」


 葉月がため息をつく。


「だから、言おうとしたんです。空利は生まれつき声幻を使えるって」


 男が、空利に向かって身を乗り出す。


「生まれつきなんてすごいな、空利は」

「まあ、生まれつきっていうより、気づいたら使えてたってことだけど」


 顔が近い。だが、ここで顔を背けたら負けのような気がする。

 空利の鼻先で、男は首をかたむけた。


「声幻が使えるのに、どうして空利は下級にいるの?」

「悪かったな、頭が悪くて」


 技術があったところで、それに見合う知識がなければ進級できないのだ。


「ふーん。けど、生まれつき神通力を扱えるなんて……」


 男は空利から顔を離して、口の端をつり上げた。


「さすがは華月かげつ様の息子、と言うべきかな」

「先生!」


 葉月が、心配そうに空利を見てくる。そんな葉月に、空利は笑顔で返した。


「いいよ、葉月。気にしないから」

「……うん」


 葉月は、しぶしぶといった様子でうなずいた。


「それにしても、あんたよく知ってるな。母さんのこと」


 男は、緩んだ表情で告げた。


「月狐族中探しても、華月様のことを知らない者はいないよ。なんせ次期頭領と言われていた方だ。まあ、華月様に子どもがいたことや、それが君だってことは、ほとんど知られてないけどね。空利だって、葉月ちゃんのほかには話してないみたいだし。あっ、けど、葉月ちゃんが俺に教えたわけじゃないから、ね」


 男が葉月に視線を送る。葉月は、しかめつらで男に返した。


「そうですね」

「さてと」


 男が頭をかきながら、席をはずそうとする。


「どうした、休憩か?」

「いいや、今日はもうおしまい」

「はあ?」


 男は寝巻の袖に手を入れて、空利を見下ろした。


「おまけだよ。術はかけたことだし、俺も今日は用事があるからね。というわけだから、葉月ちゃん。その夜具、片づけといてね」


 男が戸に向かって歩きだす。

 修練が終わるのはうれしい。だが、空利は終始振り回されていたせいで、釈然としなかった。


「あ、そうだ」


 簀子縁すのこえんに出た男が、室内を振り返える。

 空利は息をつめた。男の表情は、先ほどまでの緩いそれとは明らかに違った。

 好奇、喜び、悲しみ、怒り、恐怖――空利が知るどの感情とも違う何かが、男の顔にはりついていた。


「俺の名前、水成月みなづきだから。よろしくね、空利」


 男は、おしえの間をあとにした。

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