俺の人生は顔が決める!〜馬面少女と顔泥棒〜

柚子

第1話 人間は顔じゃない

 「人間は顔じゃない!」


 たまに、そんなことを言うやつがいる。


 だが、そいつはたぶん「人間は顔『だけ』じゃない」の『だけ』を、都合よく省略している。


 あるいは、それは嘘。建前。綺麗ごと。理想論。

 本心なわけがない。


 もし本気でそんなことを信じてるとしたら──


 そいつは、ただのバカだ。


 ◆


(待ってて。私がきっと助けるから……!)


 少女は、女鹿のようにしなやかに山道を駆けていた。

 華奢でありながらも引き締まった手足が、岩と泥の入り混じった道を軽やかに踏みしめる。

 矢のようなスピードで、景色がみるみる後ろへと流れていった。


「こっちの方角でいいのね?」


 赤髪の少女が尋ねると、肩に乗った白い子猫が元気よくうなずいた。


 少女は疲れも、不安も感じていなかった。ただ、前だけを見て、走っていた。


(ここを抜けたら、伝えたいことがいっぱいあるの。謝りたい。誤解を解きたい)


 炎のような赤い髪が、風を受けてたなびく。

 湖をすくったような瞳には、真っ直ぐな意志の光が宿っていた。


(だから、お願い……私が行くまで、そこにいて!)


 


 その数百メートル先、広葉樹の間にぽっかり空いた空間があった。

 溶岩が通り抜けた後のように、地面は黒く焼けただれ、木々の表皮には無数の切り傷とえぐれ跡。


 まるでそこだけ、火炎弾が飛び交った戦場だった。


 そして今、その中心で、短刀が宙を舞う。


 


「くそっ……!」


 少年は右手にビリビリとした痛みを感じながら、一歩あとずさった。

 腐葉土のやわらかな感触の上で、悔しさが胸を貫く。


「ちゃんと舗装された街中なら、俺は負けなかった……!」


「負け惜しみか。見苦しいな」


 男が、少年の首元に刃を突きつける。

 余裕の笑みとともに、まったく隙のない構えだった。


 少年はもう一歩下がった。足元で、硬い感触が返ってくる。

 それは、自分が何年も携えてきた短刀だった。


 十五歳で家を出てからずっと、雨の日も晴れの日も共にしてきた相棒。

 戦いも修行も、全部一緒にくぐり抜けてきた。


 


「お嬢様がどこにいるか、教えてもらおうか」


「口を割ると思うか?」


 少年は唇の端をつり上げ、不敵に笑う。

 崩れそうな精神を支えていたのは、わずかなプライドと、あの赤毛の少女への想いだった。


「割らせてみせるさ。さて……何分もつかな?」


 剣の刃が喉に食いこみ、血の赤がにじむ。

 少年は顔を引きつらせながらも、沈黙を貫いた。


(ごめんな、ミッディ)


 もうダメだ、と少年は目を閉じる。


 


「待ちなさい!」


 涼やかな声が、絶望の空気を切り裂いた。


 赤髪の少女が、木立の間から現れる。


 十五、六歳ほどの少女。

 装いは地味だが、炎のような長髪は一目見たら忘れられない。

 その姿は、まさに冒険者そのものだった。


「動いたら射抜くわよ。知ってる? 私、矢を外したこと一度もないの」


 弓を構え、背に矢筒を背負った姿はまるで熟練の狩人。

 矢の先は微動だにせず、標的である男の胸元にぴたりと照準を合わせている。


「待たせてごめんね。おまたせ、ナイト」


 


 次の瞬間、画面がアップになった彼女の笑顔に、世界中の誰もが心を撃ち抜かれた。


 神々しさすら感じるチャーミングな微笑み。

 赤く燃える髪、健康的な肌、整った顔立ち。


 まるで、王家の姫君のような気品と存在感。


 だが──瞳はまっすぐだった。


 飾られた人形には出せない、内側から光を放つようなまぶしさ。

 見つめ返すことはできないのに、視線を逸らすこともできない。


 


 その場にいた全員が、彼女の名を叫ぶしかなかった。


 窮地にあった少年も、敵役の男も、白猫も──


 そして、も。


「ミッディィィーーー!!」


 ぷつん。


 小さな音とともに、女神の姿は黒い液晶の向こうに溶けて消えた。

 電源の落ちたテレビ画面には、うつろな表情の男子の顔が、間抜けに映り込んでいる。


 特筆すべき点のない、どこまでも平凡な顔だった。


 大きくてつぶらな紺色の瞳、優しげなたれ眉。

 黒ペンで引いた輪郭線は太めで、色は画材を変えずに一色で塗られた茶髪。ムラのない丁寧な仕上がりだが、この世界では誰もがその程度の『顔づくり』はやっている。


「ミッディィィィーーーーー!」


 飼っていた小鳥が天に召されたときのような表情で、平介は画面に向かって愛しのヒロインの名を叫んだ。


「うるさいわよ、平介!」


 その声に、画面のすぐ後ろからエプロンの裾とジーンズが入り込んできた。

 平介は名残惜しそうにテレビから目を離し、振り返る。


 そこには、距離的に蹴られてもおかしくない位置に、母親が仁王立ちしていた。


「高校生にもなって、朝っぱらからアニメ見て絶叫とか……恥ずかしいと思わないの?」


「ただのアニメじゃないんだ! 『マジカル☆ミッディ』は、俺の聖典なんだ!」


 恥ずかしいことを恥ずかしげもなく主張する息子を見下ろして、母は深いため息をついた。


「はいはい、一生唱えてなさい」


 ちなみに、平介の母は近所でも美人すぎるママとして有名だ。

 こぼれ落ちそうなサファイアの瞳、猫の毛並みのように艶やかな栗毛。

 少女漫画調の繊細な主線に、水彩で淡くふちどられた肌。まるで原画から抜け出したかのような完成度だった。


 とても高校生の子どもがいるとは思えない、奇跡のような若さ。


 テレビ横の棚には、若い夫婦と赤ん坊が写る写真が飾られている。両親と、生まれたばかりの平介。

 十四年以上前の写真なのに、母親だけは現在とまったく変わらない笑顔を浮かべていた。


 ──この世界で、大人になっても顔を変えられない人の共通点は「学生時代にモテたこと」だと言われている。


 可愛い、美人、イケメン──褒められ慣れた顔に愛着が湧いてしまい、年齢や流行に合わせて絵柄を変えられなくなるのだ。


(その点、俺は……画風、変え放題だな)


 やっかみ半分に呟いたその言葉を、母は聞いたか聞いていないか。

 できの悪い息子から目を逸らし、手にしていたリモコンを机の上にぽんと置いて、台所へと戻っていった。


「もうこんな時間よ。遅刻するわよ」


「え? ……あ、うわ、やっべ!」


 壁の時計に目をやると、普段ならとっくに家を出ている時刻だった。慌てて立ち上がる平介に、母の追撃が飛んでくる。


「朝っぱらから深夜アニメなんか観てるヒマがあるなら、顔をちゃんと描きなさい。彼女の一人や二人、家に連れて帰って母親を安心させるくらいの気遣い、そろそろ持ってくれてもいいんじゃないかしら?」


 ──この世界では、最後に描いた絵がそのまま自分の顔になる。

 なぜそうなるのか、理由は誰にもわからない。

 少なくとも平介は、それを不思議に思ったことすらなかった。生まれたときから、ずっとそうだったからだ。


 太陽が東から昇って西に沈む理由を、いちいち考える人はいない。磁石が北を指す理由も、そうだ。

 この世界の顔は、そういうものなのだ。


「描いたよ! 朝起きてすぐに! ミッディにみっともない顔を見せるわけにいかないだろ!」


 そこまで堂々と言い放ったにもかかわらず、母の表情には「……で、描いてこれかあ」という無言の切なさがありありとにじんでいた。


 この世界では、小学校に上がると最初に教わるのが「毎朝、顔は必ず描くこと」。


 誰だって、うまく描けた日はそのままにしておきたくなる。けれど、描き続けなければ絵は上達しない。


 平介はイケメンになりたかった。だから毎朝、休まず顔を描いてきた。


「あと……か、彼女ならいるぜ!」


 母の悲しそうな目に、思わず罪悪感が勝ってしまい、考える前に口が勝手に動いた。

 それがどんな破滅を招くかなんて、想像すらしていなかった。


「え? ……え? ど、どんな子なの?」


「誰にでも優しくて、まるであたり一面に花が咲いたみたいな雰囲気で、芯が強くて、どんなときもへこたれない……そんな子だ!」


 彼女の魅力を語るなら、簡潔にして二時間はかかる。これは事実だ。


「へ、へえ……いつの間に!」


「でも……ちょっとシャイでさ。まあ、そこもかわいいんだけどねっ」


 言いながら、髪を手ぐしで整え、カバンを掴み、玄関へ向かう。


 扉を開けると、白く澄んだ朝の光が飛び込んできた。

 液晶の中の『あの子』とはちがう、リアルな世界の眩しさ。


「……シャイすぎて、二次元から出てこないのだけが、唯一の欠点かな!」


 背後で、母の期待に満ちたまなざしが、何か別のものに変わる気配がした。

 それを振り返って見る前に──親不孝な息子は扉を閉めた。




✧.゚𝙽𝚎𝚡𝚝 𝙳𝚛𝚊𝚠𝚒𝚗𝚐……▶︎゚.✧


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