無実の罪で婚約破棄された伯爵令嬢の運命の転換~忘れられた勇者のアドバイスをきいてたらどれも的外れでとんでもない英雄譚に
此寺 美津己
第一部 婚約破棄と伯爵令嬢
第1話 婚約破棄の夜
天候の変わりやすいルゼリア王国には珍しく、この一日は春風が優しく吹き抜けた。王都シャルゼリアの王宮。
夕暮れを迎えた大広間では、シャンデリアの光が美しく輝き、舞踏会に参加する貴族たちの華やかな装いもまた競うような輝きに満ちていた。
アドメルク伯爵家の令嬢トーラは、淡いピンク色のドレスに身を包み、少し緊張した面持ちで会場の隅に立っていた。
年齢は13歳。
正式な社交の場はこの日がはじめてだ、
「うわぁ、すごい人!」
トーラは目を輝かせながら、きょろきょろと周囲を見回した。
『とにかく大人しくしていろ。』
というのが、繰り返し両親から聞かされたまずは第一の社交術であった。
なにしろ、アドメルク伯爵家は王都でも名門に数えられる由緒正しき貴族。
やたらな下級貴族に声をかけたり、かけられりして、娘のデビュタントを台無しにしてほしくはなかったし、なにより、トーラの礼儀作法にはかなり問題があった。
かといって、高位の貴族であるアドメルク伯爵家にとっては、ここもまた「社交」という仕事場であったため、トーラにつききりなるわけにもいかなかった。
一応はお目付け役として侍女のメイベルを脇においてはいるが、とにかく余計なことは一切してほしくはなかった。
トーラはしばらくは、生まれて初めての華やかな舞踏会にみとれていたが、およそじっとしてあるのが苦手は13歳である。
メイベルは歳も近いし、主従関係を超えた友情も感じてはいたが、彼女はなにしろ両親の命令には絶対服従だった。
トーラがなにか話しかけようとするたびに、シッと指を立てられ黙ってるように指示されるのに、飽きてきている。
学校の同級生には、デビュタントをすませたものもいたはずだ。
知った顔はないかもきょろきょろとしていると。
「あっ!あそこにユウリフ様がいる!」
トーラは許嫁であるバルト侯爵家の御曹司ユウリフを見つけると、大きく手を振った。周囲の貴族令嬢たちが眉をひそめる中、トーラはまったく気にせず、はしゃいだ声を上げる。
「ユウリフ様ー!こっちですよー!」
トーラの侍女メイベルが慌てて袖を引っ張る。
「トーラ様、お静かに。淑女は大声を出しませんよ」
メイベルも男爵家の娘である。
歳はひとつ上でデビュタントは昨年すませている。
「あっ、ごめんなさい」
トーラは口を手で覆ったが、すぐにまた笑顔になる。
「でも嬉しくって。今日はユウリフ様とお話できると思うと…」
親同士がきめた許嫁とはいえ、いつも笑顔を絶やさず、接してくれるユウリフがメイベルは大好きだった。
いつもお土産にくれるおいしいお菓子も好きだった。
それは恋愛ではなく餌付け、なのではなにか。
メイベルは小さく溜息をつきながらも、微笑んだ。トーラ様はいつも素直で明るい。時々抜けているところはあるけれど、それも含めて愛らしい少女だった。
トーラはメイベルが止める間もなく、かけ出そうと…とした。
だが、この日彼女はあまり履かないヒールの高い靴と長いスカートを履いていた。
おぼつかなき足取りでユウリフに近づいていく。ただその途中、パンチボウルの前で足を滑らせ、前のめりに…
「きゃっ!」
派手な音とともに、トーラは豪華なテーブルクロスを引きずり落とした。テーブルの上に置かれていたグラスやケーキが床に散乱する。会場が一瞬静まり返り、すべての視線がトーラに集まった。
「あ、あの…ごめんなさい」
トーラは真っ赤な顔で立ち上がり、慌てて床に落ちたケーキを拾おうとする。しかしドレスの裾を踏んでしまい、再び転んでしまった。
周囲から小さな笑い声が聞こえ始める。トーラは恥ずかしさで顔を上げられなかった。
そんな彼女の前に、見慣れた靴が現れた。
「大丈夫ですか、トーラ様」
顔を上げると、そこにはユウリフが立っていた。凛とした15歳の少年は、トーラに手を差し伸べる。トーラは嬉しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、その手を取った。
「ユウリフ様…ありがとうございます。いつも私、こんなで…」
ユウリフは微笑んだが、その目は少し冷たかった。トーラはそれに気づかなかった。
「トーラ様、皆さんの前でお話があります」
「え?」
ユウリフはトーラの手を取ったまま、舞踏会の中央へと歩き出した。トーラは少し戸惑いながらも、嬉しさでいっぱいになった。なんだろう?
きっと婚約の正式発表だ。いつも失敗ばかりの自分を、それでもユウリフ様は選んでくれたのだ。
舞踏会場の中央。ユウリフは皆の注目を集めると、トーラの手を離し、一歩引いた。
「皆様、お聞きください。」
ユウリフの声は会場全体に響き渡る。トーラは少し不安になりながらも、笑顔を保とうとした。
「本日、重大な発表があります」
トーラの心臓が高鳴る。
「アドメルク伯爵家の令嬢トーラとの婚約を、本日をもって破棄させていただきます」
会場がざわめいた。トーラは笑顔を凍りつかせたまま、ユウリフを見つめた。
「え…?」
「トーラ様は先日、聖女アリシス様を侮辱する発言をされました。聖女様を侮辱することは、神を冒涜することに等しい。そのような方とバルト侯爵家が婚姻関係を結ぶことはできません」
トーラは混乱した。
「侮辱…?私、そんなことしていません!アリシス様とはほとんどお話したこともなく…」
しかしユウリフは冷たい目でトーラを見下ろすだけだった。その横には、白いドレスを身にまとった美しい少女—聖女アリシスが現れた。アリシスは悲しげな表情を浮かべながらも、その瞳の奥には勝ち誇るような光が宿っていた。
「アリシス様がトーラ様の暴言に傷ついておられるのに、まだ嘘をつくおつもりですか」
「違います!私は—」
「十分です」
ユウリフは手を上げて、トーラの言葉を遮った。
「これ以上の言い訳は聞きたくありません。お帰りください。」
トーラは震える手で自分のドレスの裾をつかんだ。涙が頬を伝い落ちる。周囲の貴族たちの冷ややかな視線、そして囁き声が彼女を刺す。
「やっぱりね、あの子はずっと変だったもの」
「聖女様を侮辱するなんて、下賤な」
「アドメルク家も同類かしら」
その瞬間、トーラの世界は崩れ落ちた。
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