←左22話 高橋 瑠火(たかはし るか)

 それは二人が中学に入学して3ヶ月経った頃の話。


「こんにちは! いつも一人だよね、なにしてんの?」


 正親まさちかが、昼休み時間に一人廊下の窓から空を眺めてると、同じクラスの高橋たかはし瑠火るかが、にこやかな笑顔で話しかけてきた。


「……べつに、雲を見てた」


 瑠火をちらりとだけ見た正親は、直ぐに空に視線を戻して興味無さそうにそう答えた。

 それでも瑠火は、気にする事なく正親の横に来ると、同じように雲を見上げて目を眩しそうに細める。


「そうなんだ、なんか面白い形の雲とかあった?」


 直射日光が目に入らないように左手で光を遮りながら、流れ良く雲を眩しそうに見上げる瑠火の横顔に、一瞬だけ心臓を鳴らした正親は、廊下の床に身体を滑り落として座り込んだ。


「そんなんじゃないよ……目が疲れたから遠くを見てただけさ」


 そう言って、床にそのまま置いていた参考書を手に取るとページをめくる。

 それに気が付いた瑠火も同じように廊下に座り込むと、正親の横から参考書を覗き込んできた。


「なにこれ? 学校の授業と関係ないよね? 凄く難しそう!」


 その仕草と、一瞬吹いた風に流れて来た良い匂いに正親は、思わず顔を赤くして参考書に顔を埋めた。


「え? どうしたの?」

「なんでもない……」


 初めて経験する感情に正親は混乱して、その後何を話したのか覚えていなかった。

 ただ、その日を切っ掛けにして二人は意気投合して、よく一緒に居る関係になる。


―――――――――――――――――――――


「それで? 高校だめだったんだ……」


 正親が、第一志望の進学校の受験に失敗して教室の机の上で落ち込んでると、

瑠火が前の席に座って話しかけて来た。


「うっせ……判定Aで大丈夫な筈だったんだよ!」


 顔を上げることも出来ないまま、うつ伏せの状態で器用に大声で愚痴る正親の頭を瑠火が撫でる。


「……なにすんだよ?」

「まぁ頑張ったよ正親は……元気だしてよ」

「わかってるよ……」


 正親の両親は医者として開業医を共に営んでおり、その息子として小さい頃から医者になる事を、当然のように求められてきた。

 ただ、正親にとっての不幸は三つ年上に優秀な兄が居た事で、その兄といつも比べられて、親から厳しく育てられた事だろう。

 親の愛が無かったとは思わない。

 厳しいだけで、それで何か酷い仕打ちを受けて育ったわけでもない。

 それでも、親の期待に沿えなかった自分を責めて落ち込んでいた。

 いつからか、そんな時に自分を頭の撫でてくれる瑠火の手の温もりが救いになってくれていた。


「……でも、滑り止めの高校って僕と一緒だよね? 僕はうれしいな」

「そうだな……」


 ずっといつまでも中の良い友達でいるんだろうって正親は漠然とした安心感をそのころは持っていた。


―――――――――――――――――――――


「え? あの、なんで正親君も一緒なの?」

「なんでって、瑠火に呼び出されたからな」


 高校三年の夏休み直前に日曜日に、隣クラスの女の子から近所のショッピングモールに呼び出された瑠火は、正親に頼み込んでついて来てもらい、一緒にフードコートで話しを聞く事になった。

 正親は予想通りの展開で、嫌そうに眉を顰めて素っ気なくそう答える。

 当然の事ながら来たくは無かったが、瑠火に頼まれて断れるわけがなかった。


「瑠火君! その……私と付き合ってくれませんか?」


 正親と瑠火の二人はいつも一緒な事が多いので諦めたのだろう、正親を睨みつけた後にその子は瑠火を見つめて口を開いた。


「ごめんね、僕はそういうの今は興味ないんだ、だから他の人を探しなよ?」


 この子にとっては、とんでもない覚悟で瑠火を呼び出したのだろうに、瑠火はこういう所は冷たいよなと思いながら、正親はそっぽを向いて溜息をついた。


 そう思ったが、特にこの子へ冷たくしてたらしい、告白を断った後に瑠火は嫌そうな顔であの子の事を呟いた。


「あの子、彼氏いるんだよ……」

「は?」

「しかも、それで何人もの男子に声掛けて、最後には毎回彼氏巻き込んで騒ぎ起こしてる」

「へ? 俺はそんな話は知らないぞ?」

「そりゃ正親は、そういった噂話とか嫌いだからな」


 正親に、にっこりと微笑んだ瑠火の顔はなんだか楽しそうだった。


「そうそう、さっちゃんがたまには遊びに来てよって言ってたぞ?」

幸子さちこちゃんか……そうだな、今度遊びに行くよ」


 正親の答えに満足したのか、机に突っ伏して手を伸ばして瑠火は小さな笑をもらす。


「そう? よかった! さっちゃん喜んでくれるよ」


 告白してきた子の事を既に忘れてしまった二人は、楽しそうに笑い合った。


―――――――――――――――――――――


「おい! 谷津樋、ちょっとこっち来いよ!」


 正親が、自分の席で参考書に目を通していると、隣のクラスの四栁よつやなぎ健司けんじが、バスケ部のユニホーム姿でズカズカと音を立てて正親の机へ近づいてきた。


「聞いてるのか! 谷津樋!」


 そのまま、正親の机に大きな音を立てて両手をつく。


「なにか用事でも?」


 正親は、これまで話した事も無い健司からの恫喝に眉を顰めてそう答える。

 そんな正親に自分の恫喝に動じない事にイラつきを覚えて、健司は正親の胸倉を掴んで椅子から立ち上がらせた。


「いいから来いよ! 話しが有んだよ!」


 軽々と持ち上げられても、健司は眉一つ動かす事無く呆れたような溜息を漏らす。


「はぁ、これだから体育会系の奴は嫌なんだよ……僕には用事ないので帰って頂けますか?」


 その言葉を聞いた健司は、怒りの形相を浮かべると思いっきり正親の顔を殴りつけた。

 殴られた正親は、その勢いのまま後ろの机を幾つか巻き込んで倒れ込み、バスケ部員らしい汗臭さと手についたボールの匂いが正親の鼻を刺激され、臭いなと関係ない事が頭の中をよぎった。


「きゃー!!!」


 教室中に誰かの悲鳴が教室に響き渡る。

 健司はそれらの声を無視して、倒れ込む正親の胸倉をもう一度掴んで持ち上げてると、それでも無表情に自分を見る正親に怒りを抑えられずに、付きそうな程に正親の顔を近づけて睨みつけるとギリギリと歯を鳴らす。


「すました顔してんじゃねぇよ! おまえ日曜に、俺の泉美いずみと街を歩いてたらしいな?!」

「……言ってる意味わかんないんだけど?」


 唇を切ったのか、流れる血を手で拭いながら正親は持ち上げられてる体制で、健司を見下すように見る。


「おい! なにやってんだ!」

「っち! なんでもねぇよ!」


 誰かが呼んだんだろう、体育教師が飛び込んで来た事で、正親から手を離した健司は体育教師を押しのけるように、教室を出て行った。


「まて! 四栁!」


 それを追いかけて体育教師も教室を出て行った。

 ざわざわとした空気が教室に戻ると、瑠火は正親を支えて持ち上げて椅子に座らせる。


「瑠火? 戻ってたのか?」


 トイレに行ってて丁度教室に瑠火はいなかった。

 正親は巻き込まないで済んだ事にほっとしたものの瑠火の表情が険しい事に気が付いて、嫌な予感を感じながら聞く。


「さっき、あの泉美子に廊下で会ってさ、僕を巻き込みたくないから君と合ってたって健司に言ったなんて言いやがったんだよ」

「……それでこの騒ぎか」

「あの子は、僕を巻き込まなかった、偉いでしょって顔してさ」

「……それはまた……」


 なんとも言えない気持ちにはなったが、そのおかげで殴られたのが瑠火じゃ無かった事では、正親は泉美って子に感謝をのべておくことにした。


「……でもさ、なんかそれって俺達二人の仲を裂きたいのかなって感じしない?」


 怖い顔のまま廊下の外の睨んでる瑠火に、なんとなしにそう正親が呟くと、その言葉を聞いた瑠火は、一瞬呆けた顔になると突然に顔を真っ赤に染めてそっぽを向いた。


「さ、さぁ僕には何の事かわからないよ……」


 そう言いながら、顔を赤く染めた横顔を正親はけっして忘れる事は出来なかった。


―――――――――――――――――――――――――


「ん? 瑠火どうしたんだ?」


 高校卒業の日、瑠火は正親を校舎裏に呼び出したが、変に男女の組み合わせの者が何人もいて、誰も居ない所を探して彷徨う。


「ちょっとまって! 誰もいない所がいいんだ!」


 緊張してる時のように、手を冷たくさせて正親の手を引っ張る瑠火に、連れまわされる正親は呆れた顔のままそれに付き合った。


「……ここなら誰もいない」


 そうしてなんとか誰もいない場所を見つけると、瑠火は正親の正面に立って歯を喰いしばる。

 何かを決意する為の時間のようで、正親は無言で瑠火の決心がつくのを待った。


「昔、バスケ部の子が僕に告白してきたこと覚えてる?」

「ん? ああ覚えてる、殴られたのは俺だからな」


 決意が必要な事がこの話なのかと訝しく思った正親は瑠火を見ると、その表情はまだ緊張していて、唇の端が震えてるのが見て取れた。


「彼女、実は僕の事全然興味が無かったみたいだよ。 彼氏に嫉妬してもらいたかっただけで、他にも似たような事起こしてたんだけど……知らないよね?」


 そういえば、あれだけ怒ってた割りに二度目は無かったなと正親は思い出す。


「それは知らなかったな……そういえば、あのバスケ部員は退学になってたな」

「あはは、名前じゃなくてそれで憶えてるんだね。 まぁ何度も暴力事件起こしてればそうなるよね……」

「……それが言いたかったのか?」


 正親は、意を決して自分の方から話すように促して瑠火を見つめると、ふと瑠火が女だったらな、等と考えて居る自分に苦笑した。


「うんん、違う……」


 高校を卒業すると正親は県外の大学に進む事になっていたし、そうでは無い瑠火とは今後、あう機会も少なくなるだろう。

 だから、今の内に何かを伝えようとしている事は鈍い正親でも分かってはいた。 そう、分かってはいた筈なのだ。


「正親……気持ち悪いかもしれないけど、どうしても言っておきたい事があるんだ」


 瑠火は顔を真っ赤に染めて、正親を見上げると目を潤ませる。


「おお……」


 瑠火のどこか艶めいた表情に圧さて、正親は戸惑いに言葉を口にする。


「……僕は正親の事が好きだ……」

「え? ああ、俺も好きだぞ?」

「そうじゃない! 恋愛的な意味で好きなんだよ!」

「え? は?」


 突然の告白に目を白黒させて正親は眩暈を起こした。

 男性同士だよなと混乱して思わず瑠火の胸元に視線を向けて、胸の膨らみを確認してから、『流石に女でしたって事は無いよな』って心の中で呟くと、瑠火の目をまっすぐと見る。


「男同士だぞ?」

「分かってる! だから気持ち悪いかもって言ったんだ……」

「……」


 混乱している正親と、必死の形相の瑠火は相反する心境の状態で、二人ともただ無言で見つめ合ったままで時間が流れる。


「付き合って欲しい……ダメならすっぱりと諦めるから……」


 無言に耐えられなくなったのは瑠火で、そう祈るように言葉を口にして、胸の前で両手を組んで目を閉じて顔を下に向けた。


「正直言って、瑠火がなんでそんな事言ってるのか、俺には意味がわからない……いや、意味はわかるんだけど……何言ってんだ俺……」


 混乱から抜け出せない正親は、震える瑠火の両手に自分の手を置く。


「正親!」


 その行動に喜びと期待の表情を浮かべて、涙目を瑠火は正親に向けるが、正親は視線を逸らすように、いつかのように空を見上げている。


「……正親」

「ごめん」


 正親の精一杯の答えは『ごめん』だった。


「そう、ちゃんと答えてくれて……ありがとう」


 文句を言われたって仕方ないのにと思う正親に、瑠火は精一杯の明るい声でお礼を言うと、笑顔のままで涙を流した。


 それから数日後に正親は、瑠火が家出をしたと彼の妹の幸子から聞いた。

 今でも何故家出までしたのか、正親には分からない。

 ただ、瑠火が次に彼の前に姿を現したのは、その三年後の事だった。

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