第四部 途切れ TOGIRE 3
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シャワーを浴びて着替えを済ませると、未來のメンタルは一時的に落ち着いた。冷静になりすぎて、玄関に塩をまくのを忘れたな、なんてことを考えるくらいには落ち着いた。あ、でも、お墓参りの時は要らないんだっけ?
それからしばらくベッドに入って眠った。スキンケアすらサボった。明日の肌は最悪だろう。でも知るもんか。眠ることでリセットされる感情もある。未來は意図的に、意識しながら目を閉じた。しばらくそうしてじっとしていたが、うまく入眠できなかった。
こういう時は好きなユーチューバーのASMRを聞くに限る。——が、今日に関してはそんな気持ちにもなれなくて、極力飲まないようにしていた睡眠導入剤を飲んで無理矢理に横になる。スマホを開いたら負け。
そのまま何時間か経つ頃に、ようやく意識を手離せた。
深夜に目が覚める。想定通りだ。未來はむくりと起き出す。なんだか夢を見たような気もするが、あまり覚えていない。少しはスッキリできた気がする。睡眠不足は人間を曇らせる。寝て、食べる。コレが大事。って、教えてくれたのも敦子だった。
食欲は相変わらずなかったが、それでも何かを食べないとだめだという意識は、強く働いた。腹が減ってはなんちゃらら、ってやつだ。
そう、これは『戦』なんだから。
冷蔵庫の中を開くと大好きな白バラフルーツというフルーツオレとチルド麺の焼きそばが目に入った。うん、これでいい。キッチンにだけ明かりをつける。わずかに気分も明るくなる。
キャベツをざく切りにして、豚のこま切れ肉と一緒にフライパンで炒める。油で炒めたキャベツってなんでこんないい匂いがするんだろう。未來の食欲が急速に舞い戻ってくる。いいぞいいぞ。この調子だ。
ある程度色が付いたところで麺を二袋投入。水を入れながらほぐし、水気がなくなってきたところで同封のソースとよく混ぜる。
焦げ目がつくまでしっかり焼いた方が未來の好みだ。強火で一気に。気が済むまで無心で混ぜて、無心で炒める。キャベツも、しなしなになるまで炒めたい。身体は疲れているが、焼きそばなら作れる。簡単で美味しいは最強なのだ。心の中で「美味しくなあれ・萌え萌え萌え・ビーム」を唱える。一瞬だけ、メイド姿の敦子の顔が思い浮かんで泣きそうになるが、グッとこらえる。
完成した焼きそばを皿にどっかり盛り、再び開けた冷蔵庫からマヨネーズを取り出しかける。今日は控えない。深夜の暴飲暴食だ。ダイエット? そんなの知らない。食べたいだけ食べてやる。
冷えたフルーツオレをコップに注ぎ淹れ、いざ「いただきます」。
大口を開けて焼きそばを頬張る。マヨネーズのまろやかな酸味と焼きそばのしょっぱさが絡み合って、口の中で絶妙なハーモニーを奏でている。キャベツの歯ごたえや豚コマの旨みが彩を加える。
豚肉って、こんなに美味しかったっけ。
簡単で美味しいは最強。自分で思いついたフレーズが思いがけずハマる。そうだ、簡単、美味しい、最強。
がつがつと頬張る。こんな姿、彼氏には見せられないな。いないけど。今は。
さらにコップに注いだフルーツオレを一気呵成に流し込む。口の中のしょっぱさが浄化されてさわやかなフルーツの匂いが鼻に残った。流し込まれたフルーツオレが食道を通って胃袋まで流れ込んでいくのが感覚で分かる。なんとも気持ちいい。美味しい。
——ああ、生きてる。と思った。
そうだ。未來は生きている。運よく生きている。私はしぶといんだ、と思った。誘拐犯からはかくれんぼで逃げ切り、アイツにもまだ見つかっていない。
リベンジだ。ここからが、私のターンだ。
今後どうすればいいのかを真剣に考えなくてはならない。焼きそばを口の中いっぱいに放り込みながら未來は考える。
警察にありのままを伝えて動いてもらおうか。ソレが一番妥当な手段だ。ウチの近くの交番? それとも和泉橋にある警察署でいいのかな。とりあえず110番すればいいか。対応は任せてしまうとして——
でもちょっと待って。未來は思考をいったんストップさせた。実行犯は別に二人いるわけで、そいつらも捕まえて一網打尽にできるような証拠がないと、ただの言いがかりで終わってしまいかねない。
警察が私の証言を信じてくれる算段もないし、田口の家に忍び込んでしまった事実もある。懸念ばかりだ。
ああ、クソ! 頭の中に住むガサツな未來が悪態をつく。もっとうまくやればよかった!
ああだこうだ考えても埒が明かないことくらいは分かっている。だが、未來はもう失敗できない。おそらく相手は、未來が田口のことを探っていたことにも気づいているはずだ。
次に未來が思いついたのは、直接アイツに真実を問いただすこと。
職場の衆人環境下でやれば、さすがのアイツもいきなり襲ってくることもないだろう、さすがに。明日もアイツは出勤しているはずだから、ソレができるはず。
——本当にそう? 危険すぎない?
ああ、もう、こういう時に、相談できる友人や知人が欲しかったな、と思う。こういう時、家族には頼りたくない。彼氏もいない。今は。敦子以外のメイドさんに仲のいい子もいるけど、これ以上、女の子を敦子みたいな目に遭わせるわけにはいかない。
どうすればいい? 焼きそばを咀嚼しながら必死に考える。どうすれば、どうすれば、どうすれば——あ。
いるじゃん。
一人だけ、こういう時に助けてくれそうな人。ウチの常連客で、かつノア推しの彼。でも未來は彼の連絡先なんて知らない。職場に突然押しかけるか——でも会わせてくれるかな。留守だったらどうしよう。
いや、待って。ツイッターならどうだろう。彼のアカウントなら見つかるんじゃなかろうか。
未來は焼きそばを食べつつスマホでツイッターのアプリを開いて、ハッシュタグをつけて検索を開始する。『かわいいだけじゃダメみたい』、あるいは『かわダメ』で検索。ヒット数はそれなりに多いが、どれもお店スタッフによる出勤情報ばかりだ。
未來は検索窓にさらにワードを追加する。
『ノア推し』、もしくは『ノア担』——いや、こっちは違うか。
——来た。
アニメキャラクターっぽいアイコン。コレはおそらく彼が描いたモノだ。彼はそういう著作権関係にはうるさかったはず。アカウント名といくつかの投稿、そして掲載されている写真を見て確信する。『かわダメ』特製のパフェと、映る男性——まちがいない、彼だ。
「あたり!」
思ったより大きな声で叫んでしまった。窓は開けないようにしているが、警戒せねば。暗がりにもだんだん慣れてきた。警戒するに越したことはない。
最後の焼きそばを口の中にかきこんで、ソースの味になった口の中にさわやかなフルーツオレ。このしょっぱさと甘さのループがたまらない。無限にいける。
もし無事に田口ちゃんを救出できたら、一緒に美味しいものを食べに行こう。もちろん、敦子も誘って。どこがいいかな。肉の万世とかどうかな。田口は食べることが好きだと言っていた。きっと、友達になれる。なれるに決まっている。
フルーツオレを飲み干して、脳に糖分を存分に送り込んだら、いつもの未來の完成だ。
二秒だけ脱力した後、気合を入れ直し、ダイレクト・メールの画面を開く。未來はこの数年で一番の集中力を発揮して文字をフリック入力していく。
未來のプライベート・アカウントがバレてしまうことになるが、この際そんな細かいことは気にしていられない。
『こんばんは。遅くにごめんなさい』
そんな文面から始めたが、この書き出しだと最近流行のインプレッション稼ぎのアカウントだと勘違いされて最後まで読まれずに消されかねない。
文字を消してさらに打ち直す。
『かわダメのミクです。話があるんだけど』
ああちがう! まどろっこしい!
これじゃだめだ。通知だけで、思わずタップしてしまうような文面じゃないと。向こうだってすぐに気付くとは限らない。時間を待たず認識してもらわないといけない。
もう三秒だけ考えて、未來はこう書き込んだ。
『助けてテル君! ノアちゃんが大変なの!』
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