高価な宝飾品と、香と鈴の音

 若葉を濡らす恵みの雨。

 資善堂に暫しの休息が訪れる。

 空薫し、安息香の甘い香りが室内を優しく包み込む。

(※空薫とは部屋や物にお香を焚きしめること)


義姉上セオンニ、そんなに気になるなら、直接兄上オラボニに尋ねたら宜しいのでは?」

「お酒を飲みながらだったけれど、聞いたのよ。だけど、はぐらかされてしまって」

「兄上の性格からしたら、足繁く通うような女人がいれば、堂々と父上に報告しそうなものですけれど」

「……そうなの?」

「えぇ。それに万が一、そのような女性がいたとして、五歳くらいでしたっけ?」

「そう、四~五歳くらいの男の子」

父上アバママの許可なく、王宮に招き入れたりはなさらないはず」

「……」

「私の憶測ですけれど、秘密の通路のようなものがあって、その男の子が勝手に王宮に入り込んだという線が濃厚では?」

「秘密の通路?!」

「えぇ、昔から有事の際に、王宮の外へ抜けられる隠し通路があると聞いております。私は一度も利用したことも見たこともありませんけれど。兄上は違うのかもしれません。世子セジャですし」

「……」


 ハユンは例の男の子とその母親に関しての相談をヒャン公主にするようになった。

 公主コンジュ邸下チョハの護衛武官であるヒョヌとお近づきになるために一肌脱ぐことを条件に、密かに情報の交換をしようと持ち掛けたのだ。


 雨が降れば庭いじりも出来なくなるため、今日はハユンの居室でお茶を嗜みながら二人して刺繍をしているのだ。


 ヒャンは神気のことを全く知らない。

 世の中には、神気の力を持つ者がいるというくらいの認識で、自身に神気の力がないために何も教わって来なかった。

 将来、どこかの良家に嫁がせ、平穏に暮らして欲しいという親の願いが込められている。


「今日は重臣たちと会議があると、朝仰ってましたよね?」

「はい?」

「探してみましょうよ! こういう時でないと、邸下の部屋には入れませんよね?」

「正気ですか?!」


 例え夫婦であっても、居室は別々。

 両班以上の階級では、艶事の時にだけ夫が妻の部屋に通うのが一般的であったため、それぞれ私的空間が保たれていた。

 がしかし、お転婆娘のハユンには、王族だろうが両班だろうが関係ない。

 気になったことはとことん調べ上げる気質なのだ。


公主コンジュは見張っててくれればいいですから」

「っ……」


 こうなったら手が付けられれないのがハユンである。

 上手いこと理由をつけてシン尚宮を使いに出し、スンアは公主付きの尚宮や女官たちと邸下の部屋の前に待機している内官と女官を別室に集め、茶を振る舞う。

 その間にハユンと公主はクォンの部屋へと侵入した。


「怪しい感じのものは無いわね」

「この部屋にあるとは限りませんよ?」

「それもそうね」


 公主が扉の前で人が来ないか確認している間に、ハユンはここぞとばかりにクォンの居室内を嗅ぎ回る。

 すると、卓子タクジャ(棚)に螺鈿細工の小さな箱を見つけた。

 慎重にそれを手に取り開けてみると、中には珊瑚と真珠が施された鳳凰の簪と黒翡翠の指輪カラクジ(対になっている指輪)が入っていた。


義姉上セオンニ? どうかされましたか?」

「……ううん、何でもない」


 ハユンは見てはいけないものを見た気がした。

 邸下が慕う女性に贈る品に違いない。

 国婚を挙げたからといって、所詮は『お飾り嬪宮』。

 贈り物など、して貰ったこともないハユンにとって、改めて現実を突き付けられた気がした。


 ***


 その晩、酷い耳鳴りがして目を覚ましたハユンは、夜風に当たろとこっそりスンアを連れ出し、香遠亭ヒャンウォンジョンへと夜の散歩に出た。

 すっかり雨は上がり、澄んだ夜風が湯上りのハユンの肌を撫でてゆく。


 ハユンは八角形の東屋へと続く橋の上で立ち止まり、池に浮かぶ月を眺める。

 あと数日もすれば再び満月が訪れる。

 あっという間のひと月だったなぁとしみじみ思い耽っていると、どこからともなく鈴のような音が聞こえて来る。


「媽媽?」

「誰か来ないか、ここで見張ってて」

「……はい、お足元をお気をつけ下さいませね」


 提灯を手にしたハユンは、音のする方へと誘われてゆく。


**


「日中の調査だけでなく、夜間に王宮内に出入りしているということか?」

「そのようです」


 子時チャシの刻(午後十一時~午前一時頃)、クォンは居室にてヒョヌから報告を受けている。

 翊衛司イグィサ(世子の護衛)にジヌクのことを詳しく調べさせたところ、女官死体事件が起こる前から王宮内に出入りしていることが判明した。

 何かの事件を追って、取り調べで王宮内に入ることはあるにせよ、クォンには気になることがあった。


 嬪宮を追って行ったあの日。

 偶然行き会ったリュ大監の息子ジヌク従事官チョンサグァンから、嬪宮がよく使う香の匂いがしたのだ。

 女性が好む香りだとカン尚宮サングン(クォン付き)から聞いていただけに、気になっていた。

 それにあの一瞬だったが、クォンはジヌクから悪鬼の残気のようなものを微かに感じた。

 

「邸下?」

「嬪宮の顔を見てくる」

「フフッ、もういい加減素直になられたら如何ですか?」

「何がだ」

「何でもございません」


 ヒョヌは含み笑いをしながら、部屋の扉を開ける。

 クォンはフンと鼻を鳴らしながら、殿閣内を移動し、嬪宮の寝室へと。


「取り次げ」

「媽媽、世子邸下がお見えです~」


 扉の前に待機している尚宮が声をかけるが、返答がない。


「入るぞ」


 既に寝ているのならそれでいいと思ったクォンは、女官が静かに開けた扉の先へと。


「いないではないか!」

「えっ?! 媽媽?!」


 クォンの言葉に室内をきょろきょろと見回す尚宮と女官たち。

 クォンは胸騒ぎがした。

 今朝国王夫妻に挨拶に伺った際にも、いつもと同じあの香りがしたからだ。


「ヒョヌ、ついて参れ!」

「御意」

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