前代未聞の、逃走劇?!
王妃や世子嬪が着る唐衣には、胸と両肩に
王の平服には金糸で龍が、世子には銀糸で龍が、王妃には金糸で鳳凰が、世子嬪には銀糸で鳳凰があしらわれている。
(※王妃の補に龍があしらわれていることもある)
「媽媽、湯あみのご用意ができておりますので、まずは湯殿へと。その後に
「……分かったわ」
「それは?」
大きな木箱を持ち出そうとしているスンア。
「父から王様に、事前に許可を頂いている物です。私が普段使っている生薬や香草でつくった物なのだけれど、髪や肌のお手入れに使うもので、
「そちらがそうでしたか。話は伺っております」
「湯あみの際にそれを使いたいから、スンアに湯殿に入る許可を」
「……承知しました。イム尚宮(スンア)、くれぐれも粗相のないように」
「はい、尚宮様」
ハユンは腰を上げ、女官数名とスンアを連れて湯殿へと向かう。
「この先が、邸下の部屋かしら?」
「左様にございます、媽媽」
自身の居室とは反対側の部屋(通路の奥)にハユンの視線が向けられた。
日中は殆ど世子嬪とそのお付きの者くらいしかいないが、夜になると執務を終えた世子が隣にある
とはいえ、普段は別々の寝室で寝るため、用がなければ顔を合わせることも殆どない。
しかも、常に居室の扉の前には女官と内官が待機している。
一挙手一投足、一日中見張られているようなもの。
人目を盗んで父親の部屋に忍び込んでいたようなハユンにとったら、王宮は二度と出ることのできない鳥籠のような場所だろう。
湯殿に着くと、既に準備してくれていた女官たちが色めき立っている。
彼女たちからしてみれば、これから主である世子嬪が湯あみをして体を隅々まで綺麗にし、その後に初夜を迎えるために美しく着飾ることが分かっているからだ。
両班の女子でも、初夜は特別なものだ。
美しく綺麗に着飾った姿で、初めて夫となる男性に身を委ねるのだから。
けれど、ハユンにはそれよりも大事なことがある!
「スンア、お願い」
「はい、媽媽」
だいぶ陽が傾いて来ていて、ハユンは気ばかりが焦る。
黒髪のうちに実家から持参した生薬と香草で配合して作った香油のようなものを髪に施したいのだ。
「媽媽、これにはどのようなものが入っているのでしょうか?」
「特別変わったものは入ってないわ。髪の艶を良くするものには柿葉や紫根、
「薬剤にお詳しいと事前に伺っておりましたが、これらだけでなく、他にもあるのですか?」
「えぇ、あるわ。美肌になるものもあるから、後でみんなに教えるわね」
「有難き幸せに存じます」
*
お世話役の女官が腕や体などを隅々まで磨き上げ、仕上げに
スンアはハユンの髪を洗い流し、用意しておいた油薬(さらりとした軟膏)状のものを髪に念入りに施した。
まさかこれが、櫛に仕込んである香油と合わさると、黒く反応するとは誰も気づくまい。
黒髪にほぼ透明状のものを塗り、櫛に施す香油が透明だから、誰の目にも染め薬だと分からないのだ。
*
居室に戻ったハユンは、特別に誂えられた夜着に着替え、スンアが髪を梳いている間、シン尚宮は女官に指示を出し、祝膳料理や酒の用意と寝室の支度が整っているか最終確認をしている。
「あっ、……
「スンア、言葉遣いには気をつけて」
長年『お嬢様』と呼んで来たため、気が緩むとついうっかり呼んでしまうのだ。
「(大変ですっ! 髪が……銀色になりつつあります)」
「えっ?」
「どうして? 以前した時は、黒髪のままだったのに」
近くにいるであろうシン尚宮に気付かれないように声をひそめるスンア。
銅鏡を覗くハユンの目にも、薄っすら所々に白っぽく変色している部分が見えた。
「もしかして、湯の中に要らぬ成分が混じっていたのかもしれないわっ」
「どうしましょう……」
「黒壇の器に練り薬があったはずよ。あれを持って来て頂戴」
「分かりました」
スンアは屋敷から持って来た荷物の中から黒壇の器を取り出し、それをハユンに手渡す。
普段は綿布を染めるための染料だが、急場凌ぎで、髪の表面を黒くするのに使うつもりだ。
「媽媽、お支度が整いました。ご移動を」
「分かったわ」
完全に銀髪になったわけではない。
薄っすらと、斑に所々が白抜けている状態だから、シン尚宮には気付かれていないようだ。
元々、王族を直視してはならないという掟もあるため、じろじろと見られることもないのが救いだ。
ハユンは袖の中に小器を隠し、寝所へと向かう。
今にも陽が沈みそうになっていて、蝋燭の灯りがなければ足下が薄暗いくらいだ。
「では、私共は待機しておりますので……」
「分かったわ」
スンアはシン尚宮に退室するように促され、渋々部屋の外へと。
袖口から小器を取り出したハユンは蓋を開け、黒光りしたそれを手に取り、無我夢中に整えられた髪の表面に塗り付ける……が、夜着に練り薬が付着して我に返った。
髪だけでなく、手や夜着まで黒く染まってしまっているのだ。
「拭くもの……拭くものを探さねば……」
気が動転して、冷静でいられない。
手を洗うにも女官に手洗い用の桶を頼まねばならないし、着替えを頼むのも気が引ける。
そもそも、こんなにべたべたの状態で寝具に横たわるなどできるはずもなく。
世子邸下の夜着を汚してしまうのが目に見えるではないか。
ハユンはシン尚宮たちが待機している扉ではなく、隣りの部屋へと繋がっている扉に手をかけた、その時。
背後の扉が開き、再び閉まった。
「何をしておる、
「っっっ」
「まさか、
「っ……ち、違います」
「では、何の真似だ。……プッ……くくくっ」
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