第4話【アルグレンの忠告】

 

      


 宿に入るまでライは口も開かなかった。

 部屋に入るとベッドに腰掛けて窓の方を向き、あからさまにマーラに背を向ける。

 これは持久戦の構えだ、とマーラは心の中で小さく笑った。


 ライはとても意志の強い青年なので、こういう時に出方を間違えると梃子でも動かなくなる。

 彼と初めて会った時の戦いがマーラにとって、ライと付き合うに当たっての、全てのお手本になる事例となった。

 あの戦いではマーラはライに対して、全ての出方を間違えてしまった。


 彼を無駄に怒らせること。

 彼の矜持を傷つけること。

 協力を拒み、一人で構わないなどという態度を見せること。

 あと、口の利き方も気を付けなければならない。

 これは、対ライ戦において守らなければならない鉄則だ。

 まずは、彼の怒りを解いて、話を聞いてもらえる状況を作らなければならない。

 古き名門の血を引く彼女の脳が、動き出していた。


「ライ」


 上着を脱いで、とりあえず声を掛ける。彼は背を向けたままだ。これは完全に怒っているのだろう。

「ライ、ねぇとりあえず、話を聞いて」

「聞きたくない」

 彼は冷たい声で言った。

「話を聞いてとか言ってもお前はもう、自分の中では行くって決めてるんだろ。俺は行きたくない。じゃあ、話し合ったって仕方ないことだ。だからお前の話は聞きたくない」


(鋭いわね相変わらず)


 マーラは思わず腕を組んだ。

 確かにマーラの頭はすでにギルノと共に行って村の真偽を確かめ、それからズィーレンに行きギルノが本当にメンルーゲの知り合いなら、説得もずっと楽になるだろう、彼ともし協調体制が取れたら、何を言うべきか、などと……そんなところまで考えていたものだから、その彼女の滑らかな思考に、さすがにライが釘を厳しく撃ち込んだ。


「……ライ」


「俺は本拠地出る時、ただでさえ死ぬほどアルグレンに、お前に何かあれば殺すと釘を刺されたんだぞ。それが、こんなことにお前を巻き込ませたら、ヤツに合わせる顔が無い。ようやく最近、あいつとも殴り合いの喧嘩が減って来たってのに、また逆戻りだ」


 マーラは少し考え込んだ。

 ライが使命感を抱え込んでいる時に、安易に気を立たせるような言葉は向けない方が良かった。下手な声を掛けると、お前を引きずってでもズィーレンに直行するからななどと言い始める可能性もある。

 うーん……とマーラは次の一手に悩んでいたのだが、沈黙しているうちに、ライの方が額を押さえて俯いた。


「……アルグレンに言われたことがある。俺は、守ることも諌めることも中途半端なんだと。……そうだよな。君を危険に晒さないというなら、そもそも制御ピアスなんかも外させるんじゃなかったんだ。そんなことしなければ、そもそもあんな胡散臭い奴が君に声を掛けて来ることもなかった。声を掛けて来た時に、話なんか聞く必要ないと、君の腕を掴んで引きずって宿に戻れば良かった。あそこまで聞かせたら、君は行くと言うに決まってるのに。奴の言ってることは、こういうところなんだな。俺は中途半端なんだ」


 マーラは碧の瞳をぱちぱちと瞬かせる。

 まだ何も彼女は言ってないのに、ライは何故か一人で落ち込み始めてしまった。


 アルグレン・シャールの烈火の様な気性を思い出す。


 生まれながらの騎士を擁するシャンダール王国騎士団育ちのライの気性もなかなか強固だが、 

 元々帝国軍帝都憲兵隊に所属していたアルグレンはまさに今は幻となりつつある、古き良き時代の帝国兵の見本となるような人物だった。 

 彼はまだ二十六歳という若さだが元々はマーラ達と敵対する立場であり、帝都付近で彼女達を追い回していたのは主にアルグレンの部隊だった。

 ある時アルグレンの憲兵隊の上官が変わり、その新しく赴任してきた上官が、敵を貶めることになら手段を選ばない野心家で、当時レジスタンスの象徴になりつつあったマーラを捕らえ、帝都の将校に取り立ててもらおうと企むような男だったのだという。

 それまで確かにアルグレンの部隊は激しい追撃はして来たものの、それはいかにも正面からぶつかって来るという感じであり、帝都の軍でありながら清々しさを感じるほどだった。


 アルグレンはあまり話したがらなかったが、同じく、帝国軍の近年最もたると言っていい凄惨な戦い『シュメテル渓谷の戦い』に、望まない形で関わった元帝国軍人ヤンゼ・オズアルトにだけは、少しだけ打ち明けたという。

 アルグレンの上官は金をばらまきながらマーラの行方を追わせ、彼女を庇ったり、支持するような素振りを見せた者は容赦なく帝都の監獄送りにしていたらしい。その上、尋問の遣り方も相当醜いものだった。

 老人や子供にも暴力を振り、親の前で子供を殴ったり、恋人の前で女性を帝国兵に嬲らせたりもしたのだという。アルグレンは忠義に厚い軍人だったためそのやり方に耐え兼ねていたが、そうしてるうちにマーラ達の行方を報せる有力な手掛かりが入り、彼女が立ち寄ることになっていた街に上官は軍隊を潜入させ、伏兵の計を掛けたのである。


 マーラ達はその情報を得ていなかったため、もしそこでアルグレンが反旗を翻して騒ぎを起こしてくれなかったら、文字通り一網打尽になっていただろう。


 マーラが街に着いた時その街では上官と、その遣り方に誇りある帝国軍人としての矜持を傷つけられ、もう従う気はないと反意を見せたアルグレンと、彼の直属の部下達が内部分裂を起こし、街を巻き込んで戦闘を開始していたのだった。

 アルグレンはその時に瀕死の重傷を負って、帝国軍に取り囲まれていた。

 マーラはその時は何も事情を知らなかったが、望んだわけではないとはいえ、いつも迷いの無い目で自分を見据え正面から追撃を仕掛けて来る軍がいると、妙な顔見知りになっていたアルグレンを混乱の中から救い出した。

 帝国軍の追撃は二日間も続いたが、彼女はアルグレンに治療を施しながらこれを躱し続け、逃げきったのである。


 アルグレンが瀕死の底で、あの男だけは殺してくれとうわ言のように繰り返した、その上官は、ヤンゼが斬った。

 彼は救い出された後ようやく数日後に命を取り留めたが、帝国軍人として上官と皇帝を裏切ったと死にたがったので、マーラはヤンゼに説得を頼んだのだ。

 何を話したかは知らされていないが一週間ほどして、アルグレンが自分達と共に帝国と戦いたいと言っていると、ヤンゼから報告があった。

 マーラがアルグレンに会い、自分達の為に戦ってくれたことに対して礼を述べ、頭を下げると、彼は顔を強張らせて「俺は、貴方に礼を言われるような人間じゃない」と言って涙を流した。




 ――後日、ヤンゼから事実を聞かされて、彼女はアルグレンの流した涙の意味を知った。




 マーラの婚約者のルカ・バルトラが帝都の近隣の街で処刑されようとした時、襲撃したマーラ率いるレジスタンスと帝国軍が衝突し、激しい戦闘になった。その時マーラ達を取り囲んだ部隊を率いていたのが、憲兵隊のアルグレンだったのである。


 ルカを射殺した兵は、アルグレンの部下だった。


 彼はヤンゼから話を聞くまでルカ・バルトラが無実の罪で投獄されたことを、知らなかったのだという。

 帝国の不正の犠牲になる人々を匿い、救っていただけなのだと聞かされて、彼は自分のしたことを悔やみ涙を流して詫びたという。そして全てを投げ打って彼の死を無駄にしないと、帝国貴族ながら剣を取ったマーラの力になりたいと願った。


 以後彼は、いつもマーラの側にあり、彼女を守ってくれている。


 ライとマーラが出会った時は色々と混乱の中にあり、幾つもの行き違いがあった。

 あの戦いでは最後マーラは片腕を斬るか斬らないかまで追い込まれたので、そのことがアルグレンのライに対する強い不信に繋がってしまっているのだ。


 だがライは当初から何の見返りも求めずに、マーラに力を貸してくれた人間だ。

 帝国に対する私怨があるわけでもなく、何か特別な利益をレジスタンスから受け取っているわけでもない。それでも彼はレジスタンスに残ってくれた。未だ正式なメンバーではないとはいえ本来ならば、アルグレンとは意見は合うはずなのだ。


 しかしそういう事情もあり、若干マーラに同情的でありすぎるアルグレンと、ライは彼女を諌める時は力いっぱい諌めるので、結果として「彼女に気安く命令するな」「お前こそ甘やかすな」と顔を付きあわせると掴み合いの喧嘩を始めるわけである。

 困り果てたマーラが頼ったのが、ヤンゼだった。


 ヤンゼは、アルグレンとライを二人だけで街に置き去りにし、お互い心の内を話してわだかまりを無くすまで、帰って来るなと言って戻ってきた。日を跨いで翌朝、不機嫌そうな顔で二人は戻って来たがそれ以来少しだけ、衝突は減った。


 アルグレンはすでに、マーラに命まで預けている。

 だから彼から「中途半端だ」などと言われると、ライも胸の棘に感じるのだろう。

 確かにアルグレンほど中途半端でない男も珍しい。


 彼はかつては敵で、だがマーラを死なせてはいけないと思い、上官と国に反旗まで翻した。

 そのことで軍人としては裏切者であると自分を見限った時、彼は死を願った。

 しかしマーラに命を救われ過去の行いを後悔した今は、彼女の為に死ぬことに躊躇いは無いと言い放つ。確かに彼ならば、迷いなくそうするだろう。


 マーラ自身、説得するならライの方がまだ易しいと感じている。

 同じように自分が行かなければと飛び出して行こうとした時、アルグレンが本気で諌めに出て来ると、では私を殺してから出て行って下さいと本当にそういう目をするので、マーラは躊躇うことがある。


 ライはそこまでの覚悟をマーラに求めては来ない。

 彼はいつだって自分自身に覚悟を求める。

 自分がどうかなのだ。

 マーラが何か困難に合うとだから言っただろう、と詰れるようなら気も楽なのだろうが、そういう時も彼は「俺がもっと止めていれば」と自分を責める。


 ……こころ優しいのだ。


 マーラは小さく息をつく。

 彼を籠絡しようなどと考えているとこちらが悪人になったような気分になるから憂鬱だ。

 結局、マーラは上手く説得しようなどと考えるのは止めた。

 ライが盾もなく、身一つで自分に向き合ってくれている以上自分もそうしなければならないと思った。こうなればもう、誠心誠意彼に訴えるしか手はない。


「ライ」


 マーラは向こうを向く彼に近づいていった。

「私一人で行こうとは思ってないわ。武器も持ってない今、頼りになるのは貴方しかいない」

「……」

「ちゃんと、貴方の意見も聞きます。貴方が本当に、先を急いだ方がいいって言うなら、……そうする。本当よ」

「……」

 マーラは彼の座っているベッドに腰を下ろして、俯いたままひたすらにこちらを見ようとしないライの背を、そっと叩いた。

「他に……どうお願いしたら貴方は付いて来てくれる?」


 ライ。


 マーラがずっと、ライの背を聞いて、というように本当に軽く叩いている。 

 ライは段々と四方を囲まれて行く気分になって来た。

 彼女はいつもこういう場面では、他の人間が何を言っても意見を曲げたりはしない。

 その彼女が「意見を聞く」などというのは非常に珍しかった。

 まさかそれすら作戦のうちなのかと疑うように肩越しに振り返ると、マーラは心配そうな碧の瞳でこちらを見ながら、途方に暮れた顔をしていた。

 ライは額を押さえた。

 見なければよかった。


「……。……分かったよ」


 ライは重い溜息を付いた。

「そのかわり、アンテの村に行くだけだ」

 ようやく彼が振り返ってくれた。

「村がどうなってるか、確かめる。それだけだぞ」

 マーラはベッドの上で正座になり、大きく頷く。

「村が無事ならそれでいい。無事じゃないならすぐに来た道を戻って、ズィーレンに行く。あそこは神殿があるんだから話を持って行けば神殿が動くだろ。彼らに任せればいい。いいな」

「うん」

 彼女はもう一度頷いた。

 反抗の一つでもしてくれたら叱れたのに、従順に頷かれてライは言うことがなくなってしまった。


「…………なら、行けばいいだろ」


 そっぽを向いてそんな風に言うと後ろを向いているのに、マーラの表情が輝いたのが分かった。

「ライ、ありがとう」

 嬉しそうな声で、言われる。

「喜ぶな!」

 ライは思いをいっぱい込めて、そう強く言い放った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る