ご主人様は解雇したい②

 ついに言ってしまったんだな。

 後悔はしない。奏が帰ってくる前に話すという覚悟は決めていたじゃないか。ここで俺がグズグズなんてしていたら示しなんてつかない。

 

 俺は今、どのような顔を浮かべているだろうか。いつも聞こえない掛け時計の針の音が鮮明に聞こえる。


「…」


 下げていた顔をゆっくりとあげて彼女の顔を伺ってみる。


「奏…?」


 何やら奏は肩をブルブルと揺らして俯き止まっている。感動しているのか、それとも他のことを考えているのか。

 ぱっと見喜んでいるようには見えないな。喜んでくれると思うんだけど…。


「何をおっしゃられているのですか?ご主人様」


 あからさまに顔をあげたかと思えば、奏は物凄い形相で俺に訴えかけるように言った。


「なんとおっしゃったかもう一度話していただいても構いませんか?私の気のせいだった可能性がありますので」


「ああ、分かった」


 もう一度口に出すのはなんだか憚られるけど、奏のお願いだ。


「奏を解雇しようと思うんだ」


「…」


 再び黙って俯いてしまう奏。

 何か引っ掛かっている様子だけど、肝心の理由が分からない。


 そうか、俺のメイドという勤め先が突然無くなってしまうのだ。新しい働き先であったり、お金のこととか色々と心配が浮かんできているのだろう。 

 そりゃそうだ。俺だって今のバイト先に突然クビを宣告されてしまったら理解できず、落ち着かないだろう。

 

 もちろん、退職金は準備してある。働かなくて5年は生活できるくらいの金額はあると思う。

 今までお世話になったことと、退職金ということで父に無理やりお願いして用意してもらったものだ。 

 将来俺はその分を父に返すという約束も結んでいる。


「大丈夫だよ、しっかり退職金もたっぷり用意してあるから。この家も奏がこれからも住めるように手続きしてあるし」


「…」


 まだ奏は顔を上げようとしない。

 

 これ以上は彼女が何を不満に思っているのか分からない。突然解雇宣告したとはいえ、家もお金もある。

 環境が少し変わるというだけだ。


 好きな人がいるというし、この広い家で同棲するっていうのもありだろうし。今まで俺が住んでいた家で奏と知らない男がイチャイチャしているのはちょっと複雑だけど。


「どうしてですか?私、クビにされるようなことを致しましたでしょうか?もしそうなのであれば、教えていただきたいです。未熟な私では察することができなかったようですので」


 なんだ、そのことを気にしていたのか。

 そういえば一番大事な理由を話していなかったのを忘れていた。


「全然奏が悪いことをしたわけじゃないよ。むしろ奏は今までずっと良いことをしてくれていたからなんだ。今までありがとうっていうのが一番かな」


「そうなんですね…その言い方から考えますとまだ理由がありそうですが、話していただけますか?」


「うん、これ話したら俺は出て行くからね。これ以上ここにいたら覚悟が揺らいちゃうかもしれないから」


 そろそろ時間だ。父さんから話があるから八時には家に来てくれと言われている。

 

 予定があるというのは本当に助かる。時間があれば出来るだけ奏といようとしてしまうと思うから。俺の性格は昔から優柔不断だ。

 何度もこの性格のせいで被りそうだった被害を奏に防いでもらった記憶がある。


 引っ越しを機会に優柔不断を治すことにしよう。決めたことはキッパリと遂行するのが男として魅力的でかっこいい人になれるはずだ。

 いつかの運命の人のためにも努力努力。


「…」


 また沈黙。

 沈黙は肯定と受け取る。


「実は天音奏の友達さんから奏には好きな人がいるって話を聞いたんだ。話を聞いた時はクールな奏に?って驚いたんだけど、話を聞く限りその人に本気そうだったからさ。それなら俺みたいなやつと一緒に過ごしてたら自由にできないだろ?」


 奏には本当に幸せになってほしい。天音さんのいう彼女の好きな人というのも、しっかりものの奏は選ぶのだから誠実で一緒に過ごしていて楽しい相手なんだろう。

 今思えば、いつも大学では一緒にいないから昼食とかその人と食べていたのかもしれないな。

 

 大学に進学してからこの家に二人で住み始めたときは全く感じていなかったが、俺たちはいつの間にか距離ができていたということだ。


「というわけだからさ、これからは自由に幸せになってね」


 俺は重い腰をゆっくりと持ち上げるとまとめた荷物を持って玄関へと向かう。


「その荷物。そういうことだったのですね」


「ん、何か言った?」


「…いえ」


「そう?」


 何か言ったような気がしたんだけど。


「あ、そうだ。お金だけど奏の通帳に振り込んであるから確認しておいてね。それじゃあ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る