第23話 鉄槌

 最早、頭に「和平」など付くはずもない会談が始まってからほどなく、デニモルトは事前に鎮めておいた苛立ちを、事前以上に募らせていた。


 リーゼロッテが、会談の席につこうとしないのだ。

 立ったまま、黙ってこちらを見つめてくるのだ。

 柔和な笑みとは裏腹の、底冷えするほどの冷たさをたたえた目で。


 それらが意味するところは、ただ一つ。

 リーゼロッテはケンカを売っているのだ。このレーヴァイン国王に。

 

 壁の隅にいる、ルイグラム側の従者たちが動揺しているところを見るに、リーゼロッテの行動は彼女の独断と見て間違いない。

 だからこそ際立ってしまう。

 小娘個人にケンカを売られたという事実が。


(まったく、本当にイライラさせてくれる……!)


 今回に限っては、これ以上はもう大人しくしておこうと思っていたが……やめだ。

 いくら才覚を認めた相手であっても、小娘如きに虚仮こけにされるのは我慢ならない。

 いや、そもそも、目の前にいるのが、自分が認めたリーゼロッテであるかどうかも怪しい。


 いいだろう。

 そっちがその気なら、とことん付き合ってやる。

 もし替え玉だった場合は、化けの皮を剥いだ上で、リーゼロッテの死を大陸中に喧伝してやる。

 その上で、ルイグラムという国の全てを略奪してやる。


 暗く醜い情念に突き動かされたデニモルトは、脂下やにさがった笑みを浮かべると、先制攻撃とばかりに、相手が間違いなく苛立つであろう言葉をぶつけた。


「昨晩はお互い災難でしたなぁ、リーゼロッテ女王」


 それに対してリーゼロッテは、柔和な笑みを、底冷えする視線をそのままに、あくまでも穏やかに応じた。


「お気遣いありがとうございます。それよりデニモルト王、右肩を矢で射られたとお聞きしましたが、傷のお加減はいかがですか?」

「リーゼロッテ女王。我輩が負傷したのは左肩ですぞ。それとも、お若いのにもう目が悪くなられたのですかな?」


 そう言って、デニモルトは左腕を吊る三角巾を、これ見よがしに右手で引っ張ってみせる。


「これは失礼しました。右肩よりも左肩の方が何ともなさそうに見えましたので、つい間違えてしまいました」


 二人して、穏やかに笑う。

 当然のように、目だけは笑っていない。

 その間に立っているミストミル公は、胃が痛くなってきたのか、顔色が優れない様子だった。

 今頃になって、和平の調停役を買って出たことを後悔しているのかもしれないが、デニモルトから言わせれば、それは身から出た錆だ。

 年長者づらしてくちばしを突っ込んだのが運の尽きだったな――と、嘲笑混じりに言ってやりたいくらいだった。


(まあ、耄碌した小物は置いといて……)


 今は、目の前の小娘に集中するようおのが肝に銘じる。

 やはりというべきか、リーゼロッテは、デニモルトが受けた襲撃が自作自演であることに気づいているようだ。


 だが、気づいているというだけで証拠までは見つけられていない。

 証拠そんなものがあれば、とっくの昔にこちらを糾弾し、ミストミル公に突き出しているはずだ。

 それができないから、デニモルトは今もこうして拘束されずに済んでいる。

 向こうにできることは、先程のような嫌がらせが関の山――と、ここまで考えたところで、ふと気づく。


(読めたぞ。リーゼロッテは耄碌ジジイミストミル公の前で我輩を揺さぶり、襤褸ぼろを出させることで、我輩が昨晩の襲撃の黒幕であることをあばくつもりだな?)


 ならばこちらは、当初の予定どおり、目の前のリーゼロッテが本物なのか替え玉なのかを曝いてやる――そう意気込みながら、デニモルトはド直球に揺さぶりをかけた。


「ところで、今我輩の目の前にいるリーゼロッテ女王は、本物の女王なのですかな?」

「ええ、勿論です」


 小揺るぎもせずに、リーゼロッテは応じる。

 その堂々とした振る舞いに(やはり本物か?)と、デニモルトの方が揺らぎそうになる。が、ここで退けばいよいよ屈辱しか残らなくなるので、さらに攻勢を強めることに決める。


「おっと失礼。さすがに愚問でしたな。たとえ貴女が替え玉であったとしても、国のためには今のように答えるしかないのは、わかりきっていたことですからな」

「まったくもって、デニモルト王の仰るとおりです」


 いけしゃあしゃあと、リーゼロッテは同意する。

 いよいよ、目の前にいるリーゼロッテが本物なのか替え玉なのかわからなくなってしまう。


 仮にもし、目の前にいるのが替え玉だったとしたら……それはそれで空恐ろしくなったデニモルトの背筋に冷たい汗が伝っていく。

 今さらになって、売られたケンカを買うような真似をしたのは失敗だったかもしれないと思い始める。

 もっとも、ここまで来て退くことを選ぶほど、デニモルトの国主としての矜持は安くないが。


「ところでデニモルト王。今ここで、肩の傷を見せていただいてもよろしいでしょうか?」


 出し抜けに、リーゼロッテが訊ねてくる。


「我輩は構いませぬが……わかりませんな。そんなことをして、いったい何になるのです? リーゼロッテ女王は、我輩のいったい何を疑っているのですかな?」

「デニモルト王が、今回の襲撃の黒幕であることを疑っております」


 直球すぎるほど直球に、リーゼロッテは答える。

 この返答は、ルイグラム側の従者たちにとっても予想外だったのだろう。先以上の動揺が拡がっていた。


 そして、ここまで直球すぎる返答は、デニモルトにとっても予想外だった。

 ミストミル公も、薄々ながらもこちらのことを疑っていたのか、目は見開けど、そこまで驚いているようには見えなかった。


 デニモルトは今にも引きつりそうな頬を気力で笑みの形に変えると、あくまでも余裕綽々のていでリーゼロッテに応じる。


「なるほど。もとよりそのつもりでしたが、そういう話であれば、なおのことお見せする必要がありますな。但し――」


 一国の主として持ちうる威厳を最大限に醸し出して、デニモルトは言葉をつぐ。


「冗談と呼ぶにはいささか度が過ぎた疑いをかけたのです。我輩の身の潔白を証明した暁には、相応の代償を支払ってもらいますぞ」

「ええ、勿論です」


 先程、本物か替え玉を訊ねた時と同じ返答を、そのまま返してくる。

 事ここに至ってなお、柔和な笑みも、底冷えする視線もそのままなのが恐ろしい。


「少々見苦しいものをお見せすることになりますが、そこはご勘弁を」


 そう言って、デニモルトは従者の一人を呼びつけ、王衣の上着を脱がすよう命じる。

 肩を負傷した経験がある近衛騎士から指導説明レクチャーを受けたおかげもあって、苦痛を滲ませながら王衣を脱ぐデニモルトの様は、自画自賛したくなるほど完璧に怪我人のそれだった。


 やがて、包帯に包まれた左肩が、この場にいる全員の目に晒される。

 包帯に滲んだ赤色を見て、やはり怪我は本物だと思ったのか、ミストミル公が「むぅ……」と呻く。

 怪我が本物だと思ったのはミストミル公だけではないようで、誰も彼もが押し黙り、束の間の静寂が場を支配した。


「どうやら、おわかりいただけたようですな」


 自信満々に言うデニモルトを前に、


「『おわかりいただけた』とは?」


 リーゼロッテは、不可思議そうに小首を傾げる。


「我輩の怪我が本物であることがです」


 断言するように答えるも、リーゼロッテの小首はますます傾くばかりだった。

 美しい容貌と相まって、どこか愛嬌を感じさせる仕草だが……デニモルトの目には、いやに不気味に映っていた。

 そしてその印象は正しかった――そう思える言葉を、リーゼロッテは不可思議そうな表情をそのままにぶつけてくる。


「なぜ本物になるのです? ?」

「リーゼロッテ女王……まさか、誇り高きレーヴァイン王族であるこの我輩に、人前で素肌を晒せと言うつもりか?」


 言い知れぬ恐怖を覚えたデニモルトは、いっそ勇気を奮い立たせるように、怒りを露わにしてみせる。


「そのつもりですが?」

「そこまでやるからには、支払う代償は生半なまなかでは済まなくなる。それでもいいのか?」


 あえて敬語を使わないことで、こちらが本気で怒っていることを演出する。


 しかし、


「ええ。もしその左肩に矢傷があった暁には、この命をもって償いましょう」


 逆に重すぎる代償を提示され、デニモルトは言葉を失ってしまう。が、ここで何も言い返さなければ、いよいよ無傷の左肩を見せるしかなくなってしまうので、


「ふざけるのも大概にしろッ!! 口先だけで賭けた命に何の価値があるッ!!」


 憤慨ふんがいしてみせることで、この流れを有耶無耶うやむやにすることを試みる。

 実際、この一手はなかなかに有効だったようで、


「リーゼロッテ女王……下手に包帯をほどくと傷に障るやもしれぬ。ここは一旦、私に預けるのはどうじゃろうか?」


 見かねたミストミル公が、まさしくこの状況を有耶無耶にしようとリーゼロッテに働きかける。

 見せかけの憤慨にたじろぎ、こうもこちらの思惑通りに動いてくれる耄碌っぷりに、デニモルトが内心ほくそ笑んでいると、


「はぁ……」


 付き合っていられないと言わんばかりに、リーゼロッテが深々とため息をつく。


「もういいわ」


 リーゼロッテとは思えない言葉遣い。

 やはり替え玉か?――と思うよりも先に、リーゼロッテがこちらに歩み寄ってくる。

 彼女の手には、いつの間にか、刃を剥き出しにした短剣が握られていた。


「陛下ッ!! いけませんッ!!」


 ルイグラムの近衛騎士長が、逼迫した声で叫んだ瞬間――


 無数の剣閃が、デニモルトの視界にまたたいた。


 いったい何が起きたのかわからず、呆けた顔をしていたデニモルトだったが、


「なッ!? なぁああぁああぁあぁッ!?」


 三角巾と包帯、その下にあった綿紗ガーゼがバラバラに斬り裂かれたことに気づき、驚愕を丸ごと吐き出したかのような悲鳴を上げる。

 デニモルトを傷つけることなく、肌に密着していた包帯を正確に斬り裂いたリーゼロッテの妙技に、レオルと両国の近衛騎士が、デニモルト以上に驚愕していた。


 残った者たちが呆気にとられる中――ルイグラム側のメイドの一人は頬をひくつかせるだけで全く動じていなかったが――リーゼロッテは言葉遣いを戻して、されど声音を絶対零度よりも冷たくしながら告げる。


「デニモルト王。肩、傷一つついていませんね」


 言われて、左肩に視線を落とす。

 赤い塗料を染み込ませた綿紗で押さえていたため、色こそは赤く染まっているものの、肝心の矢傷はどこにも見受けることはできなかった。

 当然だ。矢なんて初めから射られていないのだから。

 自然、ルイグラム側の従者たちの、ミストミル公の表情が険しくなる。


「違っ……これは違うのだ……」


 言い訳にすらならない言葉が、思考を介することなく口から漏れる。

 血の気が、みるみる引いていく。


 ミストミル公は、わざとらしく咳払いをしてからデニモルトに告げる。


「我が国も、エキザルミ公爵を筆頭に、先の襲撃で少なくない犠牲者が出ている……」


 ビクリと、デニモルトが震える。

 その間にもレーヴァインの従者が、ダルメスク公国の騎士たちに捕縛されていく。


「これはもう、我が国の同盟国も交えて、じっくりと話を聞かせてもらう必要がありそうじゃのう」


 形勢が決まった途端にこれか、ヘタレジジイ――と、内心では思えども。

 ダルメスク公国の中枢たる城の中で下手を打ってしまった時点で、自分の命運は目の前のヘタレジジイに握られたことになる。

 その事実に情けないほど怯懦きょうだしてしまったデニモルトは、ただただ色を失うばかりで、返事の一つもかえすことができなかった。

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