第21話 涙
何が起きたのか、ロミアには理解できなかった。
……いや、何が起きたのかを理解することを、ロミアは無意識の内に拒んでいた。
リーゼロッテが、アタシを庇って刺された。
刺された箇所は心臓。
見間違えようもないほどに致命傷だ。
わけがわからなかった。
なんでこんなことになっているのか、わけがわからな――
「逃げ……て……」
今まさに、
その言葉を、その微笑みを見た瞬間、ロミアは否応なしに理解してしまう。
そして、リーゼロッテの意図を理解していたのはロミアだけではなく、
「
怒号にも似たレオルの叫びが聞こえた瞬間、ロミアは倒れ伏したリーゼロッテには目もくれず、脱兎の如くその場から逃げ出した。
黒ずくめたちは慌ててロミアを追い始めるも、その動きはこれまでと違って明らかに精彩を欠いていた。
さもありなん。黒ずくめたちは、今刺されたリーゼロッテこそが本物のリーゼロッテだと思っていたのだ。
事実、替え玉であるロミアは、それこそ決死の覚悟でリーゼロッテを護っていた。
誰の目から見ても、今地面に倒れ伏しているリーゼロッテこそが本物――のはずなのに。
本物だと思っていたリーゼロッテは、替え玉だと思っていた〝リーゼロッテ〟のことを「様」付けで呼び、その身を挺して庇った。
近衛騎士長が、迷うことなく〝リーゼロッテ〟に逃げるよう叫んだ。
そしてその叫びどおり、〝リーゼロッテ〟は微塵の躊躇もなくこの場から逃げ出した。
黒ずくめたちは、最早どちらが本物で、どちらが替え玉なのかわからなくなっていた。
それならば両方殺してしまえばいい――その結論に至った一部の黒ずくめが、ようやく本腰を入れてロミアを追い始めたが、その時点でもう全てが手遅れだった。
ロミアは傭兵時代、誰にも気づかれることなく敵陣地に侵入し、指揮官を殺して、味方陣地まで撤退するという芸当を、それこそ誰にも気づかれることなく何度も成し遂げている。
そのロミアが、夜の森の中で逃げに徹したらどうなるか……少なくとも、まさかの事態に初動が遅れてしまった黒ずくめたちでは、彼女を捕捉することは不可能だった。
夜闇と木々に紛れて逃げながら、ロミアは確信する。
リーゼロッテはそこまで読み切った上で、自分の命を、
リーゼロッテ個人は情に厚い人間だが、だからといって、国主として非情な決断ができないわけではない。
自分の余命が幾許もないことを知って替え玉を用意し、妹のシャルロッテを次期国主として育てる行為が、その最たる例だった。
なぜならそれは、自分を敬愛してくれている妹に、自分の死を常日頃から突きつけているも同然の行為だからだ。
だから、ルイグラムという国のために、リーゼロッテが己の命を、近衛騎士の命を犠牲にしたことは、ロミアは驚いていない。
だけど、
(こんなことになるなら、傭兵時代の話なんてリーゼにするんじゃなかった……!)
この七ヶ月間、リーゼロッテに
傭兵時代に、誰にも気づかせずに敵指揮官を殺していたことや、どんな手法で成し遂げていたのかも、彼女に話していた。
そんな話をしていなければ、リーゼロッテは自分を犠牲にするような一手を打たなかったかもしれない――と考えたところで、かぶりを振る。
傭兵時代の話を聞いていなかったとしても、リーゼロッテならば、必要とあらば自分の命を捨てることくらい、ロミアにはわかっていた。
彼女とともに過ごした期間は七ヶ月程度だが、替え玉を演じる必要もあって、誰よりも――それこそ、実妹のシャルロッテよりも、リーゼロッテのことを理解していたから。
理解したいと思えるくらいに、リーゼロッテと心を通わせていたから。
結局は、どうしようもなかった。
その現実に、ロミアは血が滴るほど強く唇を噛み締める。
リーゼロッテが刺された箇所は心臓。
奇跡の起きようがないほどの致命傷だ。
もうすでに、彼女は事切れていることだろう。
その事実に、怒りが、後悔が、哀しみが、次から次へと溢れ出てくる。
けれど、
傭兵という、知り合った人間が次の日には死んでいることも珍しくない生き方をしてきたせいか。
不思議と、涙は一滴も溢れ出てくれなかった。
◇ ◇ ◇
レオルは肩で息をしながら、目の前にいる二人の黒ずくめを睨みつけていた。
すでにもう一〇人を超える黒ずくめを斬り殺した。
ロミアとオリバーが殺した数も含めれば、火の手がこちらに迫っていることも合わさって、黒ずくめたちは撤退を考えてくれるだろうと思っていたが、
(さすがに、見逃してはくれんか)
実のところ、もう立っているだけでやっとだった。
深手は負わずに済んだものの、中程度の傷をいくつか、軽傷は数え切れないほど負っており、それなり以上に血を流している。
そこに加えて体力の限界まできているものだから、最早構えている剣さえも重くて仕方ない有り様になっていた。
だが、
(小生とて、陛下を殺した
残っている二人の黒ずくめを斬り殺し、
リーゼロッテの遺体が本物か替え玉か以前に、誰であるのかすらわからない焼死体になってしまっては元も子もないので、遺体を火の手から逃がすことに関しては、仮にレオルが殺されたとしても、黒ずくめが勝手にやってくれるだろう。
だが、この痴れ者どもがリーゼロッテの遺体に触れることも、彼女の遺体が策謀に利用されることも我慢ならなかったレオルは、たとえこの身が朽ちようとも成し遂げてみせると闘志を
並みの相手ならば、
相手は、おそらくは暗殺そのものを
味方を殺されてなお小揺るぎもしない者たちが、闘志を漲らせた程度で怯む道理はなかった。
静寂が落ちる。
火の手が、徐々に森を浸蝕していく。
燃え落ちた木々が、パチパチと鳴く音が
黒ずくめたちが、半歩にじり寄る。
くる――レオルがそう確信した直後、
突然横合いから現れた銀髪のメイドが、黒ずくめの一人に飛び蹴りを叩き込んだ。
側頭部を蹴られた黒ずくめが、首から不吉な音を発しながら倒れ伏す。
新たな敵が現れ、飛び蹴り一発で味方の首をへし折った――冷静にそう認識したもう一人の黒ずくめが、短剣でメイドに斬りかかるも、
「がはッ!?」
後出しで繰り出された神速の拳打が黒ずくめの鳩尾に直撃し、肺腑の空気を根こそぎ吐き出されたことで動きが一瞬止まる。
続けて繰り出された回し蹴りが、動けない黒ずくめの側頭部を捉える。
一人目と同じように首をへし折られた黒ずくめは、蹴られた方向へと力なく倒れ伏した。
レオルは安堵を吐き出すように深々と息をつき、メイド――エサミに話しかける。
「正直助かったが、なにゆえエサミ君がここに?」
「森が燃えているのが見えましたので、もしやと思い、
エサミの視線が、血溜まりに倒れ伏すリーゼロッテに向けられる。
顔は見えなくても、そこに倒れているのが本物のリーゼロッテであることを。
すでにもう彼女が事切れていることがわかったのか。
いつもは無表情に等しい彼女の顔が、悲痛なまでに歪んだ。
「どうして……どうしてこんなことになったのですか……!」
声に、目尻に、涙を滲ませながら、押し殺した非難をレオルにぶつける。
激情と呼ぶにはあまりにも静かな、されど常に冷静沈着なエサミにしては、やはり激しいと言わざるを得ない情動を前に、
「すまない……本当に……すまない……!」
いよいよ
近衛騎士長でありながら主君を護りきれなかった事実は、謝って許されることではないことはわかっている。
それでも、謝らずにはいられなかった。
誰かに謝罪の言葉を聞いてほしいと思わずにはいられなかった。
エサミとて、情動に突き動かされてつい非難を口にしただけで、ボロボロになるまで戦ったレオルを本気で責めていたわけではない。
だから、レオルの謝罪に対して何の言葉も返すことができず。
今もなお木々を焼く炎、それを消すにはあまりにもささやかすぎる滴が、ただただ地面を濡らした。
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