第19話 お願い
時を同じくして、デニモルトが宿泊するエキザルミ公爵の館も敵襲を受けていた。
「デニモルト王、こちらへ」
エキザルミ公爵の案内のもと、近衛騎士たちとともに館の隠し通路を駆けていく。
二〇分かけて出口に辿り着き、洞窟の奥に隠された扉から外に出る。
はたして
そして、黒ずくめの集団はその手に持った弓で一斉に矢を放ち――エキザルミ公爵と、その護衛についていた衛兵のみを
デニモルトは、物言わぬ肉塊と化したエキザルミ公爵たちを見下ろした後、黒ずくめたちに視線を巡らせ、「ご苦労であった」と労いの言葉をかけた。
今エキザルミ公爵を屠った集団も、同じように隠し通路を抜けた先でロミアたちを包囲した集団も、デニモルトがリーゼロッテ暗殺のためにあらかじめダルメスク公国に潜伏させていた、実働部隊の者たちだった。
国主としての手腕の差なのか、ダルメスク公国は、ルイグラム王国に比べて刺客や
それどころか、諜報にしろ工作にしろほとんど支障を受けることなく活動できるほどに、ダルメスク公国の環境は
ゆえに、公国内にいた傭兵やならず者、公国に不満を抱いている者に金をちらつかせ、扇動することで、秘密裏に使い捨ての戦力を揃えることもできた。
和平会談が始まる前に、デニモルト自身とリーゼロッテが宿泊する館を事前に特定することも、
その戦力と情報を使って、デニモルトは、自身とリーゼロッテを両方同時に襲撃させた。
暗殺とは呼べぬほどに大仰な一手で、リーゼロッテを亡き者にするために。
自分も被害者になることで、ミストミル公に、ひいてはダルメスク公国そのものに、レーヴァイン側は襲撃に関わっていないと、襲撃の黒幕は別にいると思い込ませるために。
リーゼロッテが、自身もデニモルトも命を狙われているとミストミル公に吹き込み、こちらを牽制すると同時に、ダルメスク公国からの護衛の追加を引き出した際に、デニモルトが、
(リーゼロッテめ……
と内心で吐き捨てたのも、デニモルトもまた自分と相手を巻き込む一手を画策していたからに他ならなかった。
「〝例のもの〟は用意してあるな?」
デニモルトが訊ねると、黒ずくめたちは二人がかりで大きな布袋を運んでくる。
デニモルトの目の前まで来たところで布袋を開き、中から引きずり出したのは、レーヴァイン王国の近衛騎士専用の衣装を身に纏った、男の死体だった。
エキザルミ公爵とその衛兵――つまりはダルメスク公国側の人間の死体だけが転がっているのは、やり方としてはあまりに露骨すぎる。
それを
あとは命からがら逃げおおせたように見せかけるだけ――そんな考えとは裏腹の悠然とした足取りで、デニモルトはその場から立ち去っていった。
◇ ◇ ◇
ロミアは、自分たちを取り囲む黒ずくめの集団に、注意深く視線を巡らせる。
先程、狩猟小屋に火矢を射かけてきた者たちも含めて、一〇名ほどがこちらに向かって弓を構えているが、
(……撃ってこない?)
なぜ?――と疑問に思っていたところで、すぐ傍で腰を抜かしていたアラミストン公爵が、自身の衛兵に助け起こされている様子を視界の端で捉え、得心する。
(どうやら連中は、アラミストン公爵を巻き込みたくないみたいね)
ここまでやらかした時点で、ダルメスク公国と揉めたくないとか、不必要な殺生はしたくないとか、そんな殊勝な理由によるものではないだろう。
(考えられるとしたら、生き証人を残したいといったところかしら?)
だとしたら、このままアラミストン公爵とともに行動すれば、相手の動きを制限できるかもしれない――そんな考えが鎌首をもたげるも、他国の有力貴族を盾に使うような真似をするのは
必要に迫られればその限りではないが、やり口としても、あまりやりたいとは思えない程度には好ましくない。
そもそも、生き証人
そう考えると、自分たちとアラミストン公爵は別々に行動した方が良いかもしれない。
その上で打てる一手は――……時間にして三〇秒にも満たない黙考を経て決断したロミアは、リーゼロッテに訊ねる。
「リーゼロッテ。走る余力は残ってますか?」
「こんなところで死ねませんからね。余力がなくても走ります」
余力はあまりないと言っているようなものだが、どのみち彼女の言うとおり、余力がなくても走らなければ切り抜けられる状況ではないので、今はその言葉を額面どおりに受け止めるしかなかった。
「レオルさん。おそらく敵は、頃合いを見て直接仕掛けてくると思います」
その言葉だけで全てを理解したレオルは、首肯してからロミアが望んだ返事をかえした。
「そのタイミングに合わせて、小生と
ロミアは、リーゼロッテとともに首肯を返すと、最後にアラミストン公爵に話しかける。
「アラミストン公爵」
「は、はい……!」
状況が状況だから、公爵の声は恐怖で
だからこそ〝お願い〟が通る――そう確信したロミアは、優しい声音で言葉をついだ。
「敵の狙いはワタクシたちです。ワタクシたちと行動を共にしなければ、敵も無理に公爵を殺そうとは思わないでしょう」
暗に、無理にこちらを護衛する必要はないと、無理に命を張る必要はないと告げる。
ここで、素直に言われたとおりにする腰抜けだった場合は、話はそれまで。
しかし、そうでなかった場合は――
「お、お待ちくださいリーゼロッテ女王。我々の役目は、会談が終わるまでの三日間、貴女をもてなし、護ることにあります。危険だからといって、その役目を放棄するわけには参りません」
だから、貴女の傍から離れるわけにはいかない――そう訴えてくるアラミストン公爵に、ロミアは内心笑みを浮かべる。
この反応ならば、おそらく〝お願い〟が通るはず!
「ですが、狙われているのはワタクシたちだけなのに、アナタたちを巻き込んでしまうのは心苦しいものがあります。ですので――」
そうして、ロミアはアラミストン公爵に〝お願い〟について話した。
アラミストン公爵は、数瞬渋面をつくっていたが、
「……わかりました。確かに貴女の言うとおり、このまま我々が貴女の護衛についたところで、状況の打破には繋がりませんからね」
断腸の思いといった風情で、〝お願い〟を聞き入れてくれた。
準備は整った。
あとは相手が動くのを待つだけ。
その動き出しの瞬間を見極めるために、ロミアは集中力を極限にまで高めて、黒ずくめたちを注視する。
そして――
「来ます……!」
小声で、皆に伝える。
瞬間――
レオルとオリバーが、その手に持った剣で突撃するのと。
黒ずくめたちが一斉に襲いかかってきたのは、全く同時のことだった。
初動に合わせて相手が突撃してくるとは思ってなかったのか、黒ずくめの集団全体が、ほんのわずかに動揺に見せる。
その隙を突く形で、レオルとオリバーは突撃の勢いをそのままに三人の黒ずくめを斬り捨て、包囲網に穴を空ける。
そして、当然のように後ろについて来ていたロミアとリーゼロッテとともに、包囲網から脱出した。
当然、黒ずくめたちがこのまま見逃してくれるはずもなく、すぐに追走してくる。
ロミアの読み通りアラミストン公爵たちを生き証人にするつもりなのか、彼らから離れた途端に、弓を持った者たちがこちらに矢を向けてくる。
「小生は
相手の動きをしっかりと察知していたレオルが、「わかりました!」というオリバーの返事をろくに聞かずに最後尾に移動する。
ほとんど同時に、弓を持った一〇人の黒ずくめが、一斉に矢を放ってくる。
ロミアがさりげなくリーゼロッテの腕を引っ張り、木が盾になる位置へと移動する中、レオルは自分たちに当たる矢のみを見極め、その全てを巧みな剣捌きで防ぎきる。
その間にもロミアたちは一心不乱に走り続ける。
今は逃げる方角など気にしている余裕はない。
ただただ敵から逃げるために、ロミアたちは走り続けた。
◇ ◇ ◇
ロミアたちを追って遠ざかっていく黒ずくめたちを見つめながら、アラミストン公爵は衛兵に訊ねる。
「行ったか?」
「はい。リーゼロッテ女王が仰られたとおり、敵は我々にはあまり興味がないようです」
「……そうか」
レオルが後退しながらも戦っているのか、遠ざかっていく
本音を言えば、やはり、リーゼロッテ女王をお守りするために行動を共にしたかった。
けれど、衛兵たちはともかく、自分が同行したところで足手まといになるのは目に見えている。
だからこそ、アラミストン公爵はこの場から動かず、女王の〝お願い〟を完遂することを決断した。
「グズグズしている暇はない。始めるぞ」
アラミストン公爵は衛兵から松明を受け取ると、その先端で揺らめいている灯火を、そこかしこに生い茂っている木や草花に燃え移らせていく。
衛兵の二人も、燃え盛る狩猟小屋から焼け落ちた破片や、へし折った木の枝を用いて即席の松明をつくり、公爵と同じようにそこかしこに火を燃え移らせていく。
森を焼くこと――それこそが、リーゼロッテ女王の〝お願い〟だった。
この森の位置は、アラミストン公爵の館と公都の中間。
狩猟小屋が燃えた程度では、公都の夜警に当たっている兵士たちも気づかないだろうが、森そのものが燃えたとなれば話は別だ。
普段ならば、森が燃えている状況で送られるのは鎮火のための人員だが、
リーゼロッテ女王とデニモルト王の命が狙われているかもしれないという情報もあるため、かなり高い確率で応援が来ることを期待できる。
だがそれは、あくまでも〝かなり高い確率〟であって、〝確実〟ではない。
ゆえに、
「これくらいでいいだろう。お前は手筈どおり、火と煙に紛れて応援を呼びに公都へ向かってくれ」
アラミストン公爵は衛兵の一人に命じると、自身は護衛のために残したもう一人の衛兵とともに、森火事に巻き込まれないよう退避していく。
もし仮に、リーゼロッテ女王たちが移動する前に、応援に呼ぶために衛兵を公都へ向かわせた場合、黒ずくめたちは決して見逃してくれなかっただろう。
だが、リーゼロッテ女王たちを追って完全に遠ざかり、森火事まで起きた状況で応援を呼びに向かわせれば、こちらの動くを黒ずくめたちに気づかれる心配はほぼない。
あの状況で、わずかな時間でこんな〝お願い〟を思いついたリーゼロッテ女王の才覚には、その噂を耳にしていてなお舌を巻く思いだった。
(だが、ここまでやってなお、リーゼロッテ女王が無事に逃げおおせられるかどうか……)
心配は尽きない。
だが、今から自分が女王のもとに戻ったところで、やはり、足手まといにしかならないだろう。
護衛の衛兵一人くらい応援に向かわせたいという気持ちもないわけではないが、情けない話、この状況で一人で行動する勇気は自分にはなかった。
せめて、女王が無事逃げおおせることを祈りながらも、アラミストン公爵は衛兵とともに、燃え盛る森から脱出した。
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