第2話:歪みの始まり
春の陽射しが教室のガラス窓から差し込み、ホワイトボードに淡い反射を落としていた。
「――じゃ、今日のホームルームはこれで終わり。放課後、部活あるやつは遅れんなよー」
担任の一言を皮切りに、教室内がざわつく。椅子を引く音、笑い声、荷物をまとめる音。その喧騒の中で、タカトは何気なく隣の席に目をやった。
セイが静かに教科書をカバンにしまっている。整った顔立ちに、銀縁のメガネ。物静かで冷静沈着、誰に対しても公平な彼は、男女問わず人気があった。
「なあ、セイ。今日、寄り道してかね?」
「いいけど。どこ行くつもり?」
「いや、特に決めてねーけど。なんとなく、さ」
セイは少しだけ笑って、「じゃあ、図書館にでも寄る?」と提案する。その横顔を見つめるタカトの胸の奥で、何かがかすかに揺れた。
言いようのない感情だった。懐かしさと嫌悪が入り混じったような、ちくりとする痛み。
(――なんだ、これ)
◆
下校の途中、ふとしたタイミングでセイがトイレに立ち寄った。タカトは校門の前で一人待つことになった。
そのとき、ふわりと意識が遠のいた。
気づけば、制服のスカートが風に揺れていた。違和感はなかった。むしろ自然だった。白いシャツの胸元が、ほんの少し膨らんでいる。長い睫毛が目に入ったとき、彼女は鏡がないことに一瞬だけ戸惑い、すぐに思い直す。
「アタシ……ここで、何してるんだっけ?」
口から漏れた声は高く澄んでいて、けれど不自然ではなかった。彼女――“タカネ”は、誰にも気づかれないようにそっとベンチに腰を下ろすと、無意識のうちに、セイのいた場所に目を留めていた。
(あの子……セイ。なんでだろ、見てると胸がざわつく)
その視線には、嫉妬とも言えない、得体の知れない憎しみが宿っていた。
◆
「お待たせ」
セイが戻ってきた。次の瞬間、タカトははっとして、自分の身体を見下ろした。ズボンの制服。腕の筋肉。男の姿。
「……?」
意識が混乱する。時間が飛んだような感覚。セイが訝しむ様子も見せずに横を歩き出すのを、タカトはぼんやりと追いかけた。
「なあ、オレ、さっき……」
「ん?」
「いや……なんでもねぇ」
言いかけて、やめた。
タカネの存在を、タカトは知らない。だが、確実に“そこ”にいた。彼の中にいる、もう一人の存在。彼女は、セイがいない時にだけ姿を現す。そう暗示されていた。
◆
――夜、自宅のリビング。
「タカト、明日お弁当いる?」
母の問いかけに、タカトは反射的に「いらない」と返した。理由は自分でも分からない。誰かと食べるのが億劫だった。
◆
――深夜。
眠っているはずの彼の顔が、一瞬だけ微かに笑った。どこか艶めかしく、女のような表情だった。
「アタシ……また出てきちゃった。フフ」
誰もいない部屋で、女の声が小さく囁いた。
◆
翌朝。教室でタカトが自分の机に座ると、誰かがノートのページを破いて机に置いたのに気づいた。
そこには、こう書かれていた。
【セイはあなたのこと、ただの便利屋だって言ってたよ】
タカトはその文字を見て、眉をひそめた。
「――は?」
だが、それが誰の仕業なのか、彼には見当もつかなかった。
(いや、それ以前に……何かが、おかしい)
机の下で、彼の手がかすかに震えていた。残るのは、ペンの重みと、その動きをなぞった記憶。書いたのは、まさか……?
(俺、なのか……?)
そして、その“自分”は、タカト自身だとは思えなかった。
◆
ナナカは、高層ビルの窓辺で夜景を見下ろしていた。遠くでまた一つ、街の灯りが瞬いた。
「順調そうね……“タカネ”」
闇の中で、銀のペンダントが鈍く光る。
「壊してしまえばいいの。少しずつでいい。気づかれないように、静かに。やがて、アナタは“タカト”を凌駕する。セイが何を思っても、抗うことなんてできない。だってアナタは、“壊すために”生まれたのだから」
夜が、深く、濃く、静かに包み込んでいった。
(つづく。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます