番外編2:沈黙の式室
地下に築かれた空間。まるで遺跡のような曲線の壁が広がるその場所に、ナナカは静かに座していた。
灯りは少ない。魔導灯の青白い光が、彼女の顔を薄く照らしている。手元の小さな盤に、赤黒い魔素が浮かび上がっていた。
「――まだ、抗ってるのね。イツル」
その名を呟きながら、ナナカは微笑む。だが、その目に宿るのは慈しみではない。
期待と――少しの誤算に対する苛立ちだった。
彼女は、MtMの包囲を知っていた。
イツルを変えきるには時間が必要だった。しかし、時間は足りなかった。あと一週間――ほんの一週間あれば、彼は完全に“イツミ”として完成していたはず。
(でも、それでも十分な“核”は刻んだ。あとは……)
ナナカは魔導盤に指を這わせた。盤の上に、イツルの精神構造図が浮かび上がる。数多の記憶、言語、行動原理――それらを支配する“暗示の網”は、美しいまでに織り込まれていた。
「“抗う”ことも、計画の一部。アナタが、ほんの少しだけ“私”に逆らいたいと思えるように設計した。……だって、その方が、アナタらしいでしょ?」
イツルの“芯”に仕込んだ魔導暗示は、多重に重ねられた構造をしていた。命令ではなく、思考の選択肢を操作する。「自分の意思」で選ばせるように見せかけて、選べる道はすでに“誘導”されている。だから――イツルが「抗っている」と思っている今この瞬間すら、ナナカの計算の内側だった。
彼女がいま行っているのは、イツルがMtMに回収されることを前提とした“調整”。
「これでいい。深く刻んだ命令は、解除できない。解除されたと思わせることで、逆に効力を増す……」
魔導催眠の本質は、“疑い”と“受容”の狭間にある。完全に信じきった者には暗示は鈍り、“解けた”と思い込んでいる者ほど深く根を張る。
ナナカは立ち上がった。黒いコートの内側には、複数の水晶が縫い込まれていた。すべてが、イツルの精神波長と共鳴するように調整された媒体。
遠隔から“意識の調律”をするための、いわば“追跡装置”だった。
「いつか、また会える。その時、アナタが“私”に手を伸ばすように」
そう。次に会うときは――
“イツル”ではなく、“イツミ”として彼女に縋る日。
その未来だけが、ナナカの確信だった。
◆
地下式室の扉が、音もなく閉ざされた。
すでにこの場所は、次に誰かが訪れる頃には瓦礫と化しているだろう。
ナナカは、すでに別の地へと向かう準備を終えていた。
HYPの再編計画は進行中。
ナナカの実験は、まだ――終わっていない。
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