第20章:システムの歪み、影の残滓と力の選択

 揺り籠のシステム領域、その下層へと向かう通路は、上層部の整然とした雰囲気とはまるで違っていた。

  まるで、巨大な機械が老朽化して、内側からゆっくりと崩れ落ちているみたいだ。

  壁はあちこちで剥がれ落ち、内部の配線やパイプが、まるで内臓みたいにむき出しになっている。

  床には、何かの残骸や、粘ついたオイルのようなものが溜まっている場所もあって、歩きにくい。

  むき出しになったケーブルからは、バチバチと青白い火花が散り、空気中には、金属が焼けるような、あるいは何かが腐ったような、嫌な匂いが混じり合って漂っていた。


「かなり、傷んでいるな…」


  キオが、周囲を警戒しながら、吐き捨てるように呟いた。


「コアでの一件が、思った以上に影響を与えているのかもしれん。この『揺り籠』とやらは、もう限界が近いんじゃないか?」


  あたしも、左目で周囲のエネルギーの流れを探りながら、頷いた。


「うん… システムの流れが、すごく不安定になってる。まるで、熱を出した生き物みたいに、あちこちでエネルギーが漏れ出したり、逆に滞ったりしてる。この通路自体も、いつ崩れてもおかしくないかも…」


  時折、あたしたちが進む通路の壁や床が、まるで古い映像みたいに、一瞬だけ、ノイズが走ったようにぐにゃりと歪むことがあった。

  その歪みの向こうに、一瞬だけ、全く別の景色――例えば、荒野だったり、森だったり、あるいは真っ暗な虚無だったり――が見える気がする。

  虚構の世界の、ほころび。

 現実との境界が、システムが不安定になるにつれて、曖昧に揺らぎ始めているのかもしれない。

  その度に、あたしは言いようのない不安に襲われた。

 この世界が、完全に崩壊してしまう前に、あたしたちはここから脱出できるのだろうか。


  そんな不安定な通路を、神経をすり減らしながら進んでいると、前方から、あの聞きたくない、苦しげなうめき声が聞こえてきた。


『…グル…ジイ…』

『…モド…ジデ…』


やからだ…!」


  キオが、錆びて刃こぼれした剣を構えた。


「…こんなところにまで…!」


  通路の曲がり角から、黒い影が、いくつも、うごめきながら現れた。その数は、十体ほど。

  でも、彼らの様子は、あたしが以前に遭遇した、ただ苦しみながら彷徨うだけの「輩」とは、明らかに違っていた。

  その動きは、どこか狂暴で、明確な敵意のようなものが感じられる。

  そして、その不定形な黒い影の中に、時折、禍々しい赤い光が、まるで血管が浮き出るみたいに、稲妻のように走るのが見えた。

  瞳があったはずの場所も、今はただ、憎しみに満ちた赤い光が灯っている。


「この感じ…!」


  あたしは息を呑んだ。風呼びの山の遺跡で遭遇した、あの大きな「輩」と同じ気配だ。


「影の… 影響を受けてるんだ…!」


『キタナ… オリジナル… ワタシノ… カワイイ… テシタタチガ… オマエヲ… マッテイタゾ…』


  頭の中に、あざけるような、途切れ途切れの声が響く。

  あの無機質で命令するような声? いや、違う。

 これは、影の声だ。

  彼女の意識の欠片が、この「輩」たちを操り、あたしたちを待ち伏せしていた…?

  彼女は、あたしの中にいるだけじゃなく、外の世界にも、まだ影響を及ぼせるっていうの…?


  「輩」たちは、あたしたちを認識すると、一斉に甲高い奇声(それは悲鳴にも聞こえた)を上げ、襲いかかってきた。

  その動きは、以前の「輩」とは比べ物にならないほど素早く、そして連携が取れている。まるで、影の憎しみに操られた、哀れな人形のようだ。


「キオ、気をつけて! こいつら、前の奴らとは違う!」


  あたしは、左目の力を解放した。蒼白い、清浄な光。

  「輩」たちを包み込み、彼らの苦しみを和らげ、鎮めようとする。以前、この光は彼らに効果があったはずだ。

  しかし、影の影響を受けた「輩」たちは、光に焼かれるように苦しみながらも、その動きを止めない。

  彼らの内側から放たれる赤い光が、あたしの蒼い光に激しく抵抗し、打ち消そうとしている。


「ダメだ… 効かない…! 影の憎しみが、強すぎるんだ…!」


 キオは、剣で「輩」の攻撃を必死に防いでいる。

  けれど、相手の数は多く、動きも予測不能だ。じりじりと後退させられ、壁際に追い詰められていく。

  あたしは、歯を食いしばった。このままでは、キオが危ない。浄化や鎮めるだけではダメなんだ。

  だとしたら…!


  あたしは、左目の光に、赤い色を意図的に混ぜ合わせた。

  コアで魂と対話した時に感じた、古の魂の、怒りや悲しみをも受け入れる感覚。それを、力に変える。

  蒼と赤の、螺旋の光。それは、執行者を退けた時のような、攻撃的な、けれど制御された力。


「ごめん…!」


  心の中で、苦しむ魂たちに、もう一度謝った。あなたたちを傷つけたいわけじゃない。

  でも、あたしたちが生き延びるためには…。

  あたしは、蒼と赤の光の奔流を放った。

  光は、「輩」たちを直撃し、彼らの黒い影を、今度こそ完全に、しかしできるだけ苦しみを与えないように、霧散させていく。

  断末魔のような、悲痛な叫び声が、通路に響き渡り、そして、静かに消えていった。


  全ての「輩」が消え去った後、通路には再び、重い静寂しじまが戻った。

  あたしは、荒い息をつきながら、自分の手を見つめた。

  あたしは、また、魂を消してしまった…。たとえ、それが影に操られていたとしても、元は人間だったのかもしれない存在を。

  後味)の悪さが、鉛のように、心が、重く、痛む。

  この力を使うということは、こういう痛みも、引き受けなければならないということなんだ。


「…仕方ないことだ」


  キオが、あたしの肩に、そっと手を置いた。


「奴らは、もう救いようがなかったのかもしれない。お前がやらなければ、俺たちがやられていた。お前は、俺たちを守ったんだ」


  彼の言葉と、その手の温もりに、少しだけ救われた気がした。

  でも、これで良かったのだろうか、という疑問は、簡単には消えなかった。


「影の意識は、まだこの揺り籠の中に残っているんだ…」

  あたしは呟いた。


「そして、システムの崩壊と共に、さらに危険な存在になろうとしているのかもしれない。彼女も、救わなくちゃいけないのかな…」


「今は、目の前のことに集中しろ」


  キオは、あたしの迷いを断ち切るように、力強く言った。


「まずは、ここを抜けて、ゲートを見つけることだ。話は、それからだ」


「うん… そうだね」


  あたしたちは、再び歩き始めた。

  けれど、あたしの心は、晴れない霧がかかったように重かった。

  力の代償、システムの歪み、そして、影の存在。あたしは、この先、どんな選択を迫られるのだろう。


  通路を進んでいくと、やがて、ひときわ大きな金属製の扉が見えてきた。

  その扉は、他の場所とは違い、損傷が少なく、まだシステムが生きていそうな気配がする。

  そして、扉の向こう側からは、転送ゲートと思われる、巨大なエネルギーの反応を感じた。


「あれが… ドックエリアの入り口か…?」


  キオが、息を呑んで扉を見上げる。あたしたちの最後の目的地が、すぐそこにある。

  希望の光が見えた気がした。

 でも、同時に、これまでのどの場所よりも強い、不穏な気配も感じていた。

 この扉の向こうには、何が待っているのだろう。

 そして、あたしたちは、無事にゲートを起動させることができるのだろうか。

 あたしたちは、互いの顔を見合わせ、覚悟を決めて、その重い扉へと、一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る