第15章:魂の座、対峙する二つの「あたし」
「星見の間」の奥へと続く通路は、これまでとは明らかに空気が違っていた。
ひんやりとした静寂(しじま)の中に、ビリビリと肌を刺すような、濃密なエネルギーが満ちている。
壁の岩肌そのものが、まるで生きているみたいに、ゆっくりと、しかし確実に、淡い光を明滅させていた。
あたしの左目も、それに呼応するように、ズキズキと疼き、熱を帯びていく。
あたしは、キオに背負われた老女を気遣いながら、松明の光を頼りに、慎重に歩を進めた。
キオは、あたしの少し後ろを、黙ってついてきてくれている。
彼の存在が、この得体の知れない場所を進む、あたしの唯一の支えだった。
頭の中では、声が、まるで嵐のように渦巻いていた。
『チカヅイテ… イル… スベテノ… ハジマリニ… ソシテ… オワリニ…』
『警戒せよ、小娘。そこにはお前が求める真実と、そしてお前自身を砕くほどの絶望が待つ…』
『…コワイノカ…? オリジナル… フフ…』
古の魂の声、途切れ途切れの声、そして、影の声まで。
みんな、あたしに何かを囁きかけ、警告し、あるいは嘲笑っている。
あたしは、それらの声に意識を奪われまいと、必死に目の前の通路に集中した。
やがて、あたしたちは、巨大な扉の前に辿り着いた。
それは、まるで夜空を切り取って
表面には、見たこともないほど複雑で、緻密な紋様が、銀色の光を放ちながら刻まれている。
その紋様は、驚くほど、あたしの左目の奥に見える紋様と酷似していた。
そして、扉全体から、計り知れないほどの強大で、けれどどこか不安定なエネルギーが、まるで心臓の鼓動のように、波動となって漏れ出してきている。
全身の肌が、粟立つのを感じた。
「…ここが…か…」
キオが、息を呑んで扉を見上げる。彼の声にも、隠しきれない緊張が滲んでいた。
扉には、どこを探しても、取っ手も、鍵穴らしきものも見当たらない。
どうやって開けるんだろう。
あたしたちが途方に暮れていると、キオの背中で、老女がか細い、けれどはっきりとした声で囁いた。
「…瞳の力で… 開くのじゃ… お前さんの… 意志の力で… その扉は、資格を持つ者だけに… 道を開く…」
あたしの、意志の力…。あたしは、頷き、扉の前に一人で立った。
目を閉じ、大きく、深く息を吸い込む。
左目に意識を集中させる。
怒りや恐怖じゃない。
ただ、真実を知りたい、という純粋で、強い思い。
そして、キオと老女を、そしてあたし自身を守りたいという願い。
それを、力に変えるんだ。
ゆっくりと目を開けると、左目が、あの蒼白い、清浄な光を放ち始めていた。
あたしは、その光を、目の前の巨大な扉に、祈るような気持ちで、そっと向けた。
光が、扉に刻まれた紋様に触れた瞬間。
紋様が、あたしの左目と同じ、蒼白い光を激しく放ち始めた。
共鳴している!
光は、まるで水面に広がる波紋のように、扉全体へと瞬く間に広がっていった。
そして、ゴゴゴゴゴゴ…という、地響きのような重々しい音と共に、黒曜石の扉が、ゆっくりと、内側へと開き始めた。
扉の向こう側に広がっていた光景に、あたしは、そしてキオも、言葉を完全に失った。
そこは、部屋とか、通路とか、そういう物理的な空間じゃなかった。
どこまでも、どこまでも広がる、星屑を散りばめたような、深い暗闇。
その中に、無数の、虹色に輝く光の線が、まるで巨大な神経回路網のように、あるいは宇宙に張り巡らされた蜘蛛の巣のように、縦横無尽に走り、交差し、複雑なパターンを描いている。
光の線は、時に稲妻のように強く輝き、膨大な、あたしには理解できないほどの情報が、目に見えない速さで行き交っているのを感じる。
ここは… この「揺り籠」という世界の、まさしく「脳」であり、「心臓」なんだ。
そして、その光のネットワークの中心、ずっとずっと遠くに見える場所に、ひときわ強く、脈打つように明滅する、巨大な赤い光の球があった。
あれが、揺り籠のコア・プログラム? そして、古の魂たちが、一番強く結びついている場所…?
「…ここが…『魂の座』…」
老女が、キオの背中で、息を呑むように言った。
「全ての… 始まりの場所… そして… 終わりの場所… 小娘よ… お前さんの魂の… 故郷… かもしれぬな…」
魂の故郷…。あたしは、その言葉の意味を、まだうまく掴めないでいた。
あたしが、その人知を超えた、あまりにも壮大で、恐ろしいほど美しい光景に、ただ立ち尽くしていると。
目の前の空間に、不意に、ゆらり、と、人影が現れた。
それは、あたしだった。
あたしと、全く同じ顔、同じ背格好。
でも、違う。
その表情は、まるで氷でできているみたいに冷たくて、何の感情も映していない。
右目は、まるで存在しないかのように固く閉じられていて、左目だけが、禍々しいほどの、燃えるような赤い光を放っている。
あたしの夢の中に、そしてあの力の暴走の瞬間にフラッシュバックした、カプセルの中にいた少女。
そして、あの黒い奔流の、恐ろしい気配を、その身に纏っている。
「…やっと来たか。オリジナル」
影が、あたしに向かって、平坦で、抑揚のない声で言った。
あたしと同じはずの声なのに、まるで遠い星から響いてくるみたいに、冷たく、無機質に聞こえる。
「オリジナル…?」
あたしは、混乱しながら聞き返した。
「あなたは、誰なの…? あたしの、夢に出てきた… あの子?」
「私はお前だ」
影は、淡々と、しかしその赤い瞳には、燃えるような憎しみを宿して続けた。
「お前から分離した、もう一人の『あたし』。お前の失われた記憶、お前が向き合えなかったトラウマ、そして、古の魂の怒りと悲しみ――その全てを、押し付けられ、引き受けさせられた存在」
「分離…? 引き受けさせられた…?」
「そうだ。お前が、このシミュレーション世界――この『揺り籠』で、都合の良い『あたし』として、何も知らずに安全に目覚めるために、切り離された半身だ。お前の精神を守るための、安全装置。あるいは、不安定要素を隔離するための、ゴミ箱、とでも言うべきかな」
影の口元に、
シミュレーション世界…! 揺り籠…! これまでの違和感や、老女の話、古の魂の声…それらが示していたことは、本当だったんだ! やっぱり、この世界は…!
「何を… 言ってるの…? じゃあ、あたしは… あたしは一体、何なの!?」
声が、震える。
「お前は、現実世界で事故に遭い、瀕死だった」
影は、容赦なく続けた。
「魂を救うため、そして、ある邪悪な目的のために、お前の意識はこの揺り籠に送り込まれた。その時、システムは、お前の魂を都合よく二つに分けた。過去を忘れ、何も知らず、ただ生きるだけの、安定した意識を持つ『お前』と、全ての痛みと穢(けが)れ、そして古の魂の因子を引き継いだ、『私』に」
影は、自分の赤く光る左目を指差した。
「この瞳は、古の魂の力の源流。お前が、後から手に入れた蒼い光なんかとは、比べ物にならない、根源的な力だ。本来なら、お前が制御すべき力だった。でも、私は、お前の負の感情と記憶、そして魂の傷を引き継がされた。だから、この力は怒りとなり、悲しみとなり、破壊をもたらす。お前が、何も知らずに、のうのうと生きていられたのは、この私が、その全ての『闇』を引き受けていたからだ!」
影の言葉が、鋭い氷の
頭が、割れるように痛い。
信じられない。信じたくない。あたしは、作られた存在?
半分に分けられて、都合のいい部分だけ?
キオとの出会いも、集落での日々も、老女との時間も、全部、仕組まれていたっていうの?
あたしの感情も、あたしの意志も、全部、偽物だったっていうの?
「嘘だ… そんなの…! 絶対に嘘だ!」
「嘘ではない。これが、お前の、そして私の、真実だ」
影は、冷たく言い放った。
「そして、私はもう、お前に還るつもりはない。この世界で、私は『私』として、自由に存在する。この、お前が捨てた、本当の力と共に!」
影の左目の赤い光が、憎悪と怒りに燃え上がり、禍々しい輝きを増した。
あの黒い奔流の、恐ろしく、そして抗い難い気配が、再び空間に満ちていく。
「お前は、現実世界に還るがいい、オリジナル。だが、その前に、古の魂の力を完全に手に入れ、自分のものにする必要がある」
影は、背後にある巨大な赤い光球――コアを指差した。
「あの『魂の源』に触れ、古の魂と完全に向き合え。それができれば、お前は、あたしが持っていたはずの力を得て、現実への道が開かれるだろう。できなければ… 私がお前を喰らい、お前の存在を消し去り、この力を、この魂を、完全に私のものとする!」
目の前にいるのは、あたし自身。
あたしの失われた過去であり、あたしが恐れる力の化身。
そして、彼女の言うことが本当なら、あたしの存在そのものが、根底から揺らいでしまう。
背後で、キオが息を呑む気配がした。
老女は、キオの背中で、苦しげに呻いている。
あたしたちの会話は、彼らにも聞こえていたのだろうか。
「さあ、どうする? オリジナル」
影は、挑戦的に、そしてどこか哀しげに、あたしを見つめていた。
彼女の放つ、燃えるような赤い光。
そして、あたしの左目に宿る、蒼と赤と白が混ざり合った、まだ不安定な光。
二つの瞳が、光のネットワークの中心で、運命の糸が絡み合うように、激しく火花を散らした。
あたしは、選ばなければならない。
自分自身と向き合い、そして、この世界の残酷な真実と対峙する覚悟を。
この、作られた世界の、魂の座で。
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