第2話「青春って、なんですか?」
放課後の教室には、いつもより静かな空気が流れていた。
誰もがユウナに一言かけるべきか迷いながら、結果としてただ視線を送るだけで、話しかける者はいなかった。
彼女は、席で静かに座っていた。まっすぐ背筋を伸ばし、教科書のページをめくっている。
けれど、ページをめくる速さが、一定のリズムであることに気づいたとき、晴翔は胸の内にわずかな違和感を覚えた。
人間なら、少しは“読み疲れ”の間がある。
でも、彼女の動作には波がなかった。まるで読み進めるという行為が“処理”されているようだった。
「……なあ」
意を決して、晴翔は彼女に声をかけた。
周囲の数人がちらりと振り向いたが、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。
ユウナは、動作を止めて、晴翔の方を向いた。
「はい、晴翔さん」
その声は、変わらず滑らかで無機質——なのに、どこか耳に心地よかった。
「えっと、さ。……さっき、俺のこと、観察対象って言ってたけど……」
晴翔は言葉を探しながら、机に肘をつく。
「なんで、俺だったの?」
ユウナは数秒、まばたきをせずに彼を見つめてから、答えた。
「一番、表情筋の動きが活発だったからです」
「……は?」
「入室時の反応を解析したところ、晴翔さんの顔面筋肉は他の生徒より19%多く動いていました。興奮、驚き、期待、羞恥心。感情の発露としての顔面反応。観測対象として、最適です」
晴翔は、思わず頬を押さえた。
「うわ……マジか……」
「はい。マジ、です」
晴翔は吹き出しかけて、なんとか堪えた。
「……でもさ、“青春”って、そんな顔の動きだけで観測できるもんじゃないと思うけど」
「青春」
ユウナはその単語を、音声として復唱するようにつぶやいた。
そして、机に手をかざすと、掌の小型投影機から光のウィンドウが浮かび上がった。
《検索結果:青春(せいしゅん)——若く瑞々しい時期。人生の春。多感で、情熱的な体験の連続。》
「情熱的な体験、とはなんですか?」
「いや、そこを俺に聞くのかよ……!」
「説明してください。あなたは、青春を経験している最中です」
「そりゃ、まあ……だけど……」
晴翔は窓の外を見た。
夕暮れの色が校舎の外壁を赤く染めていた。
その色は、どこか「一日の終わり」ではなく、「何かの途中」みたいな色だった。
「青春ってさ、なんか、そういう……明確な言葉にできないもんなんだよ。
楽しいことばっかじゃないし、意味が分かんないことの連続で、
でも、なんか……それを、やってるうちに時間がすげぇ速く過ぎてて……」
「それは、感情の急速な変化により、主観的時間の流速が変化する現象ですか?」
「そう。かも。でも、そういう難しい言葉じゃなくてさ」
晴翔は頬をかいた。
「“わけのわからないことに、本気で向き合っちゃう時期”みたいな……そんな感じ?」
ユウナは静かに首をかしげた。
「それは、感情の定義を前提としていない比喩です。理解困難です」
「うん。……それでいいんだよ、たぶん。
理解しようとしてくれるってだけで、もう“青春”の半分くらいは掴んでると思うけどな」
ユウナは一瞬、言葉を返さずに、ただ彼の顔を見ていた。
その瞳には、やはり光の揺らぎはなかった。けれど、その無音の数秒は、晴翔にとって意味のある“間”だった。
「青春——観測難度:高。定義不定形。構造不定。感情波形:可変性。
記録可能性——未定」
ユウナは、そうつぶやきながら、机の上に小さなノートを取り出した。
そこには、英数字と感情単語が混ざり合うように綴られていた。
《青春定義ノート》
No.1:「わけのわからないことに、本気で向き合っちゃう時期」
晴翔が思わず吹き出す。
「それ、メモんの? マジで?」
「はい。あなたの言葉が、最初の記録です」
彼女の表情は変わらない。でも、どこか“納得しているような沈黙”がそこにあった。
窓の外、桜の枝が夕日に染まっていた。
教室の中の空気はまだひんやりしているのに、なぜか晴翔は、少しだけ胸が熱かった。
🔚
次回:「放課後ラボログ」
彼女は言う。「青春は、曖昧で、あたたかくて、すぐに消える匂いがする」
ふたりだけの放課後が始まる。
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