第三宇宙、ラムレーズンをひと粒③ 新装版
✿モンテ✣クリスト✿
プロローグ:神岡鉱山1
第三宇宙
極超新星爆発
2035年
超新星、異常に大きな恒星の破局的爆発だ。安定している期間、その星はずっと巨大な質量によってそれを圧し潰そうとする重力と、内部の核融合反応によってそれを吹き飛ばそうとする輻射圧との間で均衡を保ち続けている。輻射のエネルギーは光子によって星の表面へと運ばれるが、その途中で何度となく物質による吸収と放出が繰り返されるため、移動の速度は極めて遅い。星の内部で発生するエネルギーが。表面から輻射されるエネルギーを上回る結果、中心部の温度は上昇していく、どこまでも。やがてそれは六百億度に達する。この数字がどのくらいのものか、実際には誰にも想像すらできないだろう。
だが、この臨界温度で、ニュートリノの生成率が突然空隙に膨大な数に増大するのである。ニュートリノは物質とほとんど相互作用しない。そのため恒星の内部をまっすぐに突き抜けて、それまで光子となって出ていったエネルギーを運び去っていく。そのため、ふいに光子の生成がぐっと減少し、それに伴って、星自体の重力による圧力を支えていた輻射圧も急激に減少する。
この時点において恒星は、突然猛烈な勢いで潰れ始めるのだ。
その過程で、重力のエネルギーが一気に放出される。速すぎて恒星の外層はそれを吸収しきれない。そのため外層は空間へ吹き飛び、超新星が誕生する。その爆発の反作用が、既に潰れかけている中心部を、更に強く、早く、内側へ向けて圧縮する。そして、超新星の中心部は、ブラックホールにまで圧縮されてしまう。
この超新星の中でも極めて質量の大きな恒星の爆発は、極超新星と呼ばれる。極超新星爆発からは、ガンマ波バースト(Gamma Ray Burst、GRB)が起こされる。それはガンマ線が数秒から数時間にわたって閃光のように放出され、そのあと地球からでもX線の残光が数日間見られるようになる。これによってブラックホールも形成される。
多くのガンマ波バーストが何十億光年も離れた場所で生じている事実は、この現象が極めてエネルギーが高く(太陽が百億年間で放出するエネルギーを上回る)、めったに起こらない現象である事を示している。ひとつの銀河で数百万年に一度しか発生しないのだ。これまで観測された全てのガンマ波バーストは銀河系の外で生じている。
ガンマ波バーストが銀河系で生じ、地球方向に放出された場合、大量絶滅を引き起こすと推定されている。ガンマ波バーストの継続時間は短いので、被害は限定されるが、十分に近い距離で起きた場合は地球大気に深刻な被害をもたらし、オゾン層が破壊されて大量絶滅を引き起こす可能性もあるとされている。ガンマ線バーストによる被害は、同じ距離で起こる超新星爆発による被害よりは小さくなると考えられている。
古生代デボン紀と石炭紀の境界にあたる約三億五千九百万年前に起きた大量絶滅は、地球から比較的近い場所で発生した超新星爆発によって引き起こされた可能性があるとする研究もある。デボン紀後期に起きた大量絶滅では、海洋生物を中心におよそ八割の生物が絶滅した。この時代の地層からは何世代にも渡り紫外線の影響を受け続けたとみられる植物の胞子の化石が見つかっており、超新星爆発によるガンマ波バーストの原因によりオゾン層が破壊された証拠とみられている。
超新星爆発で地球にはわずか10秒間しかガンマ波が降り注がなくても、地球大気のオゾン層の約半分がなくなる可能性がある。消滅したオゾン層の回復には少なくとも5年を要するとされている。オゾン層の破壊によって、太陽からの紫外線が地上や海・湖沼の表面近くに生息する生命の大半を死滅させ、食物連鎖も破壊される。
地球から二十パーセク(約六十五光年)先という比較的近くで超新星爆発が起きた場合、爆発時に放射された紫外線、X線、ガンマ波だけでなく超新星に加速された宇宙線が地球に飛来することで、地球は最長で十万年続くダメージを負う可能性がある。
第三宇宙
岐阜県飛騨市
神岡鉱山
2035年9月8日(土)
ハイパーカミオカンデは、岐阜県飛騨市神岡町の旧神岡鉱山、地下650mにそびえる科学の要塞だ。2020年に計画が始まり、2021年5月に着工。アクセス坑道(1873.5m)は2022年3月に完成、2023年10月にはタンク上部のドーム掘削が終了。2027年に実験開始、2035年にはフル稼働を迎えた。直径68m、高さ71mの円筒形水槽には、26万トンの超純水(有効体積19万トン)が満たされる。内水槽の壁面には50cm径の光電子増倍管(PMT)約40,000本、外水槽(ベトー層)には20cm径PMT約3,300本が隙間なく並ぶ。この光センサーは、荷電粒子が水中を光速を超えて突っ走る際に放つ微かなチェレンコフ光――青い輝き――を捉える。
ニュートリノは電荷を持たず、直接観測は不可能。だが、水分子の電子や陽子・中性子と反応し、電子、μ粒子、他の荷電粒子を生成。これらがチェレンコフ光を放ち、PMTがその光を電気信号に変換する。信号はQBEEボードでデジタル化され、24台の読み出し計算機と6台のデータ集約・事象選別計算機へ。事象発生率は12kHz、1日約2TBのデータを富嶽級スパコンが数秒~十数秒で処理。反応位置、粒子数、エネルギー、方向、種別を再構成し、ニュートリノ振動、陽子崩壊(寿命10^35年まで感度)、超新星ニュートリノ、太陽ニュートリノ、宇宙背景ニュートリノを追い求める。
水槽上部の4つのエレクトロニクスハットには、PMTの高電圧電源(約2000V)や電子回路が詰まる。70mケーブルで伝送されたアナログ信号は、光の量と時間をデジタル化。地下650mの地盤は電磁パルス(EMP)を遮蔽し、PMTや電源の安定稼働を保証。水槽はガドリニウム不使用で、超純水装置の貯水タンクは飲料水として使えるが、長期間の使用にはミネラル補給が必要だ。コントロールルームでは、研究者が24時間365日、検出器の状態を監視。朝8時半から夕方16時半は2人体制、その他の時間は地上の研究棟から遠隔監視する。
2035年9月8日、朝8時。地下650mのコントロールルームに、小平教授と加藤恵美が現れた。既に、東大の宇宙線研から派遣されている院生が2名が席に着いていた。そこに小平と加藤が現れたものだから、彼らは驚いた。重鎮2人がこの地下の穴蔵に予告もなく現れたからだ。
「小平先生、加藤先生、今日はまたどういうことでしょうか?ご訪問のお知らせを見逃しましたか?」
「いいや、神谷くん、予告なしですよ。老人でも現場を忘れてはいけないからね。柏からのこのこでてきたのだよ」
「それはご苦労さまです」
「それはそうと、ニュートリノの検知数が増大しているという連絡があったんだが・・・」
「そうなんです! 昨日朝からミューニュートリノが2000個を超えて、最大2035個。今日なんて最大3124個! 1999年のGRB990123より多いんです。何が起きてるんでしょう?」と吉田が興奮気味にまくし立てる。
「PMTの検知分布から、ニュートリノの方向は分かるか?」と小平が冷静に尋ねる。
「スパコンに計算させました。おおよその方向は、赤経21h26m、赤緯+19°。天球図だと、ペガスス座からアンドロメダ座方面です」と神谷が答える。
小平と加藤は顔を見合わせた。加藤が眉を寄せ、「先生、ペガスス座IK星Aですか?」
小平は顎をひねって、考えていた。「まず、連絡しておこう。神谷くん、東大の宇宙線研に連絡してくれ。所長に直接だ。小平から緊急だと言え。それから加藤くん、SNEWS(超新星早期警報システム、Supernova Early Warning System)の担当者、だれだっけな?」
「デューク大のケイト・ショルバーグとミネソタ大のアレック・ハビッグだったかしら?」
「そうそう、ケイトとアレックだったな。彼らにも連絡してくれ。それから、イタリアのLVD(Large Volume Detector)、Borexino、カナダのSNO、南極のアイスキューブ・ニュートリノ観測所も頼む。解析前の生データでいいから彼らに送っちまえ!小平から緊急だと言って!ペガスス座IK星A方向を調べろと言え!」
もう一人の院生の吉田が小平に言った。「小平先生、6千個を超えました!」
「イカンな。まずいぞ」小平は手に持っていたタブレットでZOOMを起動させた。「もう、セキュリティーがなんのと言っておられんわい」と言うと登録してあるCERN(セルン)と高エネルギー加速器研究機構、JAXAを呼び出した。普通の登録ではなく、緊急登録のIDだから、相手も何か大事が起こっているのがわかるのだ。
セルンから島津洋子とアイーシャが、KEKとJAXAから宮部明彦、森絵美、湯澤研一が画面に現れた。「あら、小平先生、何事です?」と洋子が訊いた。
「何事もかに事も、諸君、ペガスス座IK星Aのようだぞ」
「え! 超新星?!」と絵美の声が跳ねる。
「まだ、わからん。わかったら知らせる。念の為に諸君は地下に潜れ。セルンならLHCは地下106メートルじゃろ?その方が安全だ。宮部くん、森くん、湯澤くんは十分な厚みの構造物を探して潜り込め。ああ、それから、EMPで電源が切れたら、キミらのところの加速器の超電導が破れるぞ。クエンチが起こる。どうするのかわからんが、防止策を考えてくれ。起こらんかもしれん。準備だけはしてくれ。EMPで連絡が取れないようになるまで、このまま通信は継続しておくぞ!」
神谷と吉田があっけにとられて小平の顔を見ていた。「先生、なにが起こっているんでしょうか?」と神谷が訊く。
「ああ、まだわからんが、もしかすると、若いキミたちには気の毒だが、ごく近い将来、私らと一緒に冥土の旅に出るのかもしれん。極超新星爆発によるガンマ線バーストで電磁パルス現象が起こって、地球は滅亡するかもだ」
スマホで何箇所も電話をしていた加藤が電話を終えた。「先生、ケイトとアレックには報告しました。確認の上、超新星早期警報システムを発令するかを決めるって言ってます。それから、LVD、Borexino、SNO、アイスキューブ・ニュートリノ観測所、こちらと似たような観測結果が出ています」
「加藤くん、本当にまずいぞ!ニュートリノ飛来からガンマ線の襲来までの間隔はどのくらいだろうな?」
「それはなんとも・・・数分から数時間、数日、超新星内部の核反応次第ですわ」
「神谷くん、吉田くん、地上の研究棟には何名いる?」
「12、3名だと思いますが・・・」
「そいつらに、手近の食料と日常生活品をひっかついで、20分以内に全員ここに降りてこいと言ってくれ。それから、圧縮空気ボンベを満タンにしておけ。地上との連絡ダクトを閉じないといけないかもしれん。幸いここには超伝導装置はないからクエンチの心配はいらんが、光電子増倍管への約2,000ボルトの高電圧電源はすぐ切れるように人員配置をしないとイカン。水は、超純水装置の貯水タンクで飲み水は持つだろう。吉田くん、X倉庫の鍵はあるかね?」
「・・・ありますが・・・あの倉庫、なんですか?」
「あそこには、所長に内緒でわしが緊急食糧をギッておいたんだ。ここにいる4名と上の12、3名が食っても数ヶ月は持つだろう。数ヶ月生き延びられても、オゾン層とバンアレン帯が剥ぎ取られて、放射線が降ってくるがな。オゾン層が再生する数年後までは生き延びられんよ」
やがて、世界各地で、低緯度地方にまで空にオーロラがあらわれるようになった。
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