第9話(1) 絵美と洋子2
明彦が大学を卒業して就職、二年経ったある日のこと。
絵美と出会ってから五年経った1月15日(土)
新橋第一ホテル2
洋子が「二人共、ここにお泊り?」と聞く。絵美が「いいえ、銀座をぶらついて、それでお酒を飲もうという話で。洋子さんは?」「私は新潟からの出張で、ホテルは帝国ホテルに泊まってるの」「あら?帝国からこっちにわざわざ?」
「ここは馴染み深い場所だから、ね?明彦?」とぼくを見てニタっとした。
「絵美さん、明彦の顔を見ていると面白いわね?」
「私、楽しんでます」
「そりゃあ、そうよ。正面に本命の彼女と年上のガールフレンドが座ってるんじゃねえ。どういう顔をしていいやら、迷ってるわよ」やれやれだ。
酒と料理が来た。「二人とも、乾杯しよう」とぼくが言うと、「何に乾杯?誰に乾杯?」と絵美が意地悪く言う。「そりゃあ、ボーイフレンドが本命の彼女を連れてエレベーターに乗っているところに、偶然乗り込んだ年上のガールフレンドとの再会に乾杯でしょ?」と洋子。「絵美、洋子、うるさい!ぼくたちに乾杯!」
洋子は、グビッとジンを飲んでしまう。絵美はいつもはチビチビと舐める飲み方だが、洋子につられてグビグビ飲みだした。やれやれ。酔うと絡んでくるんだろうなあ。頭の悪い女の子なら、その絡み方も楽しめるが、この二人だと、どんな搦め手で絡むかわからない。
「面倒だから、『さん』付けは止める!絵美は、ブランディー派なんだね?」と洋子。
「洋子さん・・・洋子はスピリッツ派なの?」
「そうでもないのよ。まんべんなくどの種類でも飲むわよ。新潟だから、日本酒も飲む。でも、最初にこのホテルに来た時に明彦が作ってくれたのがピンクジンだったから、ここではピンクジン」
「あら?その話、聞いてない」
「1978年のこと。5年前?クリスマス・イブ。やっぱり出張で東京に出てきて、帝国ホテルが満室だったから、ここに部屋を取ったの。それで、夜の11時ぐらいにここに来て、カウンターに座ったらバーテンダーでこの男がいたってわけ」とぼくを指差す。「それで頼んだのがピンクジン」
「1978年?私が初めて明彦に会ったのが、1979年の2月のことだったから、2ヶ月前の話ね」
「初めて出会った時は明治大学の講堂でしょ?絵美は、Keith Jarrett の Köln Concert を弾いていたって聞いたわ。私はピンクジンで、あなたはピアノ?格調が違うわね。不公平よ」いや、初めて出会うシチュエーションに格調も公平性もないものだ。やれやれ。
「あの時は、明大を出た後、山の上ホテルのバーでお酒を飲んだの」
「ふ~ん。私はピンクジンを飲んだ後、部屋にクリュッグを頼んで、寝ちゃったわ」と素知らぬ顔で洋子。チクッとした。
「ねえ、洋子、ピンクジンって美味しいの?」
「飲んで見る?」と洋子が絵美にグラスを差し出す。絵美が受け取ってグビッと飲む。「あら?美味しいじゃない。これは・・・」
「キンキンに冷やしたジンにアンゴスチュラビタースを三滴垂らして、カットレモンをグラスの上でキュッと絞って作るのよ。ねえ、明彦」
「ご名答」とぼく。ぼくに会話を振るんじゃない。
「ビターが効いていて、ストレートのジンよりもまよらかな味ね。私にとってはほろ苦いけど。でも、美味しいわ」と絵美。また、チクッとした。
二人とも10分と経たない内にグラスを空けてしまう。ぼくはお代わりを頼もうとした。「二人とも、同じものか?」と聞く。「私はピンクジン、飲んじゃおう。トリプルでね。頼むの面倒でしょ?」と絵美。「じゃあ、私は、マーテルのXOのロック、同じくトリプルでね」と洋子。二人で飲むものを交換したってことか。また、チクッとした。
「ねえ、絵美の専攻は心理学って聞いたけど」
「ハイ、犯罪心理学の博士課程に在籍してます」
「日本で犯罪心理学の需要があるのかなあ」
「洋子、それが教授も言ってるんですが、あまりないんですよ。犯罪件数自体も欧米に比べて少ない。猟奇的殺人事件も起こりません。どうしようか、考え中です。プロファイラーなんて面白いのですけど」
「プロファイラー?ああ、プロファイリング、分析捜査のことか。犯罪者の特徴や性格、職業や年齢、住んでいる場所とかを行動科学的に犯人像を推論する分野だね」
「あら、よくご存知で。ああ、そうか、洋子は企業と犯罪分野の弁護士ですものね」
「明彦から聞いたのね。そう、ちょっと大学院の時に調べたことがあったの」
「洋子の大学って・・・」
「パリ大学、ソルボンヌ。卒論がね『ナポレオン法典』だったわ」
「え~、興味深い」
「フランス民法典が正式名称なの。なんでそんなの選んじゃったんだか。それで、大学院の時、パリで複数殺人の猟奇事件があって、それを調べていたら、アメリカではFBIが犯罪捜査で捜査を効率化することを目的としてプロファイリングが始められた、なんて出てきたので、興味を持ってちょっと調べたの」
「洋子、もっと教えて。私の進路、どうしたら良いんだろう?日本に居ても大学に残るか、警察庁にでも就職するか、どっちにしても、件数が少ないからケーススタディーができないわけだし・・・」
「そうよねえ、日本に居てもねえ・・・」おいおい、洋子、絵美を海外に行かせちゃうつもりか?「行くとするとニューヨークかな?ニューヨーク大学(NYU)じゃない。ニューヨーク市立大学(CUNT)に行けばいい。大学の格で言えばニューヨーク大学だけどね。ニューヨーク市立大学の上級カレッジには、ジョン・ジェイ刑事司法大学があるのよ。法科大学だけど、法学部だけじゃなくて心理学部もある。ジョン・ジェイで学んで、FBIの訓練生に潜り込むというのもありかもね」
「なるほど。洋子、連絡先を教えていただけないかしら?いろいろご相談したいわ」
「いいわよ」と言って洋子がハンドバックから名刺を取り出した。名刺に家の電話番号を付け足して絵美に渡した。絵美もメモ紙に連絡先を書いて洋子に渡す。インターネットなどない時代なのだ。連絡先も固定電話なんだ。
ぼくが変な顔をしていたんだろう。洋子がぼくを見て「明彦、彼女を海外に送り出そうとしてるな?この女は!という顔をしてるわよ。絵美が聞いてきたんですからね!」
「どうコメントして良いのか・・・」とぼくが言うと、
「ヘヘヘェ、意地悪しちゃおうかな?絵美はね、アメリカ行きに興味を持っているけど、私がいるでしょ?ねえ、絵美、そうでしょ?」と絵美に聞くと絵美がコクンと頷いた。「でもね、私も日本にいなくなっちゃうとしたら?どう?」と言う。絵美がええ?という顔をした。
「実はね、パリ大学時代の教授が、モンペリエの法学の助教授の空きがあるから来ないか?って言われたの。アジア人で初めての教授職で、『ナポレオン法典』を教授して欲しいってね。それで、ウンと言っちゃったの。だから、4月頃からフランスに行こうと思っている。ね?絵美?どう?私が日本にいなくなれば、あなただって、ニューヨークに行くのを躊躇しないでしょ?・・・あ~あ、私って意地悪よねえ」
「それ、私だって、どうコメントして良いのか・・・」と絵美。
「まあ、よく考えなさい。私が渡仏する前に、いろいろと教えてあげるわ。アメリカにも知り合いがいるから聞いてあげる。フフフ、私だってさ、モンペリエに行っちゃうから、絵美だってアメリカに行っちゃえば・・・ああ、意地悪ねえ、私」
「ああ、思い出した。4年前の夏、明彦と付き合いだして半年くらい経った頃、『今日の京の酒蔵と和紙所』展示会が神田で開催されていて、そこで、明彦の大学時代の恋人に偶然であったの。雅子さんという人。実家の事情で、大学を辞めて、明彦と別れて、京都の酒蔵に嫁いだの。あの時も明彦は変な顔していたわ。それはそうよね。自分と別れて、京都に戻ってしまった女性と偶然、私と一緒の時に再会するんですもの」
「雅子さん?その人もその話も、知らないなあ。ねえ、聞きたいんだけど。どういうことだったの?」と洋子。
「あれは、1979年8月のことだった・・・」と絵美が話し出す。
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第9話(2)、第9話(3)参照。
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「そっかあ、そんなことがあったんだ。雅子さん、可哀想だなあ。でも、絵美も寛大よねえ」と洋子。
「洋子、雅子さんとのことも明彦は全部話してくれて、ああ、もしも、雅子さんが京都に帰っていなければ、明彦と私は出会わなかったんだなあと思って。『最後に、二人で封印』の儀式くらいさせてあげないと。私が無理に二人を押したんだけど」
「確かに、私が絵美の立場でもそうしたかな」
「そうでしょう?」
「確かに、明彦は困った男だからなあ。ねえ、絵美、『二人で封印』ならさ、いっそのこと、明彦をフランスに連れて行くのはダメ?ねえ、明彦、私とフランスに来ない?養ってあげるから、家事をして。私、家事、出来ないから」
「それは絶対にダメです!洋子、ダメです!だったら、ニューヨークに行きません!」と絵美。
「あら?じゃあ、私が明彦をフランスに連れて行かなかったら、あなたは、ニューヨークに行くってことなの?」
「え?・・・あれ?」
「ふ~ん、これもまた運命よね。偶然、私と会っちゃたんだから。ね?明彦?」
「・・・」
その夜、絵美と洋子は、ぼくをそっちのけで、法学の話や犯罪心理学の話をして盛り上がった。やれやれ。
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