3、魔導原理
胡桃大の魔晶石を前に、法式を書いた
魔法が開発された古代においては、魔法はいちいちその変成過程の式を
しかし魔法現象を起こすのは魔導士本人の魔力であり、起こした現象の練度や大きさ、操作性は魔導士本人の現象の理解度や練度と深く関わっていた。また、大きな現象を起こすには大きな魔力が必要であり、魔晶石によって簡易化されたとはいえ、誰もが簡単に大きな魔法を使えるわけではなかった。
「――詠唱による刻印? 珍しいね」
背後からかけられた魔女の声に、ヒーリィは振り返った。
「いただいた魔晶石に魔刻していたところです。が、珍しいとは?」
「お前の時代には魔法は詠唱による刻印が主だったろうが、今は手打ちが主流なんだよ。これ――魔刻盤を使うのさ」
そう言いながら魔女は、文字盤と顕微鏡が組合わさったような器具を取り出した。
魔女はヒーリィが魔刻した魔晶石を手に取ると、顕微鏡のようなものの先に据え置いた。魔女が魔力を発揮すると、その器具の先端から光りが走り、魔晶石にあたる。と、その光は魔晶石に反射されたかのように空中に放射され、魔晶石の上に法式がずらりと並ぶ光の文字が浮かび上がった。
「フン、氷結の魔法ね。少々古くさい
「こんな器具が……」
ヒーリィは褒められたことより、見たこともない魔法の器具に驚いていた。
「ところで、あんた、この魔晶石に一つの魔法しか入れないつもりかい?」
「え? 一つの魔晶石には一つの魔法ではないのですか?」
ヒーリィの時代はそうだった。魔女は薄く笑みを浮かべた。
「この魔晶石も天然ものじゃなく、錬成ものだ。純度が高くて容量も大きい。一つの魔法を入れるだけじゃ、もったいない代物さ。ついでだから、あたしが防御魔法でも入れといてやるよ」
そう言うと魔女は傍らの書物を見もせず、凄まじい速度で文字盤を打ち込み始めた。光の文字がみるみるうちに増殖していく。魔導障壁の法式は読みとれたが、その先は何を書いているのか判らなかった。
「昔は魔晶石の錬成法がなかったから、純度の高い天然石は高級素材だった。けど大戦中、魔晶石の錬成法が開発され、小さくて純度の低い小粒を粉にして、再び一つの石をつくる方法が開発されたのさ。まあ、そうは言っても大きさにも容量にも純度にも限度はあるがね。本当の一級の天然素材には叶わないができた。これでいいだろう」
魔女は喋りながら手を休めずにしばらく打ち込むと、やがて息をついた。
「一つの魔晶石に二つ以上の魔法が入ってる時は、並列処理できるように
「
魔女は石を手に取ると、魔力を入れた。と、空中に壁を
「使う時はこの魔紋をつまむか、握るかして魔力を込めればいい。やってみな」
ヒーリィは頷くと、魔晶石を右手に取った。浮かび上がった
「氷結せよ」
机の一角が、たちまちのうちに氷に包まれた。
「なるほど……。時代は変わったものですね」
「道具だけは発達する。人間の愚かさは大して進歩しないがね」
魔女は皮肉そうに言った。
「ところで、お前、村でいくら給金もらってるんだい?」
「半日で1000ワルドくらいですが」
魔女は手で額を押さえつつ軽くのけぞった。
「なんだい、そりゃ? それじゃあ剣は100日くらい働いてもやっとだよ」
「え? 剣がそんなにしますか?」
「30年前とは物価が違うんだよ。お人好しだね、お前は。その倍は貰ったって悪くないさ」
「しかし、皆さん親切な方なので……」
魔女は片目をつぶって頭を掻くと、つきあいきれない、と言わんばかりに手の平をひらひらと振って歩いていった。
*
ヒーリィは村に行って、その日稼ぎの仕事をし始めた。給金は半日で1000ワルドに満たないこともあったが、ヒーリィは特に文句も言わず働いた。特に身体が弱っている老人の家の手伝いなどは、ほとんど無償で力を貸していた。
「ヒーリィさん、すまないねえ」
屋根の雨漏りを直したヒーリィは、家の主である老婆のカゼッタにお礼を言われた。
「いいえ。素人仕事で、なかなかはかどりませんでしたが」
「あんたは多分、もっと高級な仕事をするべき人なんだろうねえ。ありがたいことですよ」
カゼッタは皺だらけの顔に笑みを浮かべると、ぺこぺこと頭を下げた。
「仕事に貴賤はありませんよ、カゼッタさん」
不意に自分の口をついて出た言葉に、ヒーリィ自身が驚いた。
(そうか……私はそういう考え方の人間か)
剣士、であろうというのが、現在のところヒーリィの自身に関する唯一の自覚だった。剣士たる自分は一体、何処で何をやってきたのか? 未だにヒーリィには何も判らなかった。
(――だが、この穏やかな人々との暮らしは…とても温かい)
私自身は冷たい骸にすぎないが、と、ヒーリィは自嘲気味に考えた。すると視線の先からエミリーが駆け寄ってきた。
「ヒーリィさん、こちらにいらしたんですね」
「ああ。もう、今日の仕事は片づいたけどね」
「ヒーリィさん、あさっては村祭りなんです。魔女様と一緒に、是非おいでくださいな」
「村祭り……それは楽しそうだ。けど、私のような余所者がお邪魔していいのかな」
「はい、村の長老たちの了承も得ましたから」
そう言ってヒーリィを見つめるエミリーの眼が潤みによる輝きをもち、その頬が少し赤らんでいるのをヒーリィは静かに見て取った。
(彼女は……生きている。生の温かさをその身の内に持っている。なんと美しく、愛らしいものだろう)
ヒーリィは憧憬にも似た気持ちで、エミリーを見つめた。
明後日、魔女とヒーリィは連れだって森をぬけ、村祭りへと出かけた。村の中央広場に舞台が組まれ、その両脇を櫓(やぐら)が固める。櫓の中には幾本もの枯れ木が放り込まれ、燃え立つ炎が赤々と周囲を照らし出していた。
舞台の上には笛、太鼓、弦楽器、歌い手たちなどが並んで座り、地方や村に伝わる唄や音楽を奏でている。人々は舞台を中心に周囲を踊りながら周り、さらにその外側に巡らされた松明の灯火に顔を赤く照らされていた。
一角にはテーブルが設けられ、誰もが思い思いに置いてある食事を手にしていく。葡萄酒、麦酒、肉料理、魚料理、穀物、果物があり、エミリーはその席で給仕係りをしていた。
「盛況だね」
魔女がエミリーから麦酒の杯を受けながら口にした。エミリーは微笑みながら答えた。
「もうすぐ、祭りの一番の見せ所、仮面劇が始まります。ジョルディも出るんですよ」
「そうかい。見させてもらうよ」
やがてひときわ大きな音楽が奏でられたかと思うと、それを合図に仮面劇が始まった。
最初は『星の兄弟』の神話を演じたものだった。星からきた三兄弟が、やがて諍いを起こす。エディン・ヒグァ・ニルヴの三兄弟は星々を渡っていたが、やがて兄弟喧嘩がおきる。争いの結果、ヒグァは死に、ニルヴは去り、エディンがこの
次は『始まりの島』アルケイア島を、善導神ミュウの導きで、人々の先祖が集団で脱出を図る『出アルケイア記』。その次は人々の争いに降天六柱神も加わって起きた『神渉戦争』。神の残した遺子である竜王たちとの戦い『魔竜大戦』、邪霊神ヌ=ガヒと英雄サガの戦い『邪霊神封じ』の場で、エミリーがヒーリィに言った。
「サガを演じてるのがジョルディなんです」
「そうなのかい」
英雄サガは白い顔、青い眼の面である。その面の下のがっちりとした体格は、言われてみればジョルディのものだった。だが象徴化された大きな身振りで表現された戦いは、奏でられる音楽と赤々と照らし出す炎の陰影によって印象を増幅された。恐ろしい一つ目と蛇の髪を持つ邪霊神ヌ=ガヒを相手に剣をふるう迫力は、歴史上の英雄そのものの勇壮さを持っていた。
「凄い迫力だ」
「
ヒーリィの呟きに、魔女が言葉を挟んだ。
「
「儀礼において化粧をしたり仮面をかぶるのは、そのことによって日常と結びついている『
「個であることが、力の限界になっていると?」
魔女はヒーリィを見て皮肉な笑みを浮かべた。
「理論上はね。ま、お前の場合はまず個を確立する方が先だがな」
ヒーリィは少し自分のことを考えたが、改めて別の質問をした。
「そもそもですが、幽子が時間を超越してるとは……どういう事なんでしょう?」
「実際の実験から判ってる現象がある。一つの原子から左右に飛び出した二つの光子は、連動した動きを見せる現象が起きる。この光より速い連動性を、旧世界の三次元物理学では説明できなかった。だが、この
幽子は光をはじめとする電磁波による観測機器によって探知されないため旧世界ではその存在が不明だったが、観察すること自体が観察対象に影響を及ぼす『観察の問題』や、量子の運動における不確定性原理など旧世界の物理学で統合できなかった問題を越えた統一理論が賢聖リュケイディアによって『
この理論によって、幽子を通して物質に働きかける『
……と、いうような事は高等教育を受けたなら知っててもいい範囲の知識だ。お前は品がいいからどっかの貴族で、当然これくらいの知識はあるものだとあたしは思ってたんだがな」
「どうも……実用面にばかり重きをおいて、原理的な事は疎かにしてたようです」
ヒーリィの言葉に、魔女は少し苦笑して見せた。
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