復讐の黒い百合

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一部 プロローグ 断罪劇

第1話 断罪劇

 私を覆う人垣は、まるで一つの意志を持っているかのように統合されていて、そして、執拗だった。


 列をはみ出し、中央に佇む私に寄る者もいれば、遠巻きにしている者もいる。うねる人の壁。私はそれを見て、悪しき大蛇を彷彿とする。お伽噺に出てくるような、悪の心を持った大蛇だ。


 色とりどりのドレスやフォーマルスーツは、七色の鱗を。


 近衛兵が持った槍や剣は、鋭く尖った牙を。


 グラスに注がれた赤いワインは、猛毒を。


 最前列で私と相対する、白と青のドレスを着た女と紺碧の軍服をまとう男。それらは、色違いの双眸を思わせる。


 まさに、とぐろ巻く大蛇。


 その中心に私がいた。


 返り血に染まったみたいに真っ赤なドレス。私が望んで用意したものではない。今、目の前にいる男が用意したものだった。


 まるで兎の目みたいなこの両目が、私は嫌いだとこの男にかねてから言っている。それなのに、この場にこんな真紅のドレスを設えるというのは、つまり初めからそういうつもりだったのだろう。


 私は、とうとう見捨てられたのだ。


 そう考えると、腸が煮えくり返りそうな怒りが胸の底から湧いた。


 大蛇が睨む瞳の先、真っ赤なドレスを着て、真っ赤な瞳を怒りと失望にみなぎらせる私がいる。腰まで伸びた銀の髪が、獣のそれのように逆立たないことが不思議だった。


「もう、弁明することはないか。アカーシャ・オルトリンデ嬢」


 男が私の名前を口にする。正義に燃えるような瞳が鬱陶しくて、私は血反吐を吐く思いで精一杯の皮肉を放つ。


「何をおっしゃるのですか、ジャン。私は先ほどからずっと弁明致しておりますが、貴方がたがまるで聞く耳を持たないのでしょう。そのくせ、まだ私に弁明をと申しますか?これ以上、何を弁明しろと?」


「アカーシャ…!」


 ジャン・デューク・エルトランド――この国の第一王子の顔が歪む。怒りだけでは説明のつかない、様々な感情が撹拌された瞳だ。


 彼はそのまま顔を俯かせた。戦場で異国の兵と戦っているときも、自分の身の丈以上の魔物と相対するときも俯かないらしい彼をそうさせたのだ。勲章ものなのかもしれない。


 私が自分で考えた皮肉に口元を歪めていると、それを曲解したらしいジャンが今度こそ怒りで顔を赤らめて腰にぶら下げた剣の柄に手をかけた。


「ジャン様」と隣に立つ女が言う。身分も持たない人間が王子に触れているということに、身震いするほどの嫌悪感を私は覚えると同時に、その姿があまりに様になる女だとも思った。


 ジャンは、彼女の制止を振り切って剣を抜いた。


 キィン、という高い鞘滑りの音と、ジャンの怒気に総毛立つ。


 銀の切っ先は躊躇なく私の眼前に向けられた。彼が一歩踏み出し、腕を震えば私の喉は裂かれることだろう。


「君がさっきした弁明が、君の言いたいことの全てだと言うんだな、アカーシャ」


「ええ。そうでございます」


「だったら…!君は本当に、この子の――ストレリチアの命を狙ったんだな!?敵国の暗殺者まで使って、君は、君は…っ!」


 喉を詰まらせるようにして繰り返すジャンを見ていると、私は酷く胸が苦しくなった。


 彼は切っ先を私に向けることにも心を痛めているし、幼少期から共に国を背負う人間として言葉を交わしてきた私を疑うことに、吐き気を催すほどの苦さを覚えているに違いないのだ。


 そんな人間に、私は私の一存で苦しみを背負わせてしまっている。いや、これから背負わせるというべきか。


 とはいえ、私は自分のしていること、やったことが間違っているとは思わない。


 全ては、あの女――ストレリチアの蒔いた種なのである。


「はぁ…」


 私は小さくため息を吐いた。ここまできたら、悪役ぶってでも、ジャンが背負うものの重さを少しでも軽くしようと思ったのだ。


「そうですが、何か?」


 ざわ、と人々が喧騒を巻き起こす。ジャンはショックに顔を青くしているし、隣のストレリチアも血の気を失って私を見ていた。


 一度、弁明の舞台で同じことを言ったというのに、どうしてこうも同じ反応ができるのか。暗殺など、どの時代にも息づく政治的手段の一つだろうに。


「アカーシャっ…!君は、この子が、ストレリチアがどれほどこの国に貢献してきたか、知らないわけじゃないだろう!そんな人間を、君は――」


「それは結果論でございます。ジャン」じろり、と私はストレリチアを睨みつける。「その子は、今までに数え切れないほど大きなリスクを人々に背負わせ、国を、国民を、貴方がた王族や貴族を危険にさらしました。私の制止をことごとく振り切って」


「だが、その全部が上手くいった!」


「ええ、『たまたま』上手くいっています。それが結果論だと言うのです」


「アカーシャ、だからそれは違うだろ。彼女は神託の巫女だ。予言の力を持つんだよ!」


 私は今までも何十回、何百回と聞いた謳い文句を耳にして顔をしかめた。前の前の男への感傷も酷く薄れてしまった。


 神託の巫女、預言者、未来予知…。


 長い王国の歴史の中で、一度たりとも現れたことのない存在と、未来予知の魔導。


 確かに、ストレリチアの予言は外れたことがない。実際、私が立てたストレリチアの暗殺計画すら事前に看破してみせた。


 おかげで、私はこの舞台に立たされている。


 私の罪を咎める、断罪の舞台に。


「おっしゃるとおり、我々はその子のおかげで数々の天災を避け、強靭な魔物を倒し、病を根絶してきました」


 もう、うんざりだ。


 馬鹿みたいにストレリチアの言葉通り動く連中にも。


 彼女がいなくなった後のことを考えない政治にも。


 婚約者と描いた未来よりも、忽然と現れた預言者の示す未来を選んだ男にも。


 私は諦観の海に思考を擲った。もうどうにでもすればいい、と。


「ですが、私はもうこれ以上…この国の、国民たちの未来を、そのような不気味なものに委ねたくはありません」


 滑稽なことに、絶望の表情をたたえたのは私ではなくジャンのほうだった。


 彼は私の最後の意地を見届けると、血が出そうになるほど歯を食いしばり、やがて、静かに告げた。


「…ストレリチアは、もはやこの国の英雄、いや、救世主だ」


「まあ、大層な肩書ですこと」


 私の皮肉にも応じず、彼は続ける。


「そんな彼女の命を狙うこと…それがどんな意味を持つか、分からないアカーシャじゃないよな」


「回りくどいですわよ、ジャン」こっちの腹は決まっているのに、焦らすようで苛立ちが募る。「はっきりと言いなさい。仮にも貴方は第一王子、この国の未来を背負って立つ男でしょうに」


 そう、この国の未来…あの女が、ストレリチアにしか聞こえない、神託に導かれる未来だ。


 ジャンは、私の言葉を受け取って、再び眼差しに力を宿した。そして、剣を虚空に振り払いながら明朗に宣告する。


「アカーシャ・オルトリンデ。もはや、君はこの国に仇なす存在、逆賊だ」


 ぶすり、と目に見えない言葉の剣が私の胸を貫く。それでもどうにか、私は平静を装ってその場に留まった。


 せめて、最後まで無様な姿を見せないよう。


「敵国と手を組み、我が国の英雄の命を狙うような逆賊は――極刑に処す以外、道はない」


 逆賊、極刑…。


 分かっていた。


 暗殺が失敗した時点で、十分に分かっていた未来だ。


 足元がぐらつく。


 国が、人々が、仲間が、召使が、婚約者が、両親が…。


 私を見捨てた。


 私を取り巻いていた世界が、私を育んでいた世界が…お前は不要だと、高らかに宣言した瞬間だった。


「死罪だ、アカーシャ・オルトリンデ…」


 涙ぐむジャンの声に、遠くなっていた気が戻ってくる。


 駄目だ。


 私は、最後まで気高くあらなければならない。


 不敵で、傲岸不遜な悪名高き令嬢として。


 私は強い意志で踏みとどまった。膝は折れていない。まだ、自分の足と意志でこの場に立っていられる。


「死罪ですか」


 声すらも震えていない。ざわめいていた聴衆たちが静まり返って私を見ていた。


 私は彼ら、彼女らを睥睨すると、ジャンを見つめ、そして最後に、ストレリチアを睨みつけた。


 彼女は泣いていた。しかし、それが仮面を被っているだけに過ぎないことは本能的に分かっていた。


 ふつふつと沸き起こる怒りをドレスのように美しくまとう。私にできる最後の抵抗だと、矜持を示す唯一無二の方法だと、そう信じ、口元を綻ばせる。


 ふわり、とドレスの裾を指先でつまみ、持ち上げる。それから、軽く膝を曲げて、頭を下げてみせた。


「御意のままに」




 こうして、私の――アカーシャ・オルトリンデの断罪劇は幕を下ろした。

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