第2話 君を慰めるように

 遠回りして立ち寄った別のホームセンターで今度こそ本当にロープを買い、手持無沙汰を紛らわすようにくるくる振り回しながら家路についた。

 玄関に、脱ぎ揃えられたスニーカーが一足。我が家は基本的に脱いだ靴は下駄箱へ詰め込むのがルールだ。

「ただいまー」

「あー、おかえりおかえり!」

 やけにテンション高めで元気のいい返事。声のしたリビングに向かうと、そこにいたのは母親ともう一人。

「直帰すると思って急いで先回りしたのに、ずいぶん遅かったじゃん」

絵美梨えみり、来てたんだ」

「うん、さっきぶり」

 さっきとはいつか。それはもちろん、俺が新生児の顔を一目見ようと絵梨栖さんの病室を訪ねたときだ。絵梨栖さんと、旦那さんと、赤ん坊。そして特に喋ることなくニコニコ赤ん坊を眺めていた絵美梨。そこに俺も含めて、あの空間には5人の人間がいたことになる。

「赤ちゃんかわいかったね~。まあお姉ちゃんの子どもなんだから当然といえば当然なんだけどさ。わたしが抱いても泣いちゃったのに、よーまだけ笑ってもらえて羨ましい」

「人徳かなあ」

「ムカ。いいもんね。わたしは叔母さんとしてたっぷり時間をかけて懐柔していくんだから」

「そっか。お前も晴れておばさんか」

「ムカ。ムカムカムカ。同い年の女の子に向かってその言い草ってさあ」

「自分で言ったくせに」 

 会話中もずっとくるくるさせていた縄に、今さら絵美梨が食いついた。「なに、今度はカウボーイ?」「いいや、別目的」「そっか。よくわかんない。いいからさっさと部屋いこ部屋」

 背中をぐいぐい押され、階段を昇って自室のある二階へ。いくつも設置した棚に本なり昆虫標本なり鉢植えなりが所狭しと並べられた部屋を見て、絵美梨が言う。

「相変わらずものすごい圧迫感」

「いいじゃん。散らかってるわけじゃないんだし」

「整理整頓されてるからこその気味悪さだってあるよ」

 気味の悪いとはまた失礼なことを。

 置き場がないので、買ったばかりの縄はベッドの方へ放り投げる。同様に、この部屋は人の置き場もないので、俺と絵美梨もベッドへ並んで腰かけた。

「……で、なんで帰りが今になったの? 河原とか走ってきた?」

「どこの青春ドラマか。特になんもないよ。適当に寄り道してたら思ったより時間かかったってだけ」

「ほんとかねぇ~~~?」

 からかうような口調が鼻についたので、ノールックで裏拳をお見舞いする。絵美梨はそのままベッドに倒れて、「暴力!暴力!」と訴えている。ここで追撃を加えてからが本当の暴力なのだが、華奢な女の子相手にやるほど俺の血と涙は枯れていない。

「いったいなあもう。こっちは仮にもお姉ちゃんとおんなじ顔なのにさあ」

「同じは誇張だろ。双子でもあるまいし」

 言って、絵美梨をまじまじと見つめる。

 くりくりとして大きな瞳。高めの鼻。肩甲骨のラインで切り揃えられたさらさらの髪の毛。肌も髪も瞳も全体的に色素が薄くて、手足が長い。どことなく感じるエキゾチックな印象は間違いではなくて、母方のおじいさんだかおばあさんだかがヨーロッパの血筋らしい。いわゆるクォーター。その圧力強めな横文字に名前負けしないだけの美しく凛とした容姿。――言われてみれば確かに、高校生のときの絵梨栖さんに瓜二つではある。

「……今、似てるって思ったっしょ?」

「事実、似てるし」

 内心を言い当てられ、潔く認める。

 星見絵美梨ほしみえみり。俺と同い年のご近所さんにして、絵梨栖さんの歳の離れた妹。似姿と呼んでも違和感がない容姿をして、おんなじ顔と自称する気持ちはわからないでもなかった。性格的な相違点が目立ちすぎるせいで、間違っても同一人物のようには扱えないけれども。

「それで、なんのために家まで来たのさ。用事があるなら病院で言ってくれればよかったのに」

「病院でよーまのこと慰めてあげるわけにもいかないでしょうよ」

「なんのことやら」

「しゃーない。そういうことなら全部言っちゃお」

 絵美梨が意地の悪い笑みを浮かべた。――こういう腹黒い部分が、本当に絵梨栖さんと微塵も似ていない。

「ちっちゃな頃から好きだった相手をどこぞの馬の骨に取られた挙句、生まれた赤ちゃんだっこさせられて完全に脳みそをぐちゃぐちゃにされちゃった朱崎耀真あけざきようまくんを慰めに参りました~♪」

「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおお~~~~~~!!!!!!!!!!!」

 頭を抱え、布団に顔面を押し付けて悶絶。必死で考えないようにしていたことを強引に言葉にされ、全身のあちこちが軋み、痛みを訴え始めている。

「苦しかったねえ。辛かったねえ。泣きそうになったのをよく我慢したねえ」

「お、おま、お前……!」

「そこの縄だってきっと、首でもくくるために買ってきたんだよねえ。でもよーまは絶対そんなことできないし、なにもできない自分の惨めさに浸るつもりだったんだよねえ」

「ああ、おお…………」

「大丈夫だからねえ。わたしはそんなみっともないよーまのことちゃんとわかっててあげるからねえ」

「……………………いっそ殺せよ」

「やーだよ。とっくに死に体の相手にとどめさしても面白くないし」

 幼子をあやすみたいに、絵美梨が俺の背中をぽんぽんとリズミカルに叩く。その心地いい感触に不覚にも泣きそうになって、顔を再び強く布団に押し付けた。

「頑張ったね。変に水を差さず素直にお祝いしてあげて、偉かったと思うよ」

「……当然だっての。あのシチュエーションに至って昔どうだったとかあのときどうだったとか言うのはただの自己満だろ」

「お利口さんだなあよーまは。なに、どんな形であれ、好きだった相手が幸福であればそれでいいって?」

「本当にそう思っている人間ならなに言われたって悶えないし、女々しくロープなんて買ってこないと思わないか」

「そういうグロテスクで見てらんないところをちゃんと隠しきったんだから、やっぱり偉いよ」

「……ダサいことして、本当に恥ずかしい人間になるのがいやだっただけなんだ」

 体を起こす。すると目の前にはまだまだ未練たっぷりの相手そっくりの女の子がいて、破壊され尽くした脳みそが耳から垂れてきそうな気分になる。

 なんだかんだ言いつつも、絵美梨が俺を本気で慰めてくれようとしているのはわかっている。こうして言ってくれなければ、いつまで経ってももやもやとした感情が渦巻きっぱなしで、吐き出す場所を失っていたに違いないから。

 その優しさに、素直に甘えたい気持ちがあった。情けない泣き言を一から十まで全部言って、楽な気持ちになってしまいたい。俺がもうちょっと早く生まれていたらとか、軽くあしらわれるのを承知の上で早いうちからアタックの姿勢をみせていたらとか散々たらればを並べ立て、絵美梨に適当に相槌を打ってもらう。それがどれほどの救いになるかは、火を見るより明らかだ。――でも、できない理由がある。

「わたしは経験ないからわかんないんだけど、やっぱり失恋ってキツいもの?」

「失恋なんて高尚な呼び名がつくような段階にもいなかったよ。くだらない、吐いて捨てるような横恋慕」

「あー、僕が先に好きだったのにってやつだ」

「頼むから名前をつけないでくれ。まじで情けなくて死にそうになる」

「おーよしよーし。情けないよーまもみっともないよーまも、わたしは等しく受け入れて愛してあげますからねー」

「そこの縄で絞める首は、必ずしも俺のものである必要がないってことは覚えておいてくれよな」

「うへー怖ぁ。やられる前にやっとこ」

「は? ぐぇ――」

 瞬きの間にバックを取られ、どこで覚えてきたのか謎な裸締めが炸裂。完全に極まってしまったサブミッションを振りほどく方法などないので、「ギブギブ!」と叫びながら腕をタップする。

「なんなの殺す気なの……?」

「先に殺害予告してきたのはそっちだし」

 裸締めを解いても、絵美梨は俺の背中にぴったりくっついたままだった。温かくて柔らかい、赤ん坊を抱きあげたときと同じようでまるで異なる感覚が、背中から離れない。形としては、ちょうど抱きしめられたようになっている。

 これがたとえば、日常のじゃれあいの中に生じたものであればなにを感じることもなかっただろう。そういうやつだ、属性だ、習性だといって、適当に振りほどいてそれでおしまい。けれども精神的に摩耗している現在に限っては、そうやって切って捨てるのは難しくて。

「弱ってるときに人肌に触れると泣いちゃいそうになるから離れてもらっていいすか……」

「えー、よーまが泣いてるとこ特等席で見たすぎ」

「性格悪いよ、お前」

「うん。お姉ちゃんとは違ってね」

 絵美梨の言葉の全てに慰めと励ましの意味合いが乗っかっているのを深く理解したうえで、体を後ろに倒してそのほっそりした体躯を押しつぶす。体重差のおかげで絵美梨はあっけなく手を離して、「あっぶないなあもう!」と眉間にしわを寄せた。

「ほら出てった出てった。お前がいなくなった部屋で一人寂しく泣き明かす大事な用が俺にはまだ残っているんだ」

「はぁ~~~。まあ、必要なことだと思うからいいけどね」

 立ち上がり、乱れたスカートを直す絵美梨。そういう日常っぽい仕草の一つにすら涙腺を刺激される極めて危険な状態になっているので、一刻も早く部屋を出て行ってほしい。

「一区切りついたらこうちゃんと一緒によーまのお疲れさまでした会してあげるから、間違ってもそんなの使っちゃだめね」

「はしゃぐ口実として俺の傷をえぐろうとしていないか???」

「こういうのは跡形もなくなるまで徹底的にぼこぼこにしといた方が尾を引かないの!」

「知ったようなこと言いやがって。……はい、これ持ってって」

 もとより使うつもりなどなかったロープを絵美梨に託した。変な心配が伝播して、両親にまで気を遣われるようなことになったらそれこそ死ねる。

 絵美梨は少しだけ考える素振りを見せてから、それを俺の首にそっと巻き付けた。首絞めネタはついさっきやったからもうお腹いっぱいなんだが。

「はい、これで今日のよーまは死んじゃいました。……明日からは、新しくなった元気なよーまでわたしの前に出てきてね」

「……………………頑張るよ」

「約束」

 額と額をこつんとぶつける絵美梨お気に入りのあいさつで締め、慌ただしく部屋を去っていく。

 馬鹿らしいやり取りでいくらか心は晴れたけれども、そのせいで一人の部屋に感じる広さがダメージになった。

「今はたぶんなにやってもダメだなあ……」

 倒れ、目を瞑る。約束した以上、今日の俺はこの部屋の中に置き去りにしていかないとならないと思うから。

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