花外3

 草火そうびという名前には聞き覚えがあった。しかし何処で聞いたのだったか。頭を捻って記憶を探ると、村の人が話していたことを思い出した。

──磐座に近いとこって云ったら、草灯の居る花街じゃないか?──

 高札場に貼り出された鬼出現の報せ。たしかその報せを読んでいる時に聞こえてきた名前だ。


「草火は本来、神籬の花を管理する者の総称に過ぎぬがの。菖蒲は私の後に姫様が拾って来た孤児みなしごでの。村の中で相当過酷な生活をしておったせいか、自分を地獄から救ってくれた姫様に大層執心しておる」

「その姫様と云うのは……」

「若様の母君よ。顔立ちは美しく性格は少女のようで……多少面倒事を引き起こしておった故、大変なことはあったが」


 小さく呟かれた言葉には疲労の念が感じられた。


「母は今何処に居るんでしょうか?」


 空の疑問に桔梗は口籠もり、どう伝えようかと煙管の先を見つめる。


「あの、もしかして……」

「生きておられる……おそらく」

「おそらく?」

「色々あっての。わたしや菖蒲は姫様に拾われ、人ならざる力を与えて貰った。故に姫様が消滅すれば、わたしらもただの人となるが、未だ然うなってはおらぬ」


 然う云って桔梗は指先に小さな炎を灯した。そして炎は柔く揺らぎながら空の周りを一周して消えた。


わたしは炎の遣い手での。こうして火を起こすことが出来る」

「あ、だから火に呼びかけろって」

「然うじゃ。若様は聡いのう。そうそう、菖蒲は水の遣い手故、水があるところでは気をつけよ」

「分かりました」


 素直に頷く空に桔梗は満足そうに笑む。


「菖蒲が持って行ってしまったぎょくは、若様の力添えになるものじゃ。若様は今、呪いを掛けられておる」

「その呪いって?」

「簡単に云えば力を抑えるものよ。見鬼の才に……認識齟齬かのう」


 桔梗はちらりとヨミを見る。彼は特に何も云わず、ハクの背中を不器用に撫でていた。


わたしより上位の者が掛けた、複雑な術は細部まで分からなんだ。すまぬな」

「いえ……でも見鬼の才がないと、鬼は倒せない、ですよね」

「若様なら大丈夫じゃ。その刀があれば何れ鬼も消えようぞ。しかしそれも誰かの手助けがあってこそ……そこな男は役に立たぬようじゃ。やはり菖蒲から玉を貰わねばならぬの」


 玉があれば空に掛けられている呪いを緩和出来ると桔梗は云う。

 しかし先ほどから聞いている菖蒲とやらは、ヨミを殺したいほど嫌っていて、その弟子である空のことも害する可能性がある。とてものこのこ赴いて「玉をくれ」とは云えなさそうだ。


「その玉の代わりになる物とかはないんでしょうか?」

「玉とは各宮に伝わる宝玉のことでな。力の均衡と云っても良い。当然、成り代わるような物はない。玉は全部で三つあり、此処、神籬みづがき、隣の磐座いわくら、そして死の街、通座つうくらにひとつづつあるのじゃ」

「宝玉って、そんなの、俺が持って良いんですか?」

「姫様が居らぬ今、若様が最も持つに相応しい。それに玉に頼らず術を破るとなれば、神力を上げなければならぬ。そして若様の場合、手っ取り早く上げるには、鬼を退治することじゃ」

「……結局、鬼を退治するのに今の俺には玉が必要」


 空の言葉に桔梗はよく出来ましたとばかりに笑んで頷く。

 しかしまたひとつ疑問が生じた。


「神力は文字通り神の力ですよね。俺はただの人なので、上げるどころか持ってすらいないと思うんですけど……」

「ほほ、人がまったく持っておらぬわけではない。その昔、神を使役する人の子もおった。霊力が高いとされているが、気付かぬ神力がその力を支えておったのじゃ。故に、若様も神力は持っておる。その力を今後高めねばならないのだ」

「霊力をあげれば、神力もあがる?」

「否」


 空と桔梗の話を黙って聞いていたヨミが短く否定する。

 しかしその後を何も続けないものだから、暫しの沈黙の後、桔梗が仕方なしに引き継いだ。


「上げたいのは神力のみよ。人には霊力の方が馴染みやすい。故に霊力を上げてしまうと、神力に益々気が付けないのじゃ。若様は神力だけを上げなければならぬ」

「鬼を倒すだけで上がるんですか?」

「正確には鬼の見分け方を会得する、かのう」

「鬼の見分け方?」


 鬼を倒せば上がるだなんてそんな簡単なことなのかと思えば、そんなことはないらしい。


「若様、鬼を見つけた時、何をするか分かっておるか?」

「ええと、まず済度、鎮圧、この二つの方法で鎮められない場合は根絶」

「然うじゃ。よう勉強しておる。ではその見分け方は分かるかえ?」

「……鬼と遭遇したら試す?」

「ほほ、然うしている間に鬼に殺されるじゃろうな」


 まさに昨晩、然うなりかけたばかりである。


「済度と鎮圧は鬼が人を喰らう前に行わなければならぬ。人をほんの欠片でも喰ろうたら、もう済度も鎮圧も不可能じゃ。一度人を喰らう鬼となれば、たとえ鎮圧が成功したとて、同じには戻れぬ。だから然うなる前に鎮める必要があるのじゃ」


 ヨミも空が十言の呪を唱えた時、おそらく呆れていた仕草をしていた。そしてせせらうように笑う鬼。

 村に出現した鬼は、空が遭遇した時点で幾人もの村人を喰らっていたのだ。最初から根絶、完全に滅する他なかったということだ。

 空は思わずヨミの膝の上で未だ熟睡しているハクを睨む。延々と真っ先に根絶すれば良いという考え方を否定したのは、真っ白な兎である。


「では人を喰らう鬼をどう見分けるかじゃが……すまぬな、若様。わたしらは其れを見る目を持っておらなんだ」

「見る目?」

「そこな男は鬼が人を喰らう前か否か分かるようじゃが……幾ら聞いても凡人には理解出来ぬ。わたしには見鬼の才がないからのう」


 空は再び昨晩のことを思い返し、確かにと納得する。敵前に指導するにはまったく役に立たない助言しか貰えなかった。


「まぁ玉があればおそらく解決するじゃろう。済度や鎮圧はかつて闇皇もやっていたこと。つまりは神力が必要と云うことじゃ。経験を積めば自ずと若様の神力も上がるはずじゃろう」


 鬼は闇皇の配下と云われているが、所以はかつて鬼が通座つうくらにしか出ず、闇皇が支配していたからだ。つまり闇皇は鬼を抑える力があり、済度や鎮圧はそれに当たるため、その力を付けられれば、神力が上がると云いたいのだろう。

 問題は其の玉をどうやって菖蒲から譲り受けるかだ。

 花街はなまちの草火と云えば、神籬みづがき、否、紫藤最大の歓楽街を執り仕切っている。草火を敵に回せば店は立ち行かなくなり、客もまた、花街に入ることすら出来なくなると云う。更に其の草火である菖蒲はヨミを憎んでいる。


わたしから連絡はしておくが……どうせもう知っておる。向こうから来るのを待っておれ」


 それは殺しに来ると同義ではないだろうか。可能であれば、師との怨恨に空を巻き込まないで欲しいものだ。


「ほほ、中心街には及ばぬが、花外かがいもその辺の村よりは楽しめよう。闇師となる修行がてら、ゆっくり過ごすが良い。どうせ先を急ぎはしないのじゃろう?」


 桔梗の問いにヨミは短く頷いた。


「使い物になるまでは」

「ふん、気に入らぬ答えよ。まぁ良い。おお、然うじゃ、若様。渡人わたりびとには気をつけよ」

「渡人?」

「然う名乗る者がおる。知る人ぞ知る場所に、闇師に繋ぐ呪が書かれた扉がある。其処にお願いすると渡人に繋がり、闇師がやって来ると云われておる。今はその扉を管理する者を然う呼ぶこともある」

「そんな扉があるんですか?」

「さてな、わたしは見たことがないから知らぬ。じゃがそれを触れ回って随分な金儲けをしておるようじゃ。闇師に繋がっておるなんぞ、今の紫藤では嫌厭、批難、迫害の対象なのにのう」

「あの、闇師ってやっぱりそんなに嫌われてるんですか?」


 桔梗は大きく、当然と云うように頷いた。寧ろ今更なことといった様子である。


「闇皇が何をしたか知っておるじゃろう。其の配下よ、民が好く理由もない」


 確かに村の人たちも闇皇の配下であり、法外な報酬を得る闇師を心底嫌っていた。だがその一方で闇師を呼ぶ術があり、それを金儲けに使う者もいる。


「渡人の姿を見た者はおらず、じゃが渡人を名乗る者は見れば分かる」


 派手に着飾り、人の良さそうな笑みを浮かべて連れるは絢爛豪華な邸宅。花街はその性質もあって建物も絢爛、荘厳であるが、ひとつ川を越えれば田園風景が広がる。

 田畑を管理する者は質素な家に住っており、それは花外も同様である。そんな中、着飾った者や建物があれば、大層分かりやすい顕示だ。


「放っておいて問題ないが、若様が闇師の修練をしていると知られれば面倒じゃ。修行をしておることは、あまり云うでないぞ」


 桔梗の言葉に空は深く頷いた。

 酒屋の親父と女性の言葉が脳裏から離れない。


「若様。分からぬことだらけで不安じゃろうが、この桔梗、何でも手を貸そう。あの子も道理の分からぬ阿保ではない。ゆくゆくはきっと力になるじゃろう」

「はい、ありがとうございます」


 桔梗は空の返事にひとつ頷くと、「これ」と入り口の方へ声を掛ける。空を案内してくれた二人の童女わらしめが姿を見せた。


「はい、姐様」

「若様に幾つか着替えを用意しておやり。嗚呼、そこの男には必要ないよ。それから朝餉を出してやっとくれ。それが終わったらもう良いよ」

「はい、姐様。若様、此方へ」

「あ、はい! あの桔梗様」

「様なんて要らぬよ」

「じゃあ、桔梗。色々ありがとうございました」


 頭を下げて礼を云うと、桔梗は「いつでも遊びにおいで」と笑んだ。店の者には通達しておくとのことで、その言葉に空はまた軽く頭を下げると立ち上がる。

 童女の方へ向かう途中、立つ気配のないヨミに視線を向けると、無造作に掴まれたハクが突き出された。


「持って行きなさい」

「え、わっ」


 空が受け取る前に手を離され、真下に落ちるハクを慌てて受け止める。その衝撃で漸く目が覚めたのか、非常に人相の悪い目付きできゅうと鼻を抑えている。


「何してんだよ」


 首根っこを掴んで顔の位置まで持ち上げると、ハクは更に半目にして空を睨みつけた。


「鈍臭いお主には分からぬだろうが、香はハク様にとってなかなか辛いのだ。ほれ、早く部屋を出んか」

「鈍臭いって何だよ。ずっと寝こけてた癖に……だいたい兎ってそんなに鼻良かったっけ?」

「五感に優れておる。遠くを聞く耳、広い視野を持つ目、嗅ぎ分けられる鼻……」

「はいはい」

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