第2話 血と報告
「死者なし、負傷者三名。うち一名は重症」
ガルドさんが簡潔に告げ、私は第一防衛ラインの片付けを続けながら、ヘクト部隊長のもとへと向かっていました。空気はまだ血と土の匂いで満ち、緊張が抜けきりません。
「よく持ちこたえたな」
ヘクト部隊長が短く私たちを労いました。表情は厳しくても、その声には確かな信頼が込められている気がします。私は小さくうなずきました。
「魔石回収、終わりました」
私は腰の袋を叩いて報告します。獣型魔物から、五個。慎重に取り出し、傷もついていません。
「よし、肉も運べ。王都や東区じゃ嫌われるが、砦じゃ貴重な食いもんだ」
ヘクト部隊長が振り返りざまに言いました。
私は思わず、回収班が魔物の死骸を引きずるのを見つめてしまいました。生臭さが鼻をつく。でも、ここでは贅沢は言えません。
──砦では、どんな肉でも命をつなぐ糧になります。
西区に生きる者たちは、それを嫌うどころか、感謝すらしているのです。
治療班の神官たちが、負傷兵たちの手当てに追われていました。
血で濡れた布を剥ぎ取り、傷口を清め、聖印を掲げる。
「裂傷、深いですが骨には届いていません。癒しを」
「血を止めます。耐えてください」
祈りの声とともに、聖なる光が傷口を塞いでいきます。
新兵たちは、呆然としながらも、仲間の治療をじっと見守っていました。
──ここでは、痛みも、回復も、すべてが日常。
私たちは、慣れるしかないのです。
「……また来る」
ガルドさんが、小さな声で言いました。
私は顔を上げて、遠方を睨みます。
朝もやの向こう、小さな影がうごめいていました。数、三十。いや、それ以上かもしれません。
「人型……ゴブリンか」
ヘクト部隊長の声が硬くなりました。集団で動く小型の魔物。素早く、数で押してくる厄介な相手です。
「珍しいな。一日に二度も」
ロスさんが眉をひそめながら呟きました。
「だが、迎え撃つしかない」
ヘクト部隊長は、矢筒から一本の矢を抜きました。その仕草に、誰もが緊張を引き締めました。
「準備、急げ」
ヘクト部隊長の一言で、全員が動き始めました。私は剣の柄を握り直し、足元の感覚を確かめます。
その時、別の方向から兵士たちが走ってきました。
ギルバード隊。砦に配置されたもう一つの部隊です。
ギルバード隊長は、貴族らしい高慢さを隠そうともせず、ヘクト部隊長に声をかけました。
「手間取っているようだな、ヘクト部隊長」
鼻にかかった声。私は思わず眉をひそめました。
ヘクト部隊長は動じることなく、無表情で答えました。
「増援に感謝する」
言葉少なでも、敵でも味方でもない。それが、ここで生き残るための処世術なのだと、私は知っていました。
そして、ゴブリンたちが襲いかかってきました。
獣より小さいとはいえ、動きは素早く、数で押し寄せてきます。ギルバード隊は最初こそ勢いで押していましたが、すぐに乱れ始めました。
「隊列が、もたない……」
私は息を詰めながら呟きました。指揮がまとまっていない。個々の力に頼りすぎている。そんな戦い方では、群れる魔物には勝てないのです。
その瞬間、一人の新兵が孤立しました。小柄なゴブリン数体に囲まれ、追い詰められていきます。
「援護する!」
私は叫び、剣を握り締めて駆け出しました。ガルドさんもすぐさま盾を構えて後に続きます。ロスさんもヴェルさんも、持ち場を崩さぬまま、的確に援護射撃を始めました。
連携は完璧──のはずでした。
けれど──間に合いませんでした。
ゴブリンの短剣が、少年の喉元に突き立ちました。
一瞬、世界が止まったように見えました。それから、血が噴き出し、彼は地面に崩れ落ちました。私は剣を振り下ろし、周囲のゴブリンをなぎ倒しながら、必死で駆け寄りました。
でも、彼はもう──
ギルバード隊長は、一瞥しただけで踵を返し、戦線へ戻っていきました。その背中を見ながら、私の中に、冷たい怒りが静かに燃え上がっていくのを感じました。
戦闘が終わった後、私は静かに、新兵のもとへ膝をつきました。彼の剣は、まだ手から離れていませんでした。小さな布袋が、硬直した指の間から覗いています。
そっと拾い上げて開くと、中には薄汚れた護符。誰か、大切な人が持たせたのでしょう。
「……必ず届けるから」
私は誰にともなく呟きました。護符をしっかりと懐にしまい、剣を握り直しました。
この死を、無駄にしないために。
私は立ち上がり、もう一度空を仰ぎました。重たく、低く、どこまでも狭い空。
けれど──
それでも、前に進まなければならないのです。
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