第8話 それじゃあね


 蝉が五月蝿く命を散らす8月。カンカンと太陽が照らす中、適度に冷房が効いた病室でテレビを見ていると、とあるサッカー選手の特集が組まれていた。


『さぁ来週はサッカー日本代表戦! 招集メンバーには全サッカーファン待望のあの選手が帰ってきました!』


 映像が切り替わる。そこにはよく見るむかつく顔が多くの記者に囲まれてインタビューを受けている。

 映像のテロップには「期待の超新星伊月代表、復帰!」の文字。この病室によく来る彼がテレビに出ている。なんだか不思議な気分だ。

 

『今年の初めに大怪我を負った伊月選手ですが、驚異的な回復力を見せ異例の速さで復帰。彼が練習するグラウンドには連日多くのファンが押し寄せています!』


 今度は伊月の練習風景の映像に切り替わる。サッカーボールを蹴る伊月、そんな彼には黄色い声援が送られていた。

 

『きゃー! 伊月くーん!!』

『かっこいい~!』


 最近気づいた事だが伊月の女性人気はもの凄い。テレビ越しでも女性ファンの熱気が伝わってくるほどだ。

 伊月はファン達に、あのむかつく笑顔を振りまくと女性ファン達が更に沸く。すると、私の胸の中で微かなざわめきを感じた。


「……え?」


 戸惑いつつも胸を抑える。

 なんで伊月がファン達に向かって笑ってるだけなのに……なにこれ? え、まさか!?


「……いやいやいやいや、ないないないない」


 なにかを振り払うように必死に頭を左右に振る。


「ないないないない! 断じてそれはない、あり得ない! そう、これは私の大嫌いなあいつの笑顔を見た不快感! そうに違い――」

「浅木……1人でなに言ってんの?」

「ひゃああああ!!」


 突然背後から聞こえた声に私は驚きのあまり飛び跳ねる。振り向くと、そこには伊月が立っていた。


「の、ノックくらいしてよ!」

「したよ。それで、1人で喋ってたけどどうしたの?」

「な、なんでもない!」


 伊月は首を傾げる。「君の事考えてました」なんて口が裂けても言えない。


「そうだ浅木、突然だけど連絡先教えてよ」

「……連絡先? 随分急だね」

「実はさ、今度代表戦があるんだ。サッカーに興味ない浅木は知らないと思うけど」


 知ってる。さっきテレビで見たから。しかし捻くれた私の口はそんな他愛の無い言葉すら出せない。


「へぇ、そうなんだ。それで……なんで連絡先を交換したいの?」

「開催地がここから結構遠くてさ、数日はここへ来られなくなると思う。だから教えてよ、むこうにいる時は連絡するから」

「な、なにその理由!?」


 そんなのまるで「しばらく会えなくて寂しいから連絡する」って言ってるようなもんじゃない。

 頬を赤らめる私に伊月は両手を合わせる。


「頼むよ~ほら、あっちのお土産とかなにが良いか相談もしたいしさ」

「……わかった」

「本当か!? ありがとう!!」


 すぐに私と伊月はSNSアプリの連絡先を交換する。入院と同時にほとんどの連絡先を消した友人一覧に伊月亮介の名前が登録されると少し胸の中が暖かくなる。


「そうだ、浅木にはお菓子以外に渡したいものがあったんだ」


 伊月が鞄から何かを取り出す。綺麗に折りたたまれたおろしたての真っ青な半袖のシャツだ。


「これは?」

「今度俺が出る日本代表戦のユニフォーム! 背番号は俺!」


 受け取ったユニフォームを広げると、背中には20と書かれた上にローマ字で「IDUKI」の文字。 サイズはフリーサイズだが私の体形には少し大きそうだ。


「これを私に?」

「そう! よかったら俺の復帰戦、浅木に見ててもらいたいんだ」

「どうして私に見てもらいたいの?」

「浅木が少しでも前を向けるように! 約束するよ……俺、浅木の為に絶対ゴールを決める! それでさ、浅木も約束してくれないか? 俺がゴールを決めたら浅木は病気を治して、俺にピアノを聞かせてくれよ!」

「わ、私は……」


 伊月が私に求めているのは未来を諦めないで生きろという事。しかし今更病気と立ち向かえる勇気があるのかどうか……すぐに答えは見つからない。そんな私の手を伊月が掴んだ。


「大丈夫。浅木はきっと良くなる」

「……考えとく」

「うん!」


 伊月が満面の笑みを浮かべる。相変わらずむかつく笑顔だ。でも、胸の中は暖かいままだ。


「さてと、そろそろ空港に向かう時間だな」


 伊月が私の手を離す。少し名残惜しさを感じている今日の私はおかしい。


「伊月」

「ん?」


 「頑張ってね」と言いたい。でも言葉が喉から上に上がってこない。


「あの……その……」

「どうしたんだよ? 浅木らしくないな」

「……お土産いっぱい買ってきてね」

「それ、そんなに躊躇する言葉!?」

「うっさい! 負けたらペナルティとして3倍、勝ったらいつもの5倍は買ってきて!」

「勝った時のほうが多いのおかしいだろ!」


 伊月は笑う。そして私に背を向けた。


「浅木、それじゃあな!」

「……行ってらっしゃい」


 彼はいつものように右手を振りながら部屋を出て行った。

 

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