第15話 浄化の光、精霊の囁き
クリスタルの光は、通路の壁面を優しく照らし出し、三人の足元をぼんやりと浮かび上がらせた。先ほどの異形との激闘の痕跡は、床に残る黒い塵だけとなり、まるで悪夢だったかのように静まり返っている。しかし、三人の心には、確かに深い爪痕が残されていた。
「……瘴気が、まだ微かに残っていますね」
ルナは、周囲の空気を注意深く分析しながら、そう呟いた。彼女の言葉通り、鼻の奥をかすかに刺激するような、ねっとりとした嫌な臭いが、完全に消え去ったわけではなかった。それは、先ほどの異形の強烈な存在感を、否応なく思い出させる。
「ああ。油断はできないな」
一郎は、周囲に警戒を払いながら、短く答えた。彼の指は、再び無意識のうちに、腰の剣の柄に触れている。一度気を抜けば、再び予期せぬ脅威に襲われるかもしれない。そんな緊張感が、彼の全身を支配していた。
リリアは、二人の手をしっかりと握りしめたまま、少し不安げな表情で周囲を見回した。
「まだ、何かいるのかな……?」
彼女の問いかけには、先ほどの異形に対する恐怖と、もう二度とあんな思いをしたくないという切実な願いが込められていた。金色の光は、今はその小さな体の中に静かに息を潜めているが、いざという時には、再びその力を発揮するだろう。
「……わからない。でも、気配には注意しておこう」
ルナは、リリアの小さな手を優しく握り返しながら、そう言った。彼女の知的な瞳は、暗闇の奥をじっと見つめ、微かな変化も見逃さないように神経を研ぎ澄ませている。
三人は、再びゆっくりと歩き始めた。クリスタルの光だけが頼りの、静まり返った通路を進む。時折、どこからか水の滴る音が響き、その静寂を一層際立たせた。先ほどの激闘が嘘のように、今はただ、重苦しい静けさが辺りを包んでいる。
どれくらいの時間が経っただろうか。通路は緩やかに下り坂になり、やがて、開けた空間へと繋がった。三人の目の前に広がったのは、巨大な地下空洞だった。天井は遥か高く、無数の鍾乳石が、まるで巨大な牙のように垂れ下がっている。足元には、黒く淀んだ地下湖が広がっており、不気味な静けさを湛えていた。
そして、その地下湖の中央には、異様な光を放つ祭壇のようなものが存在していた。それは、黒曜石のような質感の岩で組まれ、表面には、見たこともない奇妙な紋様が刻まれている。祭壇の上には、禍々しい光を放つ黒い水晶のような物体が置かれており、周囲の空気をねじ曲げているように見えた。
「あれは……?」
一郎は、その異様な光景に息を呑んだ。先ほどの異形とは異なる、もっと根源的な、悪意のようなものが、その祭壇から感じられる。
ルナは、目を凝らしてその祭壇を見つめた。彼女の顔には、深い警戒の色が浮かんでいる。
「……間違いない。あれが、この遺跡の核となる部分だわ」
彼女の声は、わずかに震えていた。長年の研究で得た知識が、その祭壇の危険性を告げている。
「あの黒い水晶のようなものから、先ほどの瘴気が出ていたのか……?」
リリアは、祭壇から漂ってくる不吉な気配に、身を竦ませながら呟いた。彼女の直感は、あの物体が、この地の全ての負の感情の源であると告げている。
「おそらく……あの水晶が、この地の精霊の力を歪め、負の感情を増幅させて、あの異形を生み出したのでしょう」
ルナは、重々しく頷いた。彼女の言葉には、古代の人々が犯した過ちに対する、深い憂いが滲み出ている。
「なら、あれを破壊すれば……!」
一郎は、剣に手をかけ、祭壇へと踏み出そうとした。しかし、ルナはそれを手で制した。
「待って、一郎。섣불리 近づくのは危険よ。あの水晶には、強力な魔力が宿っているはず。下手をすれば、私たちも取り込まれてしまうかもしれない」
彼女の言葉には、冷静な分析と、深い懸念が込められている。섣불리 行動すれば、更なる悲劇を招きかねない。
その時、地下湖の水面が、不気味に波立ち始めた。黒く淀んだ水の中から、無数の影が蠢き出す。それは、先ほどの異形とはまた異なる、水棲の魔物たちの群れだった。鋭い牙を持つ巨大な顎や、ぬめぬめとした無数の触手が、暗闇の中から姿を現す。
「まずい!囲まれた!」
一郎は、剣を構え、迫り来る魔物たちに警戒した。その数は、一体や二体ではない。無数とも言えるほどの数が、三人を獲物と定め、ゆっくりと、しかし確実に包囲を狭めてくる。
「リリア、私の後ろに!」
ルナは、金属製の筒を構え、迫り来る魔物たちを睨みつけた。彼女の背後には、リリアが不安げな表情で身を寄せている。
「精霊さん……!」
リリアは、小さな両手を合わせ、心の中で精霊たちに助けを求めた。彼女の純粋な祈りは、微かな金色の光となって、その身を包み始める。
「ここは、俺が食い止める!ルナは、あの祭壇を!」
一郎は、決然とした表情で叫び、迫り来る魔物たちの群れへと単身で斬り込んだ。古代の剣が、漆黒の闇の中で、鋭い光を放つ。彼の鍛え抜かれた剣技が、次々と魔物たちの体を切り裂いていく。しかし、その数はあまりにも多い。
ルナは、一郎の勇敢な行動に応えるように、金属製の筒の先端を祭壇の黒い水晶に向けた。彼女の全身から、強大な魔力が溢れ出し、筒を通して、一点に集中していく。その瞳には、必ずあの禍々しい根源を断ち切るという、強い意志が宿っていた。
「……消え去れ!負の連鎖よ!」
ルナの叫びと共に、金属製の筒から、眩いばかりの白い光が放たれた。それは、先ほどの浄化の光よりも 더욱 強烈で、まるで太陽の光を凝縮したかのようだった。白い光は、一直線に黒い水晶へと向かい、激しく衝突する。
衝突の瞬間、地下空洞全体が激しく震動した。黒い水晶は、けたたましい音を立てて歪み、禍々しい光を 더욱 強めた。周囲の空気がビリビリと震え、目に見えない衝撃波が、三人の体を揺さぶる。
そして、ついに、黒い水晶が限界を迎えた。
「グオオオオオオオ!」
水晶が、断末魔のような叫びを上げ、内部から黒いエネルギーが奔流のように噴き出した。それは、長年 इस 地下に蓄積された、無数の憎悪と絶望の叫びだった。その強烈な負の感情の奔流は、ルナの放った浄化の光を押し戻し、彼女の体を飲み込もうとする。
「ルナさん!」
一郎は、迫り来る魔物たちを斬り払いながら、必死の叫びを上げた。しかし、黒いエネルギーの奔流はあまりにも強大で、彼がルナに近づくことさえ許さない。
その時、リリアの小さな体から放たれる金色の光が、 더욱 強さを増した。それは、ルナを包み込むように広がり、黒いエネルギーの奔流と激しくぶつかり合う。清らかな黄金の光は、黒いエネルギーを徐々に押し返し、その勢いを削いでいく。
「……ありがとう、リリア……!」
ルナは、リリアの温かい光に守られながら、最後の力を振り絞った。金属製の筒から、再び強烈な白い光が放たれ、今度は、黒いエネルギーの奔流を突き破り、黒い水晶の中心へと突き刺さった。
「キィィィィィィィ!」
黒い水晶は、悲鳴のような音を上げ、内部から亀裂が走り始める。そして、ついに、耐えきれずに粉々に砕け散った。
黒い水晶が砕け散った瞬間、地下空洞を覆っていた重苦しい悪意のようなものが、霧散するように消え去った。淀んでいた空気は очищаться し、かすかに、しかし確かに、清らかな風が吹き抜ける。地下湖の黒い水面も、穏やかな波紋を描き始め、蠢いていた魔物たちは、力を失ったように、その動きを止めた。
「……終わった……のか?」
一郎は、剣を杖のように突き立て、荒い息をつきながら、周囲を見回した。魔物たちは、まるで操り人形の糸が切れたかのように、次々と水の中に沈んでいく。
ルナは、力を使い果たし、その場に膝をついた。しかし、その表情には、達成感と安堵の色が浮かんでいる。
「ええ……おそらく。あの水晶が、全ての元凶だったのでしょう」
リリアは、二人の間に駆け寄り、心配そうにその顔を覗き込んだ。金色の光は、今は穏やかに二人の体を包み込み、その疲労を癒しているようだった。
「ルナさん、大丈夫ですか?一郎さんも、怪我はありませんか?」
彼女の優しい言葉が、二人の張り詰めていた心を、ゆっくりと解きほぐしていく。
「ああ、大丈夫だ。リリアのおかげでな」
一郎は、優しく微笑みながら、リリアの頭を撫でた。彼女の純粋な力が、窮地を救ってくれた。
ルナも、わずかに微笑み、リリアに感謝の言葉を述べた。
「ええ、本当にありがとう。あなたの光は、希望の光そのものね」
三人は、互いに支え合いながら、静かに息をついた。激しい戦いが終わり、再び訪れた静寂の中で、彼らの間には、言葉を超えた強い絆が、さらに深く結ばれていた。
祭壇があった場所には、黒い水晶の欠片が散らばっているだけだった。しかし、その空間からは、もうあの禍々しい気配は感じられない。代わりに、微かに、しかし確かに、清らかな精霊の息吹のようなものが感じられた。
「……精霊たちの声が、聞こえる……」
リリアは、目を閉じ、そっと呟いた。その表情は、安堵と喜びに満ちている。
「どんな声がするの?」
一郎が尋ねると、リリアは、優しい笑顔で答えた。
「ありがとう、って。もう苦しくないよ、って」
その言葉に、ルナと一郎の心にも、温かいものが広がった。古代の人々の負の感情に囚われ、苦しみ続けてきた精霊たちが、ようやく解放されたのだ。
クリスタルの光は、以前よりも 더욱 明るく、優しく、三人を照らしているように感じられた。それは、この地の精霊たちの感謝の光なのかもしれない。
三人は、しばしその場で静かに佇み、解放された精霊たちの息吹を感じていた。そして、再び顔を見合わせ、互いに頷き合った。彼らの冒険は、まだ終わらない。この先に、どんな困難が待ち受けているかわからない。それでも、彼らはもう、一人ではない。固い絆で結ばれた三人と、彼らを導く精霊たちの光があれば、どんな困難も乗り越えられるだろう。
新たな決意を胸に、三人は再び、クリスタルの光が照らす通路の奥へと、歩き始めた。彼らの足取りは、先ほどよりも自信に満ちていた。古代の遺跡に眠る悲しみと、遥かな未来への希望を胸に、彼らは、自分たちの信じる未来を、その手で創り上げていくために。
(第十五話完)
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