第33話 デレた令嬢と王子の葛藤

 魔炎の谷の最奥、薄暗くも灼熱は幾分和らいだ洞窟の中。

 忌々しい魔将バザルガスは、俺たちとカロリーネ自身の限界を超えた力によって、塵一つ残さずに完全に消滅した。

 洞窟内に渦巻いていた禍々しい魔力も、まるで浄化されたかのように霧散していくのが肌で感じられた。


 俺は激しく上下する肩で息をしながら、目の前でぐったりと俺の腕に支えられているカロリーネを見つめていた。


 彼女は先ほど魔将と対峙していた時の、氷の女王のような気丈な表情とは打って変わって、ひどく衰弱して憔悴しきっている。

 ボロボロに焼け焦げた服はもはや元の形を留めておらず、乱れた銀髪は汗と煤で額に張り付き、頬には乾いた涙の跡が痛々しく残っている。


 それでも彼女の持つ絶対的な気品と、ガラス細工のような繊細な美しさは少しも失われていない。

 その痛々しくも弱々しい姿が、俺の心臓を普段の恐怖による動悸とは明らかに違う種類の、妙に甘く切ないリズムでドキドキと騒がせていた。


(やべえ……マジで、綺麗だ……いや、今は綺麗って言うより可愛い……のか? ツンデレのデレが極まって弱ってる状態って、こんなに反則的な破壊力あんのかよ! 守護欲っていうか……なんかこう、胸の奥がキュッとなるような……)


 俺が内心でそんな不埒極まりないことを考え、自身の感情の揺れに戸惑っていると、カロリーネが弱々しくも芯のある凛とした声で口を開いた。


「……どうして……来てくださったのですか、殿下……?」


 彼女の美しい紫水晶のような瞳が、潤んだまま、信じられないものを見るように、不安げに揺れながら俺を真っ直ぐに見つめてくる。


「わたくしは……囚われている間、あの魔将に……囁かれ続けたのです……『貴方のその力は、旧弊に塗れた王国や、頼りない王子などに縛られるべきではない』……と。……そして、一瞬……ほんの一瞬だけ、その言葉に……心が揺らいでしまった……わたくしはなんと弱い人間なのでしょう」


 彼女は自身の弱さを告白するように俯き、震える声で言葉を続けた。


「完璧であらねばならぬと、母に、そう教えられてきたこの身が、これほどの醜態を晒してしまいました。グランツ家の名誉を汚し……貴方様のご期待をも裏切ってしまいましたわ。……もはや、わたくしには生きている資格も、ましてや……貴方様のお傍に立つ資格など……ございませんのに……」


 震える声で、彼女は懺悔するように自らを責め立てる。

 その瞳には拭いきれない深い後悔と、自己嫌悪、そして絶望の色が痛々しく浮かんでいた。


 母親から『完璧でなければ無価値』と、まるで呪いのように刷り込まれてきた過去のトラウマが、今、彼女の心を再び深く蝕んでいるのだろう。

 魔族に唆され、ほんの一瞬でも心が揺らいでしまった自分自身を、彼女はどうしても許せずにいるのだ。


 その、あまりにも痛々しい自己否定の言葉を聞いて、俺は……柄にもなく、腹の底からカッとなった。

 計算とか、打算とか、そんなものは全部吹っ飛んでいた。


「馬鹿野郎!」


 俺は思わず、洞窟全体に響き渡るほどの大声を上げていた。

 驚いたカロリーネの華奢な肩がビクリと跳ねる。

 近くで俺たちの様子を見守っていた仲間たちも息を呑んだのがわかった。リリアナあたりは完全にビビって、ルシアンの後ろに隠れている。


「資格がねえだと? 生きてる資格がねえ人間なんて、この世界……いや、どの世界にもいるわけねえだろ! ふざけたこと言ってんじゃねえ!」


 俺はカロリーネの肩を掴み、彼女の潤んだ瞳を真っ直ぐに見据えて、荒々しくも真剣な口調で言い放った。


「いいか、カロリーネ! 弱音を吐いたっていい! 迷ったっていい! 完璧じゃなくたって、間違ったって、それでいいんだよ! 人間なんだから当たり前だろ! ちょっと心が揺らいだくらいでグダグダ言ってんじゃねえ! 生きてさえいりゃ、何度だってやり直せる! 立ち上がれるんだよ! それに……」


 俺はそこで一度言葉を切り、ニヤリと、いつもの人を食ったような自嘲的な笑みをわざと浮かべてみせた。


「この俺を見てみろよ。卑怯で、ずる賢くて、セコくて、おまけに肝心な時に火花しか出せねえ、正真正銘のクソザコ王子だぞ? 騎士団からは白い目で見られ、親父には『廃嫡も考える』とか脅され、仲間からはしょっちゅう呆れられ、内心じゃ『使えないヘタレ王子』って罵られてるかもしれねえ。お前が言う『資格』ってやつなら、俺の方がよっぽどねえんじゃねえか⁉」


 俺は自嘲気味に己の情けなさを笑い飛ばしてやった。


「でもな、それでも俺は死にたくねえから、必死こいて生きてんだよ! どんな汚い手を使っても、泥水をすすってでも、足掻いて、足掻いて、絶対に生き延びてやるってな! ……お前も本当はそうなんだろ? カロリーネ。生きたいんだろ? だったら、過去の母親の呪いだかトラウマだか知らねえが、そんなもんに縛られて、ごちゃごちゃうじうじ言ってんじゃねえよ! シャキッとしやがれ! このプライドだけは高い氷の女王様が!」


 俺のお世辞にも優雅とは程遠い、むしろ乱暴で下品極まりないが偽りのない励ましの言葉。

 それを真正面から浴びせられて、カロリーネはただ、ぽかんと間の抜けた顔で俺を見つめていた。

 その美しい紫の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれている。


 周囲の仲間たちも、俺のあまりの言いように完全に固まっていた。


(俺が炎獄の裁きインフェルノ・ジャッジメントを使えねえの、これで完全にバレたか……まあ、いいか。今さらだ。こいつらに失望されるのは……少し嫌だけど)


 チラリと仲間を見ると、ガレスは「お、王子……かっけえ……マジかっけえ……」と感動して涙ぐんでいる。

 ヴィンスは冷静な顔で何かをノートにメモしている。

 ルシアンとリリアナは呆気にとられながらも、どこか納得したような表情。

 カイルは「アレクシス様……! やはり貴方様は!」と感極まって打ち震えている。

 そしてマリエッタは肩を震わせて、必死に笑いを堪えていた。……後で覚えてろよ。


 やがて、カロリーネの美しい紫の瞳から、再び、ポロポロと大粒の涙が止めどなく溢れ出した。

 それは、さっきまでの後悔や絶望の涙とは明らかに違う、まるで心の奥底に張り詰めていた氷が、春の日差しを受けて溶け出し、流れ出すかのような、温かくて解放されたような綺麗な涙に見えた。


「……で、殿下……そ、そんな……乱暴な……お、お言葉……ひ、卑怯すぎますわ……だって、そんな風に……言われたら……わたくし……わたくしは……うっ……うぅ……ひっく……」


 彼女は言葉にならない嗚咽を漏らしながら、俺の胸に顔をうずめ、子供のようにすがりついてきたのだ!


「⁉」


 予想外すぎる、あまりにも無防備な行動に、俺は完全に思考停止して全身が硬直した。


 え? えっ⁉ な、なにこれ? 俺、今、あの常に完璧であろうとしていた、プライドの塊みたいな悪役令嬢カロリーネ・フォン・グランツに、泣きながら抱きつかれてる⁉


「お、おい! カロリーネ! 大丈夫かよ⁉ 落ち着けって! もう大丈夫だから、な?」


 俺は狼狽して、彼女の華奢な背中をどう扱っていいかわからず、ぎこちなく支えようとする。

 けれど彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、これまでの苦しみや孤独を吐き出すかのように、ただただ泣き続けた。

 温かくて柔らかい感触と、彼女のか細い震えが俺の胸にダイレクトに伝わってくる。

 乱れた銀色の髪が俺の首筋をくすぐり、彼女から発せられる甘い香りが鼻腔をかすめる。


 ……や、やべえ……! これは、色々と、本当に、ヤバい……!


 俺の心臓は驚くほど心地よくドキドキと高鳴っていた。

 顔が自分でもわかるほど、カッと熱くなるのを感じる。自分の気持ちに、もう嘘はつけない。


(ツ、ツンデレが……デレて、泣きながら、抱きついてくる……だと⁉ こ、こんな破壊力抜群のコンボがあっていいのか⁉ 反則だろ! 可愛すぎる! このまま、思いっきり抱きしめ……いやいやいや! 落ち着け俺! これは罠だ! きっとカロリーネが仕掛けた巧妙なトラップに違いない! そうでも考えなければ、俺のなけなしの理性が持たない!)


 俺が内心で激しく葛藤し、混乱の極みに達していると、俺の脳内で眩いばかりの祝福の光と共にファンファーレと警告音のようにも聞こえる幻聴が鳴り響き、光と闇が渦巻くような激しいエフェクトと共に文字が浮かび上がった!


 カロリーネ・フォン・グランツ好感度100(MAX)【献身】【恋心】【警告! 指導】


(キ、キターーーーーーーー! 【恋心】だと⁉ MAXだと⁉ よっしゃあああああ! ゲームの破滅フラグ完全回避! これぞ俺の知略と、男気(?)の完全勝利だ! ……ん?【警告! 指導】……? なんだこれ? しかも警告付きって……まあ、いい! 今はこの勝利を噛みしめよう!)


 俺は安堵と達成感、一抹の無視できない不安感はとりあえず脇に置いて、内心で狂喜乱舞のガッツポーズを決めた。

 ……まあ、顔が茹でダコみたいに真っ赤になっているのは、薄暗い洞窟の中だし仲間たちにはバレていないと信じたい。特にマリエッタには。


「……ったく、しょうがねえお姫様だな」


 俺は最大限の照れ隠しを込めつつ、今度はぎこちなくも優しく、カロリーネの震える背中をポンポンと軽く叩いてやった。


「もう大丈夫だ。魔将も倒したし、俺たちがちゃんと付いてる。だから、今は……ゆっくり休め」


 カロリーネは俺の胸の中で、安心したように小さく頷いたようだった。


 こうして俺たちは、まだ衰弱しきっているカロリーネを仲間たちで交代で支えながら、忌まわしき魔炎の谷を後にした。

 帰り道は行きの過酷な道のりが嘘のように、穏やかで和やかな雰囲気に包まれていた。

 時折聞こえる、仲間たちの安堵の笑い声が今は心地よくすら感じられた。


 ヴィンスは今後の対策について早くも考察を始め、ガレスは今回の勝利を興奮気味に語り、ルシアンとリリアナは傷ついた仲間(主に火傷だらけのカイル)の手当てに余念がなく、カイルは満身創痍ながらも幸せそうな顔で俺を見守っている。


 俺は仲間たちに支えられて隣を歩くカロリーネの、少し赤い目元と時折俺に向ける熱っぽい、潤んだ視線を盗み見ては、どこか浮かれている自分を自覚せずにはいられなかった。


(……俺のやり方で、またしても仲間を危険に晒しちまったのは事実だ。俺自身の力不足も痛感した。でも結果的にカロリーネを無事に助け出すことができた。誰も死ななかった。……そうだ、やっぱり、これが俺の勝ち方なんだ。卑怯でも、泥臭くても、仲間と共に足掻いて勝利を掴む)


 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。

 勝利の味は以前とは違って感じられた。

 ただ生き残ったという安堵感だけではない。

 仲間を守り抜けたことへの達成感。

 そして……カロリーネという1人の女性に対する、もう誤魔化しようのない、温かくて、少しだけ苦しいような、特別な感情が俺の胸の中を満たしていたのだ。

 この感情が今後の俺の行動をどう変えていくのか、今はまだわからない。


(……まあ、たまには、こういう後味の良い勝利も悪くねえか。……悪くない、どころじゃないな。最高だ)


 俺は魔炎の谷から吹き付けてくる、乾いた風を背に受けながら、少しだけ、本当に少しだけ自分でも驚くほど優しい、照れたような笑顔を浮かべた気がした。

 空はいつの間にか赤黒い不吉な色から、夜明け前の淡い紫色へと変わり始めていた。

 

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