第8話 明朝、廃都は唸る①

──かつて、蒼穹の森に囲まれた国があった。


 その国は、かつて人間との抗争に敗れ、滅びかけたエルフたち──碧眼の民が、流された血と屍の上にようやく築き上げた、最後の安息の地。


 豊かな魔力に満ち、四季は静かに巡り、森は歌い、風は囁いた。


 誰もが夢見たはずだった、争いのない未来。

 その理想郷の中で、ひとりの異端が産声を上げる。


 赤い瞳を持つ少女だった。

 それは、碧眼の民にとって不吉の象徴。


 彼女の瞳は、かつて自分たちを滅ぼしかけた人間たちの血を連想させるとして、誰からもその存在を忌まれた。


 少女が与えられたのは、広大な図書館の片隅──光も差さぬ、ほこりにまみれた閉ざされた部屋だった。


 本だけが、彼女の友だった。

 その細い指でページをめくり、無数の知識を貪るように吸収した。

 

 魔術、歴史、言語、神話。

 理解するほどに、少女の中で問いが芽吹く。


 ──なぜ、自分は生まれてはいけなかったのか。

 ──なぜ、この世界は、見た目ひとつで命の価値を決めるのか。

 ──なぜ、世界はこんなにも不平等なのか。


 そして、ある日、少女は決意した。


「こんなところで終わるのなら、私は世界を変える側になる」


 それは、ただの幼い反抗ではなかった。

 世界に対する真っ直ぐな怒りであり、宣言だった。


 彼女は扉を蹴破った。

 誰の許しも要らないと、檻の中から飛び出した。

 その瞳に、かつてない光を宿して。


 旅の果てに辿り着いたのは、人間たちの王国だった。

 奇異の目を向けられながらも、彼女の持つ魔術の才はすぐに周囲を黙らせた。


 やがて、彼の王国の魔導庁という新たな居場所を見つけることとなる。


 そこは国家権力の心臓であり、あらゆる魔術の理論と実践が集う場所。

 少女は、あっけなくそこへと籍を置くことができた。

 疎まれることはなく、むしろ歓迎すらされた。


 それからたった数年で、彼女は庁長の地位に上り詰めた。

 その頭脳と閃きを活かして、数多の新術式を確立し、世界最大と謳われる魔導都市の発展を支えた。


 やがて民は彼女を『天才』と讃えた。

 彼女の異端は、才能によって許されていたのである。

 彼女は自らの足で歩き、確かに世界を変え始めていた。





 ──だが。


 その頂点に立った者が見た景色は、決して穏やかではなかった。

 さらなる高みを求めた彼女は、禁じられた領域へと手を伸ばした。

 

 空間転移の応用実験。次元を超える装置の開発。


 それらによって引き起こされたのは──発展都市 未曾有の実験事故。


 多くの市民が巻き込まれ、命を落とした。

 王都は混乱し、魔導庁は分裂し、かつて彼女を讃えていた人々は掌を返すように彼女を糾弾した。


 異端児は、再び追われる身となった。

 かつての故郷と同じように。


 


 ──それでも、彼女の瞳は曇らない。


 過去に背を向けず、罪も嘆きも抱いたまま、彼女は、歩みを止めない。

 紅き異端は、今日もその焔を絶やさぬままに──白銀都市へと辿り着く。




◆◆◆◆

 



 ──夜明け前、予定通りに作戦は開始された。


 南部のポイントに、エル率いる北西攻略部隊。

 北西部──封鎖層のある最大の魔力の発生源には、タクトとルークの二人が向かっている。


 そして、出発点から最も近い東部のポイントには、紅眼閃く長耳の女──ジオ率いる東部攻略部隊が既に到着していた。

  

 彼女らの戦場は、苔むした高層建築が立ち並び瓦礫が折り重なる廃都の地。

 そこに発生していたのは、無数の赤翼獣ガーゴイルであった。

 

 丸刈りの仲間の一人が、一体のガーゴイルの右翼を投擲槍で穿つ。


「ジオの姐さん!」

「わかってるわ」


 

 ──刹那、空を裂く雷光が地上に炎の輪を描いた。

 火薬ではない。純魔力による誘爆現象によるものだ。

 大地を抉る魔法の砲撃は一体のガーゴイルを一撃で焦がす。


 「数だけは多いわね、まったく……」


 ジオ・シルヴァは苦笑しながら、靴裏で廃都の地面を踏みしめた。

 小さく息を吐くと、長杖の底を地面へ突き立てる。


 「火焔術式フレイム コード──四重展開」


 空気が、光った。

 彼女の周囲に現れたのは、真紅の魔法陣。

 重なり、回転し、次元を裂くように輝きを増す。



 「四重クアッド炎獄陣式イグニッション!」


 

 

 ──劈く爆裂音と共に、地面が燃え上がった。

 炎柱がガーゴイルを次々と包み込む。悲鳴を上げる暇もなく焼かれ、灰となって崩れていく。

 しかし、それでもなお──生き残った個体が、深い火傷を負いながらも唸りを上げて突撃してくる。


「はぁ……まとめて焼いたと思ったんだけど」


 ジオの足元に深緑の魔法陣が一閃する。

 それを合図に、彼女の背後から大口を開けながら突っ込んでくる別の個体。

 ジオは、視線だけで察知して振り返らずに手を上げる。


空間術式ゾーン コード逆位転写リフレクト シフト


 ジオの掌がわずかに輝いた、その瞬間──世界が、ぐにゃりと歪んだ。


 時間が一拍だけ止まったかのような静寂の中、空間そのものがねじれ、引きちぎれ、破片のように互いの位置を交換した。


 次の瞬間、ガーゴイルは何が起きたかもわからぬまま地面へと叩きつけられた。

 対して、入れ替わったジオは宙を舞い、高所からの視線で戦況を一瞥する余裕すら見せた。


 指先から、紅い閃光が迸る。

 一撃。放たれた雷弾が、ガーゴイルの心臓を穿ち、黒煙を上げて爆ぜた。


 ──静寂。

 焼けた風が吹き抜ける中、彼女は肩で息を吐いた。


(……まだ感覚が鈍ってる。いつもならあの一撃でやれたはずなのになぁ)


「姐さんの魔法、やっぱやべえっすね……」

「可哀想になってくるッス……」

「鬼畜エルフ……」


仲間の一団は、あちこちに転がるガーゴイルの死体を見て口々に感想を口にした。


「あんたらねぇ──……!」


ジオは、溜息混じりに睨みを効かせながらも、どこか呆れたように口元を緩める。


「気を抜くんじゃないよ。今のは前座──あの音、聞こえなかった?」


 仲間たちは一斉に沈黙し、耳をすませる。


 ……ズゥゥ……ン。


 遠く、地の底から呻くような、重い振動音。

 瓦礫の隙間から、灰を巻き上げて揺れる地面。

 空に舞う羽音が止み、気配が……変わった。


「……これからが本番」


 ジオが呟いてから数舜。

 東部の一帯で最も大きな建造物である大聖堂跡地から、黒い影が姿を現した。


 それは、他のガーゴイルとは一線を画す巨体。

 漆黒の翼は岩のように分厚く、表面には罅割れたような赤い紋が幾重にも刻まれている。

 両の腕は異様に長く、まるで蛇のように地を這い、裂けた顎からは禍々しい瘴気が漏れていた。


 その存在感に、仲間の数人が思わず後ずさる。


「……あれ、なんスか……?」

「ガーゴイルじゃねえ……あんなの見たことない……」


 ジオは黙ったまま、杖を握り直す。


(魔力反応が増幅──ってことは、あれが異常発生の原因の一つかしら……厄介なやつが潜んでいたようね)


「カァァァァァァ!!」


 巨大な影は耳を突くほど甲高く咆哮した。

 地を砕く跳躍と共に、空から巨大な影が強襲する。


「避け──!」


 焦りが滲んだジオが叫ぶよりも早く、仲間たちは建造物の内側に避難していた。


「姐さん!こっちは避難完了してるッス!」

「存分にぶちかましてくださいよ!」


(全く、逃げ足が速いわね。こいつらは──!)



 ──刹那、黒い巨体が地面を叩きつけた。

 土煙と破片が吹き飛び、廃墟の一角が音を立てて崩れる。


 だがその爆風の中──ジオだけは、寸分違わず跳躍していた。

 彼女は宙を舞い、風を受けて回転しながら、己の魔力を収束させる。


「……こっちの番よ」


 瞳が燃えるように紅く輝く。

 高空で、ジオの指先に六重の魔法陣が一斉に開花した。


 「──六重連結式魔砲陣ヘキサ・ブラストライン


 回転する六つの陣が共鳴し、中心に一点の紅雷を収束する。

 周囲の風が凍りつくほどの圧縮魔力。


 指先から放たれた魔雷は、一直線に巨体を貫いた。

 空間が破れ、周囲の瓦礫すら巻き込んで崩れ去る。


 直撃の閃光が晴れたとき、そこに立っていたのは──焼け焦げた黒い巨体。


 しかし──まだ、動いていた。

 半壊した肉体を引きずりながら、断末魔のような唸り声をあげる。


「やっぱり……あれだけじゃ、仕留めきれないか」


 だが、その背後から別の声が届いた。


「ジオさん、下がっていてください──」


 若い男の声。

 その直後、ジオの横を、漆黒の矢が風を裂いて飛び抜ける。


 矢はその巨大なガーゴイルの眉間に突き立った。

 一瞬、魔力が逆流するような脈動──そして。


 矢が突き立った眉間が、轟音を伴って爆裂する。

 黒煙が空へ昇り、黒い巨体は唸る。


 ジオが振り向くと、そこには──無骨な弓を手にした長耳の少年。

 灰色の外套を羽織った、無表情の青年がいた。


「……あんた、また勝手についてきたの?」

「命令は聞いてませんでしたから」


 少年は無感情にそう返し、もう一本の矢を番えた。


 ジオはため息をつく。

 だがその唇には、わずかな笑みが浮かんでいた。


「ほんと……どうしようもないわね、あんた」

「まあ、あなたの一味ですし」


 ──廃都の曇った空の下、紅眼の魔術師と灰色の狙撃手が並び立つ。


「あれ、かなり硬いですね。六重展開ヘキサと俺の矢を受けても、まだ息がある」

「……ええ、全くもって──」








「──丁度いい……!」

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