第13話 欠けた記録

 ナイ課に、いつもの朝が訪れていた。


 俺は机に向かい、昨日のログ整理をしていた。

 分類された情報を確認し、ラベルの再点検をしながら、ふと手が止まる。


「……あれ?」


 背後から聞こえたミカの声が、妙に小さくて、逆に耳に残った。


「どうかしました?」


「ううん……ちょっと待って。なんか変」


 ミカは端末をタップしながら、眉をひそめていた。


「過去のログ、たしかNo.014……

 2ヶ月前に私と晴真で対応した分類案件、あったよね?」


「……はい。たしか“音を記録できない空間”の調査でしたよね」


「そう、それ」


 ミカは画面を見つめながら、口を引き結ぶ。


「ログ、消えてる」


「……え?」


「分類記録も、音声ファイルも、現場写真も、全部。

 そもそも“存在した痕跡”が残ってない」


 ミカの指が震える。


「これ、ただの削除じゃない。“記録そのもの”が初めからなかったみたいに――」


 ***


「おーい、なにごと?」


 昼過ぎ。

 九重が缶コーヒー片手にソファから声をかけてきた。


「システムトラブルじゃなさそうなんだよね。

 消された形跡もない。アクセスログもゼロ。

 なのに“存在しない案件”として処理されてる」


「ふうん。で、晴真の手帳には残ってる?」


「……確認してみます」


 俺はページをめくり、分類No.014を探す。


 No.013。

 No.015。


 ……ない。


「……消えてる」


「まさか手帳ごと消えるなんてね。

 セレクターがいじった?」


「監査記録には何もないですね」


 ミカが即答した。


 九重は一口、缶を傾けてから言った。


「ま、何かしらあるんだろうね。

 “記録できない現象”よりも、“記録が消える現象”の方が、よっぽど厄介だよ」


 ***


「……覚えてる」


 夕方、一条がぽつりと呟いた。


 全員が、一斉に彼の方を見る。


「覚えてるんですか?」


「……2ヶ月前の任務。

 現場は、地下構造の一角。

 音が吸い込まれるように消えてた。

 ミカが“これは記録できない異能じゃなくて、記録を嫌がってる”って言ってた」


 ミカが、思わず息をのむ。


「……私、そんなこと言った?」


「言ってた」


「うわ、なんで覚えてんの……」


「……自分でも、分からない。

 でも、印象が強かったんだと思う」


 俺の胸に、何かが刺さる。


(“記録に残らなかった言葉”を、

 覚えている人がいる)


「……じゃあ、もしかして」


 俺は小さく呟いた。


「この“消えた分類”って……

 “記録されなかった”んじゃなくて、“記録が否定された”?

 存在を、何かに“上書きされた”?」


 誰かの手によって、でもなく。

 何かの意志によってでもなく。

 もっと大きくて、もっと冷たい、“分類の外”から――


 ***


 その日の夜。


 手帳を開いた俺のページに、明らかに何もない部分があった。


 白紙。


 そこだけ、ぽっかりと“抜け落ちていた”。


 なのに、指先でなぞると、ほんのわずかに――熱を持っている。


(存在は、したんだ)


(でも、それを“名づけること”が、許されなかった)


 手帳を閉じた瞬間。


 端末に通知が届いた。


【記録管理システム:通知】

 該当記録者に関する再監査が申請されました。

 審査ユニット:セレクター


 画面の下に、赤い文字が浮かんでいた。


【判定対象:観測者の“定着性”】


「……俺の定着性?」


 何の冗談だ。


 分類をしているのは俺だ。

 存在を定義しているのは、俺の記録だ。


 なのに――


(俺の“存在”が、定着していない?)


 誰かの記録から、自分が“消される”予感がした。


 ***


 翌朝。

 ミカが先にナイ課に入っていた。


「……セレクター、動いてるね。

 昨日のログ、再精査入ってる」


「やっぱり……」


「でも、私の記憶には、ちゃんと残ってるよ。

 あの現場で一緒に見た空間も、音が吸い込まれた壁も。

 晴真がつけた名前も――ちゃんと、覚えてる」


 その声が、胸に染みた。


「ありがとう、ございます」


 ミカはふっと笑う。


「記録って、媒体に残すものだけじゃないでしょ。

 ちゃんと、“人”にも残るんだよ」


 ***


 その夜。


 ページの端に、小さな付箋が貼ってあった。


 字は、たぶん一条のものだった。


【誰かが覚えていれば、

 それはきっと“在る”ってことなんだと思う】


 俺はその下に、ゆっくりと言葉を綴る。


【記録:No.014】

【分類名:未確定】

【属性:抹消干渉/記録抵抗】

【備考:記録者の存在ごと、分類対象から除外されかけた】

【記録者:瀬野晴真】


 手帳のページが、静かに光を宿した。


 それは、誰にも消せない“再分類” だった。

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