付き合ってないのにヒロインムーブがすぎる
明丸 丹一
第1話 君はヒロイン
春。校庭の桜が満開になり、新学期の始まりを祝福しているかのように舞っていた。高校二年生になった桜井春人は、新しいクラスの名簿に自分の名前を見つけ、少し緊張しながら教室へと足を踏み入れる。
教室にはすでに半数ほどの生徒が着席しており、見知った顔もちらほらある。春人は教室後方の自分の席に鞄を置き、一息ついた。「よし、今年も頑張るぞ」と心の中で意気込んだその時だった。
「桜井君、おはよう! 今年から同じクラスだねっ!」
明るい声に顔を上げると、目の前にはクラスメイトの橘ひかりが笑顔で立っていた。柔らかな茶色の髪が春の日差しにきらめき、大きな瞳がまっすぐこちらを見つめている。
橘ひかり――一年生の時に他クラスながら学年中で有名だった美少女だ。成績優秀、スポーツ万能、人当たりも良いと評判の彼女が、なぜか自分に話しかけてきたことで春人は少し戸惑った。
「お、おはよう、橘さん。」
「橘さんじゃなくて、ひかりでいいよ! よろしくね、春人君♪」
突然のファーストネーム呼びに春人は思わず赤面する。今日会ったばかりのはずなのに、この距離感は一体…? そもそも彼女と親しく言葉を交わすのは初めてだ。春人は困惑しつつも、「あ、ああ、よろしく…」とぎこちなく返した。
ひかりは嬉しそうに微笑むと、春人の隣の席に自分の鞄を下ろした。席替えで偶然隣同士になったのだろうか? 春人は心臓の鼓動が少し速くなるのを感じながら、ちらりとひかりを見る。彼女はこちらに向かってにこにこと微笑んでいた。 その後、新担任の教師が入ってきて簡単な挨拶が始まった。春人は気を引き締め前を向く。しかし、自己紹介や年間行事の説明もそこそこに、担任教師はクラス委員の選出に話題を移した。
「それでは、今年度のクラス委員を決めたいと思います。立候補したい人はいますか?」
一瞬の静寂。誰も進んで手を挙げようとはしない。毎年のことながら、クラス委員は責任も重く面倒だと敬遠されがちだ。春人もできれば関わりたくないと息をひそめていた。ところが――。
「はい! 桜井春人君と私、橘ひかりが立候補します!」
静寂を破ったのは、隣に座るひかりの澄んだ声だった。春人は驚いて隣を見る。ひかりは元気よく手を挙げている。もちろん春人本人は手など挙げていない。目が合うと、ひかりは「任せて♪」と言わんばかりにウインクしてきた。
「え、ちょ、ちょっと待って! 僕は――」
突然自分の名前を出され、春人は慌てて声を上げる。
しかし教師は「お、助かるよ。桜井君と橘さんがやってくれるのか。二人ともよろしく頼む」と満足げに頷いてしまった。
周囲からは「助かったー」と安堵の息や、ひかりに向けて「さすが橘さん!」などのひそひそ声が聞こえる。完全に既成事実にされてしまい、春人は席に座ったまま固まった。
結局、反対する間もなく春人はクラス委員に任命され、しかも相方は橘ひかりとなってしまった。状況についていけず唖然とする春人に、ひかりが身を乗り出して小声で囁く。
「春人君、一緒に頑張ろうね♪」
「い、いや、頑張るも何も…僕は了承した覚えは…」
「細かいことは気にしないの!」
ひかりは悪戯っぽく笑って、にっこりと親指を立ててみせる。その無邪気な笑顔に、春人はそれ以上強く言い返すことができなかった。
こうして思いがけず始まった橘ひかりとのクラス委員コンビ。放課後、早速二人でホームルーム後の教室に残り、今後の打ち合わせをすることになった。
教室に残ったのは春人とひかりだけになっている。窓から差し込む午後の日差しが黒板を照らし、静かな空間に二人きりという状況に、春人は妙に落ち着かなくなっていた。斜め前の席に座るひかりがノートを開きながら口を開く。
「それじゃあ、一年間よろしくね、相棒!」
「…えっと、よろしく。」
相棒という響きに春人はくすぐったいような、気恥ずかしいような心地になった。ひかりはにこにこと楽しそうだ。
「まずは年間行事の把握とクラスメイトへのアンケートかな。春人君はこういうの得意?」
「いや、特別得意ってわけじゃ…でも、やるからには頑張るよ。」
「ふふ、頼もしい♪ 私も全力でサポートするからね!」
ひかりに元気よく言われ、春人も自然と笑みがこぼれる。不思議なものだ。朝は突然巻き込まれて戸惑ったが、彼女の明るさに引っ張られているうちに、嫌な気持ちはしなくなっていた。
それどころか、こんな風に可愛い女の子と二人きりで相談事をする状況に、内心ドキドキしている自分がいる。春人はひかりに気づかれないよう、密かに深呼吸した。
「じゃあ今日は手始めに、クラスのみんなに配る自己紹介アンケートを作ろっか!」
「ああ、そうだね。」
二人は机を並べ、ノートにどんな項目を設けるか書き出し始めた。ひかりが身を乗り出してくる度に、春人はふわりといい香りが鼻をくすぐるのを感じ、ますます意識してしまう。
しばらくしてアンケート項目がひと通り決まると、ひかりは「次はこれをパソコンで清書しないとね」と言った。
「あ、じゃあ僕がパソコン室で作ってプリントアウトしてくるよ。」
「ううん、ここは私に任せて♪ 春人君はちょっと待ってて。」
ひかりは立ち上がると、軽やかな足取りで教室を出て行った。春人は残ってノートを見直しながら、今日一日の出来事に思いを巡らせる。
(橘さん…じゃなくて、ひかりさんか。どうして僕なんかにこんなによくしてくれるんだろう?)
不意に舞い込んできた彼女との交流を思い返し、春人は首をひねった。人気者の彼女と自分では接点もなかったはずだ。それなのに、彼女は初対面の朝から友達以上恋人未満みたいな距離の詰め方をしてくる。
考えても答えは出ず、春人はひとつ息を吐いた。そろそろひかりが戻ってくる頃だろうか。校舎の廊下を行き交う人の気配もほとんどなくなっている。静まり返った教室で、一人待つ時間が妙に長く感じられた。
数分して、教室の扉がガラリと開いた。戻ってきたひかりは手に紙の束を抱えている。「できたよー!」と元気よく声をかけながら春人のもとへ駆け寄ってきた。
「わあ、もうプリントできたんだ。早いね。」
「うん! 学校のプリンタって意外と早いんだねー。それより見て見て、このアンケート表!」
二人で作成したアンケート用紙には、クラスメイトに訊ねる質問が箇条書きにされている。「好きな食べ物は?」「休日の過ごし方は?」など定番の項目に混ざって、ひかりが提案した「今年中にやりたいことは?」という問いもあった。
「ばっちりだね。ありがと、橘…じゃなくて、ひかりさん。」
「ふふっ、どういたしまして!」
ひかりが満足そうに胸を張る。それにつられて春人も笑みを返した。
そのときだった。ひかりが抱えていたプリントの一枚がふっと風に乗って床に舞い落ちた。「あっ」と声を上げ、春人はそれを拾おうとかがみ込む。 その時、天井裏から「がさり」と物音がした。春人は思わず動きを止めた。
今の音は何だろう? 教室には自分たち以外誰もいないはずだ。古い校舎だから木材がきしんだだけかもしれないが…。
「どうかした?」
「え、いや…今、上から音が聞こえたような…」
春人が天井付近に視線をやると、ひかりもつられて見上げた。だが、そこにはいつもと変わらぬ白い天井板があるだけだ。ひかりは小首をかしげ、「気のせいじゃない?」と笑った。
「そっか…そうだよな。」
春人も苦笑して首を振った。ひかりからプリントを受け取り、紙を揃えて机に置く。 最後に少しだけ妙な出来事があったものの、アンケート作成は順調に終わった。
帰り際、ひかりは「一緒に下校しよっか」と言い、春人と肩を並べて昇降口へ向かった。 校門を出てしばらく歩くと、夕方の風が心地よい。隣を歩くひかりが楽しげに今日の出来事を話し始めた。
「今日は本当にありがとね、春人君。クラス委員お願いしちゃって」
「いや、僕の方こそ…正直驚いたけど。でもひかりさんと一緒なら、まあ何とか頑張れそうかな。」
「あはは、頼りにしてるからね〜?」
冗談めかしてウインクするひかりに、春人は思わず照れて視線を逸らす。こうしているとまるで本当に仲の良い彼氏彼女のようじゃないか…そんな考えが頭をよぎり、慌てて打ち消した。
二人は途中まで同じ道を歩いた。ひかりの家は学校とは逆方向らしいが、「少しくらい遠回りしても送り届けます!」と彼女が宣言し、春人の自宅近くまでついて来てくれたのだった。まるでボディーガードか執事のような物言いに春人は笑ったが、同時に「そこまでするのか?」と不思議にも思った。
「それじゃ、ここまでで大丈夫だよ。ありがとう、ひかりさん。」
「ううん、どういたしまして! じゃあまた明日ね、春人君♪」
ひかりは名残惜しそうに手を振り、夕暮れの道を引き返して行く。春人はその後ろ姿を見送りながら、一日の出来事を思い返した。 朝いきなりクラス委員に指名され、放課後は一緒に仕事をこなして、挙句家の近くまで送ってもらうことになるなんて。めまぐるしい展開だったが、不思議と嫌な気持ちはない。むしろ、胸の奥が少しくすぐったい。
(僕たち、付き合ってないのに、なんだか恋人みたいだな…)
ふと、そんな考えが浮かび、春人は一人赤くなった。違う違う、と頭を振る。ひかりが親切で世話焼きなだけだ。勘違いしてはいけない、と自分に言い聞かせる。
自宅に帰り着き、玄関の扉を開ける前にもう一度背後を振り返る。すでにひかりの姿は見えない。沈みゆく夕日の中、静かな住宅街が広がるだけだった。春人は軽く息を吐くと、扉を開けて中に入った。
「ただいま。」
「あら、おかえりなさい。今日は随分遅かったのね。」
リビングから母親の声が返ってくる。春人は靴を脱ぎながら「ちょっとクラスの仕事でね」と答えた。自分でも驚くほど自然な声だった。
一日で色々なことがあったが、悪くない新学期のスタートかもしれない。春人はそう思いながら、上着をハンガーにかけた。
その時、テレビのニュースから聞き慣れない単語が飛び込んできた。
「…本日未明、市内の撮影スタジオで照明機材が落下する事故があり…」
何気なく耳に入ったニュースの一節に、春人はハッとしてテレビの方を見た。しかし画面には天気予報が映っているだけだ。撮影スタジオでの事故? それは先ほど教室で聞いた物音と何か関係が…? 春人は首を振って苦笑した。考えすぎだろう。学校でのちょっとした物音とテレビの事故報道を結びつけるなんて、自分は疲れているのかもしれない。そう自分に言い聞かせ、春人はリビングを後にした。
この時の春人はまだ知らない――彼の日常が、常識では測れない特別な舞台の上で営まれていることを。
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