拾四ノ舞

「おぉ……ハイテクだ」

 お師さんの屋敷は基本どこも昔ながらの古い建物だったが、お手洗いと、この浴室だけは、どこぞのホテルのように改装されていて、特に風呂場は何ともアバンギャルドなものだった。

 どこかアバンギャルドかというと、天井にシャワーの吹き出し口があるのだ。勿論、ホースのついたシャワーもあるのだが、これまたお洒落なボタンを押すと天井から玉のようなお湯が降り注いでびっくりだ。

 風呂好きの俺は興奮した。ダークブラウンの壁がまぁお洒落なことで、バーンとデカい鏡も壮観だ。思わず頭上のシャワーを浴びながら、腕組みをして自分の姿を眺める。

 ――毎日入りたいお風呂ランキング2位だな。

 一位は勿論、銭湯なのだが、この浴室はぶっちぎりでいい。大きい風呂は自然とテンションが上がる。湯船に浸かるのも楽しみだ。

 ――でも、一応居候の身としては……後の方がよかったか?

 明日からは、後に入るようお願いしてみよう。今日は、体だけ洗うだけにしておいた方がよいかもしれない。

「ふぅ……」

 俺は立ったまま合掌し、さながら修行僧のようにシャワーを浴びながら、息を吐いた。

 ――疲れたな……

 初日だというのに、もう何日も繰り返したような、そんな気がした。それだけ、この場所に馴染んでいるということだ。

 それに早速のVSから、長所、短所と的確な指摘を受けた。それを改善していかなければならない。

「将の将棋にアイギスの盾ね……」

 お師さんは課題を出すと言ってくれたが、自分でも意識して取り組まなければならない。アイギスの盾は考えの転換で応用が利く。相手の攻め駒に『詰めろ』を掛ける意識、プラス玉の防御を加えればいい。やはり、詰将棋を繰り返すことで応用力を上げることが、最適な気がする。

 将の将棋は目先の利でなく、最終的に勝つことを最優先に考えることだ。根本的な考え自体は基本ではあるのだが、悔しい指摘だった。中盤は序盤の駒組を終えて、最前線での駒の睨み合いから切り合いに変わるので、一番燃える。だから、目の前のことしか考えられんのだ。

 ――熱くなり過ぎってことか。

 シャワーを止めて、鏡をじっと見つめる。湯気が大量に立ち、視界が白くなる。

 ――もっと冷静になれたら……

 大人になれば、もっと冷静でいられるだろうか、こういう時、早く大人になりたいと思う。

 将棋に負けると、よくトイレで泣いた。負けたことが悔しくて、自分を否定された気がして、何より弱くて負けた自分が許せなくて発狂しそうになった。そのため、負けても乱されない心を望んでいた。打たれても、倒れても負けない鉄のような心が欲しかった。

 年齢も重ねて少しずつ心が乱れないようになった。感情の揺れをコントロールできるように努めていたことも大きいが、常に冷静でいることはやはり難しい。

 ――そのためには心の修練しもなきゃな……

 俺は座椅子に座ると、桶にお湯をためる。

「修身殿、ここに寝間着の浴衣を置いておく。わたしが昔使っていたものだが、貴殿の体格に合わせて仕立て直しておいた」

 お師さんの声が聞こえ、浴室のすりガラスからお師さんの影が見えた。

「あっ、寝間着ならシャツとハーフパンツで…」

 急にパタンと戸が開いた。

「寝間着にジャージ生地はいかん、汗の吸いも悪い」と、言いながらお師さんが浴室に入ってくる。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 俺は叫び声を上げた。

「これこれ、大きい声を出すでない」

 湯気で視界は霞んでいるものの、明らかに布一枚ない。肌色の素肌しか見えない。

「お、お師さん、マジで何やってんすかっ?」

「これっ、マジ等と略語を使うでない、よいか、そもそも言葉は言霊と言ってな。発言には魂が籠るものだ。それを略して使うとどうなるかわかるか? 言葉に対して失礼である」と、お師さんは高説を垂れ始める

「いやいやいや、何かおかしいですよ。僕出ます」

 俺はお師さんの横をすり抜けて浴室を出ようとするが、ガードして行く手を遮る。

「何を言っておる、いつも貴殿は母と風呂に入っておるのだろう」

「なっ?」

「小絵殿が、母子はそういうものだと言っておったぞ。貴殿は風呂が好きで、母と入るのが至上の喜びだと言っておったぞ」

 ――あの母親は、何を考えとるんだっ

 もしかして、自分の毎日の行動を包み隠さず話したのではないだろうか。これは確実にマズい。嫌な予感が的中した。

「お師さん、そんな日本で限りなく少数の家庭環境のことなんぞ真似せんでもいいですよっ」

「たわけ、ツベコベ言うでない。棋士を目指すものが師の裸の一つや二つ、見たところで狼狽えるなど情けない。座れ」

 お師さんは腕を組んでいてさくらんぼは隠れていたが、プリッとしたメロンの上部と、谷間は視界に入ってくる。下も当然見れず俺は顔を背ける。が、慌てて鏡の方向を見てしまったため、またお師さんの姿が目に映る。俺は急いで反対側をむく。

「いや、お師さん」

「座れと、言うておる」と、言ってお師さんは俺の肩を持つと椅子に座らせようとする。

 腕組みが解けた瞬間に目を閉じた俺は、お師さんに押されるように椅子に座らされた。

「師の裸を見て叫び声を上げるとは、まだまだ未熟な証拠。そんなもので動揺せぬ鉄の心を持たねばならん」

「そんなっ」

 お師さんは鬼のような無理難題を言う。

「見て心が乱れると言うなら、手拭いを渡すがよい」

 もう、何を言っても無駄だと俺は悟った。もはやここまで来たのならば、目を閉じ意識をそらすしかない。

「は、はい……」と、言って、俺は鏡のカウンターに置いたタオルをお師さんに渡した。

 お師さんは俺の手拭いを受け取ると、水を絞って俺に目隠しをした。俺は生殺与奪をお師さんに奪われた状態であることに気が付いた。

「ふむ、今日はこれでよかろう」

 ――今日は……ってどういうことだよっ?

 まさか、毎日やろうという話でないことを祈るしかない。

「鉄の心を持つには、心の平静が必要だ。なるほど、貴殿にはそれも大事なこと、相わかった。毎朝座禅を組んで、瞑想をしておる故、重点的に瞑想法を教えよう」

 ――鉄の心を持ってても、この状況で落ち着得るわけがないわっ。

 と、俺は固く目を閉じて、声に出さないツッコミを入れる。

 ――ヤバい。

 心臓が勢いよくビートを刻み、息苦しく呼吸が浅くなり体が熱くなってくる。

「まだ体は洗っとらんのだな?」

「はい、掛け湯だけです」

 視界はないといっても、周囲の音で人の動きは判別できるものだ。蝙蝠は自分の出す音波と反射音で位置を特定していると聞いたことがあるが、今の俺が似たような状況だ。意識しないでいようとすると、何故か逆に感覚が鋭敏になる。

「待っておれ、目が見えんでは、洗えん。私が洗ってやろう」

 ボディソープのポンプを押す音が聞こえた。

 ――▲7六歩、△3四歩、▲6八飛、△4二玉、▲4八玉、△3二玉、▲3八玉、△6二銀

 俺は、意識をそらすため、棋譜を心の中で念じ始めた。背後でピチャピチャと音が聞こえる。タオルにソープを馴染ませているのだろうか。

 ――▲2八玉、△8四歩、▲3八銀、△5二金右、▲2二角成、△同玉、▲8八銀……

 俺はお師さんがタオルを持たず浴室に入ってきたことを思い出した。俺のタオルは目隠しに使われている。

 ――はて……?

 俺が謎を解こうと頭を悩ませた瞬間、背中にニュルっとゴム鞠のような感触があり、上下に動き始めたところで俺は今日一番の咆哮を上げた。

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