第6話 替え玉男

正室のゆい正遵まさちかは、江戸の屋敷に到着した日に一瞬、挨拶程度に顔を合わせたが、その後十日ほど接触がなかったようだ。


 しかしある日突然、正室の方から正遵への面会を申し出たらしい。江戸に到着してしばらくしても、屋敷に仕える女性の誰一人として、正遵から声がかからないことを不審に思ったようだ。


「最初読んだ時は…正遵、マジ、クソだなって思ったけど、これ以降を読むと、記憶喪失級の事件か何かがあって、心を入れ替えたんだと思ってた…」


 結が正遵を訪れて以降、江戸に正遵が滞在している間は、二人はいつも一緒で、これは当時の風習的にも異例だった。さらに隠居後は共に暮らし、仲睦まじい様子が正遵の晩年まで続く。


「心の病を理由に『一緒にいる』としているけど、結との関係以外の正遵の記述は、以前以上にまともだから、変だなぁとは思ってたんだ…」


 例の参勤交代以降に女遊びの記録はなく、倹約をし、家臣の意見に耳を傾け、一人一人を尊重し、家臣を労う茶会を開く様子も頻繁に書かれている。


 また勤勉で、茶道家や僧侶、学者を招いて学び、武道は家臣から、歌などの教養をはじめ、乗馬などの武家の嗜みは結に手びかれながら共に楽しんでいた様子がよくみられる。ことに歌を詠むことを好み、しばしば二人で詠み合う姿が見られたようだ。


 これは誰の目から見ても異常な変わりようだろう。


「正遵もできるはずのことを、結が親身に教えながら相手をしているみたいに読めるから、腑に落ちなかったんだ…家臣の心象も、めっちゃいい…ありえねぇくらい真逆。」


 健臣の先祖の日誌は本当に正直だ。これ以降の日誌には、正遵の成長を喜ぶ様子や、江戸に滞在する度に子を授かり、最終的に九人生まれ、どの子も正遵や結に似てかわいらしいといった記録、正遵の親しみやすさ、彼への尊敬、感謝があちこちに散りばめられている。


「で、みてよここ…結めっちゃ可愛いの…」


 古書を見て可愛いと目尻を下げ、口元を緩める高校生っているだろうか。俺は少し呆気に取られつつ、健臣の指先を見た。


 正遵の公務がない時に彼の姿が見えないと「正遵様は何処」と必死になって屋敷中を探し回る様子が書かれている。見つけた時は胸に飛び込み手を握り、完全に人祓いをして二人で部屋に籠るといった具合だ。


 まさか先祖がこんなにイチャイチャしていたとは…これじゃ、すぐ子供もできるわけだ。俺は顔が再び紅潮するのを感じ、俯いた。俺の顔色を気にすることなく、健臣は続ける。


「で、マサの話でわかったんだ…正遵が急死して、そっくりな下男が替え玉として江戸に上がったなら全部説明がつく…」


 健臣は別のページを開き、俺の前に置く。


「…最初の一年目に何度か『ご乱心騒動』があって…」


 俺は矢継ぎ早に続く先祖のドタバタに衝撃を受け、言葉を挟むタイミングを掴めない。言われるまま健臣の指を追った。

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