もう一度だけ

 あたたかな日差しの中で、君が笑う。爽やかな風が吹き抜ける草原で、私達は木陰に腰を下ろしている。


 君のやわらかな蜂蜜色の瞳に、長い睫毛から影が落ちる。それを私はずっと見ていた。ただ、見つめていた。


 君の白魚のようになめらかな手が、そっと君の膝の上で眠る少女に向けられる。君は静かに彼女の細い髪を撫で、愛おしそうに彼女を見つめる。ひとしきりその感触を楽しんだ後で、君はふと私へと視線を向けた。


「ねぇ、そんなにわたしのことばっか見てて楽しいの?」


 じとりと、どこか不満そうに君は唇を尖らせる。


「もちろん楽しいよ」


 そんな君の表情の一欠片すらも見落とすことが無いように、私は君から視線を外さぬままで口角をあげる。


 ――だって、当たり前じゃないか。こんな時間は、二度と戻ってこないのだから。


 そこまでを考えて、私はふと思考を止める。どうして、どうしてこの時間は二度と戻らないのだろう。


「……思い出しちゃったか。ねぇハルくん……、ごめんね。本当に、大好きだよ」


 地面が揺れる。世界が、崩れる。


 あたたかな日差しは、もうどこにだって見えはしない。



 そして、世界は暗転した。


 ◇◇◇


 揺らいだ視界に映るのは、薄暗い社長部屋。


 ぎしりと椅子がきしむ音で、治彦は目を覚ます。嫌になるほど気分の悪い目覚めだった。

 重い頭を持ち上げて、彼は壁にかけられた時計へ目を向ける。針の指し示す時刻は午前二時、少々仮眠をとるはずが寝過ごしてしまったのだろう。

 

 奥の部屋に控えているはずの執事長を起こすことも躊躇われ、彼は一人常備してあった珈琲をカップに注ぐ。黒い水面に映り込むのは、彼のどこか虚ろな瞳。


 もう夢の内容を、何一つとして思い出すことは出来なかった。

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