第8話 地上100メートルの小さな部屋で。

「それでは……、いってらっしゃーい!」


 係員のそんな明るい声に見送られながら、純蓮とアルマは小さなゴンドラへと乗り込んだ。ゴンドラの扉がしまった途端、外の喧騒はどこか遠くのことのようにくぐもって、そっと静かに消えてゆく。ふたりきりの狭いゴンドラの中で、純蓮とアルマは向かい合うように座っていた。


「そういやお嬢サマ、なんで観覧車乗りたかったんだ?」


 ふと思い出したように、アルマは素朴な疑問を問いかけた。純蓮はじっと張り付いていた窓から視線を外し、アルマの方へと向き直る。


「わたくしは昔ここに来たときに……、お母様とお父様と三人で、この観覧車に乗ったのです。夕陽に照らされた遊園地がきらきらと宝石のように輝いていて、まるで夢のような景色だったのですよ! だから……、もう一度乗ってみたいと思ったのです」


 ダメでしょうか、と縮こまる純蓮を見ながら、楽しそうにアルマは笑う。


「別にダメなことなんてねーだろ。つーか、そんなにキレイなんだったら、俺も楽しみだわ」

「えぇ! きっとアルマさんも気に入りますわ」


 だといいな、と彼は純蓮に同意する。

 ゆっくり、ゆっくりと純蓮の高鳴る鼓動に合わせて、ゴンドラはその高度を増していく。瞬間、まだかまだかと待ちわびていた純蓮の視界がパッとひらけた。


「わぁ……っ!」


 オレンジ色に染まった鮮やかな空。橙の陽光に照らされた園内は眩いほどに輝いている。


「すごい……、すごいですわ! とっても綺麗ですわね、アルマさん!」


 きらきらと満面の笑みを浮かべた純蓮は、そう言ってアルマを振り返った。純蓮の声に頷くように、アルマは笑う。

 

「あぁ……確かにこれはキレイだな」


 そうでしょう、と自慢げに笑う純蓮の視線はいまだ外の景色へと釘づけられている。しかし、ゴンドラが頂上にいたのはほんのわずかな時間だけ。またゆっくりとゴンドラは下へ下へと降りてゆく。


「なぁお嬢サマ。今日は楽しかったか?」

「えぇ、とっても楽しかったですわ!」


 にこにこと笑う純蓮に向かい、アルマは小さく眉を下げる。その表情は今までの等身大の少年の笑みとは違う、どこか大人びた表情だった。それなら、と彼は言葉を口に出す。


「それなら……、依頼を取り消すつもりは?」


 ずんと重い鉛を腹の中に沈められたような、そんな気分がした。

 おもわず視線が下へと下がる。唇が震え、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。


「わた、くしは……」


 力を込めて目を瞑る。ゆるやかに瞼を開くと、彼女は小さく首を横に振った。


「依頼を、取り消すつもりはございませんわ」


 目の前に座る彼を見返すと、彼は何も言わずに、純蓮の言葉を受け止めていた。今はその優しさが、少しだけ。少しだけ、痛い。


「…………そうか。ま、しかたねーよな」


 あえて明るい声の調子で、彼は言う。


「そんじゃ、お嬢サマが死にてーなんて思わないように、次のプラン考えねーとだな! お嬢サマはどこ行きてー?」


 水族館とかはどーだ、と彼は笑った。そんな彼の姿に純蓮の胸がぎゅっと締め付けたように痛くなる。


 ――違う。違うのです。わたくしは……、


 純蓮のことを思いやって、そう提案を並べるアルマに向かって、絞り出すように彼女は告げる。

 

「……アルマさん。わたくしがアルマさんに依頼をしたのは、ただ『わたくしが死にたいから』だけではございませんの」


 純蓮の言葉に、アルマは驚いたように目を見張る。そんな彼の瞳を見据え、純蓮は小さく微笑んだ。ただ、その眉は垂れ下がり、彼女の瞳は力無く揺れる。ひどく、哀しげな笑みだった。


「……聞いていただけますか。わたくしが……、『わたくしの殺害』を依頼した理由を」


 夕陽は既に沈みはじめた。彼女の静かな告白を、のぼり始めた三日月が何も言わずに、ただ青白く照らしていた。

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