第15話:砲の制度、火を民の盾とせよ
星歴五七六年六月。山の緑は濃く、谷間には蝉の声が満ち始めていた。
鉱山都市・鋼覇城に、再び鉄槌の音が響いた。
かつて帝国が築きながらも、封鎖されていた地下の砲工房――
その巨大な炉に、今度は焔軍の火が灯された。
主導したのは、鍾 葉と凌 砲。
火薬技術の根幹を握る両名は、かつて「破壊の火」を扱っていた者でもある。
だがこの日、彼らが始めたのは、“火を制度として制御する”試みだった。
「
それは焔軍による公式な火薬管理機関であり、製造・検査・配分・回収を一手に司る新組織だった。
工房の火は監督の符術により結界制御され、火薬は術式で封じられた匣に小分けにされた。
使用用途は明確に区分される。
・軍用火薬――戦時に備え、砲兵部門へ供給。運用責任は鍾葉の砲陣指導局。
・市用火薬――鉱山・建築・農業用途に限り、申請制で筆判使の記録下にて管理。
・余剰火薬――中央の匠府倉庫にて保存。監査符が貼られ、無断開封時は≪
「火は、鍛えねば暴れる。
だが、制しすぎても、火の力は眠るままだ」
鍾葉はそう言って、焼き直した砲身にそっと手を置いた。
火は、ただの力ではない。
それを扱う者の“意志”と“律”があってこそ、焔の盾となる。
焔軍の砲はこの日、初めて「制度の火」として生まれ直した。
火薬匠府の設置からひと月も経たぬうちに、鍾葉は次の提案を行った。
「火を扱える者がいなけりゃ、制度だけじゃ意味がねぇ。
育てる場が要る――火を守る者を、鍛える場がな」
こうして創設されたのが、「
これは砲術・火薬学・鋳造技術を基礎から教える教育施設であり、戦士だけでなく農夫の子、鍛冶屋の弟子、文吏の孫までもが門を叩いた。
教坊では、凌砲が火薬理論と術封技術を担当し、鍾葉が実践砲術と火筒鍛造の指導に立った。
講堂では≪
「砲は敵を倒す道具ではない。
盾を叩く力を持つだけだ。だがその音で、民が立ち上がることもある」
鍾葉の言葉は、かつて火に怯えた少年たちの耳にも真っ直ぐ届いていた。
やがて、火術教坊で育った若者たちは、各地の砲陣へ補佐として配属されはじめる。
彼らは砲身を磨き、術符を刻み、日々の安全点検を欠かさなかった。
火を守る者たちが、生まれはじめていた。
そしてその営みは、焔軍の“砲の力”を、破壊ではなく防衛の象徴へと変えつつあった。
火術教坊と火薬匠府の制度は、やがて都市そのものを変えていった。
鋼覇城では、砲筒を鍛える鍛冶場が日々火を上げ、火術の技法を学んだ青年たちが町工房で独立し始めた。
火筒の修理、術符の彫刻、火薬封じ匣の製造――それらは次第に「砲具職」として一つの職能を成し、地域経済に根づいていった。
また、火薬配分が明文化されたことで、市民が申請して用いる小規模爆薬は、鉱山採掘・農地の開墾・用水掘削に活用されはじめた。
「これは“戦の火”ではなく、“耕す火”だ」
そう語る者すら現れ、焔の火は暮らしの一部として受け入れられつつあった。
さらに、焔領内の各都市では“
火術師たちが交流し、知識が共有され、道具が工夫され――
火を扱う経済が、焔の大地に命を吹き込んでいた。
商人たちは言った。
「焔の街は、砲の音がする。けれどそれは、破壊の音じゃない。
それは――人を動かす音なんだ」
火は統治の象徴でも、軍の威圧でもなくなっていた。
それは今、技と暮らしに息づき、民の手に託された“動力”として燃え始めていた。
ある日、劉閑は鋼覇城の火薬匠府を訪れた。
昼下がりの砲工房では、鍛冶鎚の音と、学徒たちの筆記の音が交じり合っていた。
術符に書かれた火の符号を読み上げる声に、閑はしばし足を止めた。
「これは、軍ではなく……暮らしの場だな」
彼がそう呟くと、隣で聞いていた鍾葉が肩をすくめた。
「火が暮らしを壊すもんだと、ずっと思ってた。
でも今は、守るための技に変わった。
“火のちから”は、誰の手にあるかで、意味が変わるんだろうな」
閑は頷き、ふと壁に貼られた布令の一文に目をやった。
『火は民の盾なり。筆はその道を刻むなり』
それは、鍛冶工たちが自主的に掲げた誓いだった。
「火は、もはや威を示すものではない。
民が守るものを守るため、使うべき力となった。
――それこそ、国の火だ」
火と筆。
律と技。
かつて焔軍が掲げた“破壊の象徴”――敵を退け、門を焼いた火は、いまや“築く力”へと変わっていた。
そして閑は、静かに布令台に筆を走らせた。
その筆跡は、決して命令ではなかった。
民の手で動き、民の声に応えるための、新たな律の印だった。
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