第9話:空からの雷、天を試す時

 星歴五七三年十月。空は乾き、風が高く鳴いていた。


 焔団は北部六村の防衛線を掌握し、筆旗を掲げる地が百里を越えた。火と筆による誓いが民の輪を結び、砲台と結界が並ぶ丘陵は、もはや“国”の骨格を成していた。


 だが、その朝――空から“神の雷”が降った。


 ≪風魔法:雷翼飛翔陣サンダーウィングフライトフォーメーション


 白銀の魔陣が空を走り、雷光の羽根を背にした騎士たちが虚空を渡る。


 帝国空軍魔法部隊、空雷師団。かつて都市十余を焼いたという、空より制圧する部隊が、焔団の頭上を覆った。


 その中心にいた男――空の将、カスラ。


 その虎人将は、双翼に雷紋を刻み、虚空にて構えを取った。


 ≪風魔法:天雷召降ヘヴンズボルトコール


 天空に円環陣が浮かび、青白き雷柱が真下に落ちた。


 雷光が地に触れると同時に、土と屋根が爆ぜ、村の防備陣が一瞬にして蒸散する。


 その輝きは、筆でも火でも届かぬ、“天命の暴力”そのものだった。


「カスラだ……“星導の雷牙”が来たぞ!」


 砲陣は届かない。


 火薬の導線は空の高度に届かず、結界は雷に引き裂かれる。


 民家の屋根が焼け落ち、避難路に電光が走るたび、村人たちはただ地に伏して祈るしかなかった。


 地下の防衛拠点では、鍾葉が青ざめた顔で雷音を聞いていた。


 水華は結界札の糸を繋ぎながら、声を落とした。


「このままでは、焔が……天に焼かれます」


 そのとき、劉閑は戦術地図の一点に筆を置き、口を開いた。


「空が天のものならば――我らの火で、それを地に引きずり下ろす」




 雷撃が村を焼き、砲台が壊れ、人々が土の中へ逃げ込む中――焔団の地下防衛拠点では、最小限の指揮官が集まっていた。


 地図は焦げ、通信符は焼き切れ、風だけが岩の間を鳴らしていた。


「上は焼け野原だ。砲も火線も届かねえ」


 鍾葉が歯を食いしばりながら、破損した射表を見下ろした。


「防結界も雷に穿たれた。術線の縫い直しだけで一日かかります」


 水華は結界符を並べ直しながら、静かに応じた。


 それでも、劉閑は顔を上げていた。


「ならば――天に届く火を造ればいい」


 場に沈黙が走る。


 閑は筆を取り、残された地図に三本の線を描いた。


「筆術による“誘導”、砲術による“貫通”、そして風水による“上昇流”。三つを重ねれば、雷を超えて空に火を届けられる」


 それは、火ではなく、“意志”を天に届かせる構想だった。


 ≪筆術:空導標記スカイサーペント・グリフ


 筆が空を斬るように舞い、虚空に浮かぶ雷座標を縫うようにして符が連なる。


 墨の軌跡が空中に龍の如き弧を描き、雷の流れを逸らす“道”が浮かび上がる。


 ≪砲術:貫界弾アークシェル・ブレイカー


 鍾葉が構想中の長距離精密火筒。射角を高め、術線の加護と風を利用して加速する砲。


 ≪風水術:昇流陣アセント・ゲイルフィールド


 道銀が試験中だった上昇気流の術陣。砲撃の飛翔を助け、火線の弧を天へと引き上げる。


「空を撃つ火には、地の知恵がいる。それは力ではなく、民の意志の連携だ」


 閑の声に、鍾葉が顔を上げる。


「構えはやれる。……だが問題は、あのカスラに“当てる”ことだな」


 水華が結界符を差し出しながら言った。


「ならば、筆が導きましょう」


 会議は、策ではなく“試練”として進められていた。


 天に挑むとは、ただ武器を掲げるのではない。


“焔”という思想が、“天命”に試される時が来たのだった。




 雷撃が止んだのは日が沈む頃だった。


 砕けた屋根、焦げた畑、叫びも届かぬほど打ちのめされた村の広場に、静かに劉閑の姿が現れた。


 砲煙と血の匂いが残るなか、彼は防具も印章もつけていなかった。


 ただ筆を帯び、火薬巻を手に持ったその姿に、民たちは言葉を失って見つめた。


「焔が天に焼かれた日。これは、我らが信じた火が試される日でもある」


 誰かがすすり泣いた。


 誰かが天を睨んだ。


 だが、誰も声を上げなかった。


 閑は筆を地に置き、火薬巻を空へと掲げた。


「空から雷を降らせるのは、“天の理”ではない。それは、“帝の力”だ。ならば、我らは――“民の火”で、それを撃ち落とす」


 その言葉が広がると、誰かが小さくうなずき、倒れかけた砲座の陰から少年が顔を出した。


「撃てるんですか、本当に……?」


 閑はその少年の目を見て、ゆっくりと頷いた。


「焔とは、民の命を灯す火だ。


 ならばその焔で、空を照らし返そう。


 これは、“天命”に選ばれるための戦ではない。


 民の手で――“天”に抗う、最初の一撃だ」


 筆を帯びた閑の姿が、暮れゆく空の下で立ち上がる。


 その影は、ただの将でも、王でもなかった。


“焔”という思想を背負う者として、地に立つ人の代表だった。

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