3 あひるぐち

「つまり、悪魔ではないけど、普通の人間でもないってこと?」

「ピッ」


 ヴェスタの言葉に、私は大きな音を鳴らした。持ち主が不満そうな顔でつまみ上げてきたが「ピピッ」と否定の音を出した。


「グラニエル……」

「憐れむな。やめろ」


 私をテーブルの上に戻すと、持ち主は顳顬こめかみを叩いた。


「僕が思うに、これは妖精だと思うのだ」

「ピピッ!?」

「違うって言っているよ」

「いいや違わない。二十四号は、妖精だ。僕のために現れた、お風呂場の妖精だ」

「……きみ、本当にピュアだよね」

「魔法学的根拠に基づいている」


 持ち主は私の否定を無視して、妖精説を唱え続けた。


「キミは魔法物理学の本を読んでいたか?」

「まあ……」

「魔法によって生み出された生命体、それらは妖精と魔精に分類される。魔精はイタズラを好み、妖精は清い心を持っている。妖精は魔精の手で追いやられ、現在の魔法社会において幻の存在となっているのだ」

「……そんなこと書かれていたか?」

「抜粋は『ようせいとませいのしくみ』からである」

「それ、魔法物理学関係ない!」


 妖精や魔精など、持ち主の言葉はあまり参考にならなかったが、しかし熱量は伝わった。


「ピ……」

「アヒルも肯定している。やはり、お風呂場の妖精だ」

「それ違う。絶対、肯定の音じゃない……」


 ヴェスタは疲れたのか、椅子の背もたれに体を預ける。

 私たちは、キッチンの片隅にあるテーブルを囲んでいた。

 調理台の上には大量のレモン。

 すぐ近くにある茶色の袋は砂糖だろうか? 今日はシロップ漬けを量産する予定だったのかもしれない。男二人で。


「ピピ……」


 むさくるしい……という意味を込めて鳴いたら、ヴェスタがバッと起き上がった。


「もう夕方じゃないか!」

「そうだな」


 窓の外から差し込む茜色の光に、ヴェスタは顔を青ざめた。


「依頼されていたレモンの実験が!」

「もう明日でいいだろう」

「明日が期限だよ! ああもう! ソルジュさんに怒られる!!」


 エプロンの紐を結び直した彼は、キッチンに立つ。それから大量に残ったレモンを見て、その黒色の目に涙を浮かべた。


「グラニエル……おれは明日、死ぬかもしれない」

「僕としても、数少ない友人が死ぬなんて残念でならない」

「棒読みで言うな」

「骨は拾ってやるぞ」


 そんなことを言いながら、持ち主は私を大事そうに持ち上げた。


「お風呂場の妖精には酷いことをした。安心しろ、ちゃんと風呂場に戻す」

「ピ……」


 果てしなく疲れた私は、肯定の意を込めて、短く鳴いた。その日の夜は「誰かさん」の叫び声が原因で、寝つきが悪いのだった……私に寝るという概念はないのだけど。



 アヒル生活を始めて七週間ほど。私はとんでもない事実に気づいてしまった。

 なんと、アヒルちゃんは喋れるらしい。

 暇つぶしにしていた腹式呼吸の練習の成果が表れたようだ。私は持ち主を驚かせたい一心で「あーあー」と発声練習をする。


「もちぬし、げんきー」

「……お風呂場の妖精が喋っている」

「はっ!!」


 こっそり練習していたところに、半裸の持ち主が現れた!


「もう、にゅうよくのじかん……?」


 大変ショックを受けている私の前で、持ち主はかがむ。


「喋れたのか」

「あーうー」

「赤子のようだな」


 何故か分からないが、彼が、フッと笑った気がした。

 一瞬の出来事で、本当に笑ったかは分からない。気づけば、いつもの無表情に戻っていて、私は困惑した。


「もちぬし、わらった?」

「……」


 返事はなかったが、代わりに風呂場から運び出された。そういえばこの家の観光がまだであることに気がついた私は、持ち主に「まわりみせて!」と元気よくお願いした。


「……お風呂場の妖精も、気になるのか」

「……よびづらそう」

「二十四号?」


 それはそれで嫌だな、と思った私は、過去の名前を引っ張り出してきた。


「なまえは、しゅう」


 ついでに「ピッピ」と鳴らせば、彼は目を細めた。


「シュウか」

「そう!」

「名前があったのだな」


 しみじみと言った持ち主は、家の中を案内してくれた。もちろん着替えた後に。そうして分かったことだが、この家はとてつもなく大きいこと。そして家と表現しているが、実際は宮殿であること。

 テルマエ(大衆浴場)的なものかと思えば、持ち主が個人で管理している場所らしい。


「風呂場は沢山あるぞ」

「へえ。もちぬしらしいね」


 持ち主の仕事や、この世界のことについてなど、知りたいことは沢山あるけど、今はこの宮殿について教えてもらえれば満足かな。紫色の絨毯が敷かれた廊下を抜けると、いつぞやの洗い場(庭)に辿り着いた。


「ここで、アヒルたちを洗っている」

「ふーん」

「ここから見えるあの建物が、僕の生家であるヴァンス侯爵のタウンハウスだ」

「こうしゃく?」

「シュウには分からないか」


 言われた私は、脳内で頬を膨らませた。貴族の爵位は、確か下から男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵の順で偉くなっていくはずだ。この世界が地球と同じなら、の話だが。


「もちぬし、えらい人だったんだね」

「……僕は凡人でしかない。代々受け継がれてきたものを、僕も受け継いだだけに過ぎないからな」


 少しだけ、持ち主のことを何も知らない自分を恥じた。こんなにも親しみを持って接してくれるのに、今まで興味を持っていなかったなんて。


「もちぬし、これからは、もっと、おしえて!」

「……構わないが」

「ふふ。ありがと!」


 持ち主は片眉を上げながら、不思議そうに私の口を突いた。


「わ!」

「……このアヒルの口から、どうやって音が出ているのか、僕にも教えてくれ」

「あーそれはわからないかも」


 私は、困ったように笑いをこぼしたのだった。

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