第6話「真実の予兆 ― 揺れる市民の声と沈黙の影」

 数日後の朝、王都エルメスで一つの新聞が密かに話題を呼んでいた。


 ――《王都予算の不整合と私兵組織の存在疑惑》


 その見出しは、他紙に比べれば地味であり、特定の名前や組織に直接触れることはなかった。

 だが、記事の中で語られる財務監査の歪み、王立施策費と魔導研究費の不自然な流れ、そして“姿なき武装集団”の存在は、読者の心に確かな引っかかりを残した。


 とりわけ、王都エルメスの中層〜下層市民にとっては、信じていた“正義”に対する、初めての疑念だった。


「ねえ、この“匿名の告発者”って……本当にただの偶然かしら」

「これ、勇者様のあの計画と時期がかぶってない?」

「まさか……いや、でも最近、冒険者ギルドに妙な動きがあるって話も……」


 都市のあちこちで、そんな声が小さくささやかれるようになる。

 記事には名前こそなかったが、内容の指す先を理解できる者も少なからずいた。


 そして、何より人々の記憶に新しいのは――


 “悪徳令嬢”リシェル・ド・エルネストが、勇者パーティーを追放された“剣聖”カイル・グレイヴァルドとの婚約を発表したという、一大スキャンダルだった。


「まさかとは思うけど……あの令嬢、何か知ってるんじゃないのか?」

「いや、あの毒舌お嬢様がただの恋愛で結婚なんて、ありえないって……」


 もともと、社交界で「悪名は才能の証」と揶揄されていたリシェル。

 破天荒な言動、奇抜な衣装、わがまま放題のふるまい。

 だが、その仮面の奥には、確かに“何かを隠している目”があると、王都の一部の人々は気づき始めていた。


 そして、そんな娘の行動を止められずにいる父親――エルネスト公爵。


 かつては王国を支える重鎮のひとりとして知られ、“戦略家の老獅子”と称えられた男だった。

 だが今の彼は、ただの“装飾された傀儡”に過ぎない。


 貴族会議ではほとんど発言せず、ただ勇者派の意向に頷くだけの存在。

 老いた眼差しは力を失い、屋敷でも“あの娘のことは任せてある”と繰り返すばかり。


 何かを変える力など、とうの昔に失われていた。


「エルネスト公爵って、もう口も動かせないのかと思ってたよ……」

「公爵家が勇者様の犬になったのって、あの人が何も言わなくなってからだろ?」


 そんな噂が、まことしやかに広がり始めていた。


 つまり――


 娘が動き、父が沈黙する家。

 その歪な構図が、王都の空気に微かな違和感を生み始めていた。


 勇者は完璧な存在で、民の希望である――そう信じ込まされてきた市民たちの心に、初めて“揺らぎ”が生まれている。


 もちろん、まだ小さなさざ波に過ぎない。

 新聞の発行部数も限られていたし、大貴族や聖騎士団はこの告発記事を完全に“無視”していた。


 だが、それでも確かに火はついた。

 

 そしてそれは、仮面の奥で微笑む令嬢の、計算された第一手だった。






 リシェルの私室。仄暗い香の煙が揺れる中、カイルはソファに深く腰を下ろし、新聞の一面を静かに見つめていた。


「……載ったな」


 低く漏れた声に、向かいのソファでワインを傾けていたリシェルが、満足げに笑う。


「ええ。クロエも意外と度胸があるわ。あの子、正義感で動くと火薬より爆発力あるもの」


 カイルは紙面を一瞥し、内容を噛みしめるように目を細める。


 王立施策費と魔導研究予算の不整合。王都内部に潜む“非公開の武装集団”の存在。

 直接名指しは避けているが、読み慣れた者ならすぐに“勇者”の影を察する内容だ。


「……とはいえ、“決定打”にはまだ遠いな。今のところは、ただの火の粉だ」


 そう言うと、新聞を軽く畳み、テーブルに置いた。


 リシェルは扇子をぱちりと開いて、にこりと笑う。


「火の粉が嫌なら、燃えやすい服なんて着なきゃいいのにね? 正義のマントとか」


 その口ぶりはいつも通りの毒気たっぷりだった。


「世間の皆様が少しでも眉をひそめたら、それだけで儲けものよ。

 “勇者様の影に不穏な噂”なんて、王都社交界にとっては最高の酒の肴だもの」


 「……お前、本当に悪趣味だな」


 「褒め言葉と受け取っておくわ」


 ワイングラスをくるりと回しながら、リシェルは肩をすくめた。


「でも、これくらいで驚いてちゃダメよ? 私なんて、社交界に“貴族の婚約者を寝取った”なんて噂された翌日、パーティー会場で当の婚約者の頬を撫でてやったんだから」


 「……それ、お前が流した噂だったろ」


 「ええ、もちろん。“事実がなければ作ればいい”って、父が教えてくれたわ。

 ……あの人、もう何も言わないけど。だから今は、私が“家の毒”を引き受けるのよ」


 その一言だけは、いつもの軽口とは違った。


 カイルはしばらく沈黙した後、小さく息を吐く。


「……本当に、俺たちが夫婦だって言われても信じるやつ、いるのか?」


 「信じる信じないは、どうでもいいわ。噂っていうのは、真実より“気持ちよく語れるか”が大事なの」


 そう言って、リシェルは優雅に笑う。

 悪徳令嬢の名は、今日も堂々と自らの手で彩られていく。

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